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わかんないけど、わかんないなりに「杉ちゃんに惹かれる理由」を考えてみた(ネタバレ注意)

Amazonのプライムビデオで2020年10月9日から独占配信されている『バチェロレッテ・ジャパン』をご覧になった方は多いのではないでしょうか?

独身女性が主役となり、17名の男性たちの中から未来の結婚相手を選び抜く恋愛リアリティ番組です。

面白いのかな? 少し疑問を持ちながらも、見始めたが最後、どんどんと引き込まれて行きました。恋愛リアリティ番組とあるけれど、見終わってみると「人間ドラマ」といったほうがいいような印象があります。

見ていない方もいると思うので、できるだけネタバレを避けつつ書きたいのですが、どうしてもチラチラと感想が出てしまうと思うので、本編を見てから読んでいただくか、あるいは、多少のネタバレを許せるという方に読んでいただければと思います。

題名に書いてある「わかんないけど、わかんないなりに……」というクッション言葉は、杉ちゃんが口にしていた言葉のひとつです。

杉ちゃんというのは杉田陽平さんという画家の方です。バチェロレッテの参加男性の一人です。

この方こそ、何を隠そう、今、私が魅了されている男性です!

杉ちゃんが「わかんないけど、わかんないなりに……」って言葉を番組の中で使っていたのですが、それが彼の口癖なのかはわかりません。

けれども、少なくとも、とても重要なときに使っていましたし、あとYouTubeで見られる「『バチェロレッテ・ジャパン』すぎちゃんの世界」という動画の中でもこの言葉を使っているのは確かです。

「芸術と恋愛はどっちが難しい?」という質問に対して、答えはない、パターン化した途端にわからなくなる、どっちも難しい、としつつ「わかんないけど、わかんないなりに想像してみようという風に受け入れていくと、途端になんか近寄ってきたりするんですよ」と言っていて、私はハッとさせられたのです。

私は、「わからないこと」をどう扱っているだろう? って。
自問自答してみました。

誰かに何かを聞かれて
「わからないなあ」
と答えたとして、そのあと、それについて考えてみるだろうか? と。

たまには、考え続けることもあると思うけれど、そのままにしているもの多い気がします。
もしくは、外に答えを探しにいく……。
あるいは、他の人の答えをググったり……。

「わかんなけど、わかんないなりに想像する」って、さらっと言っているけれど、なんかとてつもなくすごいことのように思えたのです。

ところで、最近の私の「わかんないこと」はなんだろう? って思ったら「杉ちゃんに惹かれている理由」でした。

惹かれているって言いながら理由がわかんないだなんて失礼じゃないか、と思いながらも、実際によくわかっていないのです。

というのは、本編のストーリーの中で、杉ちゃんが出てくるシーンで、すごく心が動くのですが、誰目線なのかわからないのです。

最初、杉ちゃんが好きだから、お相手の福田萌子さん目線かな? と思ったらそうでもなく、杉ちゃん目線とも言い切れず、多くの時間をそのストーリーを見ている第三者の目線っぽいのです。

けれども、その目線は時に変わるのです。

杉ちゃんが素敵な言葉を紡げば、私は萌子さんの中に入ってその言葉を受けているし、萌子さんが可愛い仕草をすれば、杉ちゃんになって微笑ましく思ったり……。

目線の移動って当たり前といえばそうなんだけど、とにかく、その世界観に入ると、性別も年齢も忘れてキュンキュンしてしまうのです。

そんなわけで、心の移動が忙しくて、本編視聴中は、ほとんど冷静に見られていなかったわけですが、視聴後1週間以上経ち、ほんの少しだけ冷静になってきたところで、「杉ちゃんに惹かれている理由」をわかんないけど、わかんないなりに考えてみようと思ったのです。

ちょっと、ネタバレに、やはり、なってしまうのですが、杉ちゃんが、萌子さんのお母さんと会うシーンがあるんですね。

そこでね、萌子さんがいかに素敵かを、お母さんに説明というか、語るシーンがあって、私はそこがとっても好きなんです。
「新鮮な感覚だなと思ったのは、毎日(萌子さんと)会うわけにはいかないんで、会ってない時間、夜とかに『萌子さん、この満月に近い綺麗な同じ月、見ているかな?』と思ったりして。離れているときも好きなんですよ」
と、杉ちゃんが言って
萌子さんのお母さんが
「好きは継続しますからね」
と、笑顔で返すんです。

これを見て、わあ、なんて素敵な会話なんだとうっとりしつつも、一方で、え? って、びっくりもしたんです。
なぜって、それって、好きだったらそうだよねって。離れてるときも好きだよねって。
それを新鮮に感じた杉ちゃんのことを、なんて純粋なんだろうと思いつつ、これまでも、きっと人を好きになったことはあるとは思うのだけど、これほどまでにはなかったのかな? って思ったら、すごくジーンとしちゃいました。

お母さんの前だからではなく、本編を通して、杉ちゃんは、萌子さんに「好き」という気持ちを、杉ちゃん自身の言葉で伝えていくのですが、その一つひとつがとても素敵でした。

杉ちゃんは、人を好きになったら、いつも、こうして伝える人なのか? あるいは、萌子さんだから、思いを伝え続けたのか、わからないのですが、とにかく、全身から愛が滲み出ていて、その姿に、毎回涙しました。

「愛」と書いたけれど、もしかすると、ストーリーの前半では「恋」だったのかもしれないですね。

もしそうだったとしたら、いつから「恋」が「愛」に変わっていったんだろうな。

最後まで観た方、本当に切ない最後でしたね。

私、あの日、本編の最終話だけみて寝るつもりだったんです。
けれども、あの結末を観たら、アフターファイナルローズまで見ないと寝られないと感じて続けて見たんですね、そうしたら、あの結末。
気持ちが収まらなくて、そのあと1時間以上眠れませんでした。

しかも、気持ちが高まりすぎて、杉ちゃんのインスタにDMまで送ってしまいました。
インスタのDMはすごく多いと聞くので、ご本人は読まれてないと思うのですが、とにかく気持ちの持っていきようがなかったので、送ってしまいました。

告白したことを労いつつ「もしまだ好きでいるなら、無理に忘れようとせず、その気持ちを大切にしてほしい。その愛は尊いです。きっと時間が癒してくれると思います。きっと素敵な人といつか出逢えますよ」と。

そのときは、大切な家族が失恋しちゃった気がしたんです。

息子なのか、弟なのか、よくわかんないけど、すごく好きで素敵な女性に告白して振られてしまった大切な家族をどうやったら励ませるかなって思った心情に似ていました。

今考えると、馬鹿みたいですよね。
だってタイムラグがあるんですもの。
たった今、失恋した人じゃないのにね。
でもそのときは、伝えたかったんです。ごめんなさいね。

私の杉ちゃんに対する今の感情を表すと「愛しさ」と「尊敬」だと思います。
だから、もしかすると「敬愛」なのかな。
敬愛を辞書で引いたら、「尊敬し親しみの気持ちを持つこと」とありました。
これに近いかも。

たどたどしさとか、わちゃわちゃ感とか、笑顔とかにも、グッときます。
それでいて、一つひとつの言葉にハッとさせられて、グッときます。

きっとこうだろう、を超えてくる魅力。

あとね、それこそ、わかんないなりに考えたんですが、杉ちゃんに惹かれるのって、自分の中に、もしかしたら、その素敵なところと同じものがあるのかもしれないって思わせてもらえるからかもしれないなって思ったんです。

人間って、同じ部分もあれば、違う部分もあると思うですが、その違うと思う部分は、本質的に違うのではなくただ「未開の我」なのかもしれないって、もしかしたら、自分もそうなれるかもしれないってワクワクさせてもらえるっていうか。

杉ちゃんは、ある意味、隙を感じさせてくれる。ちょっと不器用だったり、励ましたくなるようなもどかしいところとか。そういった部分に、人間としての親しみというか、自分と似ている部分を感じる。

一方で、へーそんなの考えつかなかった! というびっくりするようなことを言ったりやったりする。

そういう自分とは違うところは、できないなと思いながらも、本当は自分だけでは気づかなかったけど、心の底でやりたかったこととか、本当は思っていたことを見せてくれているのかなって。

だから、遠いようでとても近い、懐かしいような、それだよ、それみたいな。

忘れていたものを気づかせてもらって、嬉しくて、涙が止まらなくなるのかなって思いました。

それから、現代アートの魅力のひとつについて、杉ちゃんは「その作品を作ったアーティストが生きていること」って言ったんですね。
それに「お客さんも表現者」とも。

それを聞いて、うわーって心が動きました。

そうか、同じ時を生きているんだ!
私も、何もしていないようで、生きていること自体が、表現していることなんだ!

何が好きで、何が嫌いか。
心地良いとか、不快とか、様々な感情を感じながら、味わいながら表現しているんだと思ったら、涙が出てきてしまいました。

杉ちゃんを見ていると、この世界が、思っている以上に、愛に満ち溢れているのかもしれないって思える。

あともうひとつだけ、私にとってすごく大切な杉ちゃんとのエピソードを紹介させてもらって文章を締めたいと思います。

杉ちゃんが、Radiotalkというアプリでラジオすることになったのをご存知の方も多いでしょうね。

で、この前の日曜日に初回が生配信でありました。

ファンとしてすごく嬉しくて、コメントを送りながら聞いていました。

言葉がとても素敵でした。
だから、しっかりとメモりたくアーカイブを探したのですが、見つかりませんでした。

調べてみると、現段階では、Radiotalkの生配信はアーカイブがなかったのです。

ガックリしました。

でも、まあ、一度、聞けたからいいやって思っていました。

けれども、Twitterを開くと、生配信を聞けなくて悲しんでいる人がたくさんいるのを知りました。

そうだよね、もし、自分が逆の立場だったら悲しいよなと思い、よかったら、覚えていることでもTweetしようかなと思いました。

だけど、これってうる覚えのまま勝手にやっていいのかな? という不安もありました。

悩んだ末、思い切ってツイートしました。

そうしたら、杉ちゃんがコメント付きでリツイートしてくれたのです。

おかげで生配信を聞けなかったたくさんの方に、記憶の一部を届けることができました。

杉ちゃんと、ファンの方の温かさに触れて、本当にいい気分になれました。

本当に嬉しい出来事でした!

杉ちゃんを知ってから、まだひと月も経っていませんし、実際に会った人でもありません。
それなのに、こんなに心を動かされていることにちょっとびっくりしています。

わからないけれど、わからないなりに、杉ちゃんの魅力について考えていて、ふと気づいたことがありました。

私は、なんだかんだと、枠に当てはめようとしていないか? 
パターン化しようとしていないだろうか?
わかったつもりになっていないだろうか?

わからないけれど、わからないなりに想像する。
それはとてもむずかしく、しかし、とても楽しい時間だと気がつきました。

杉田陽平さんという存在を知れて本当に良かったです。

いつか生で作品を見てみたいし、実際にお会いしてみたいです。

とはいえ、それはなかなか叶わないことかもしれません。

けれども、同じ時代に生まれ、同じ空の下で生きていることに感謝しています。

素敵な物語を見させてもらい、ありがとうございました!
これからの杉ちゃんの物語の続きを応援しています!

そして、私自身も、私の物語を自分なりに紡いでいこうと思います。
同じ空の下で。

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