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保護者会での委員決め時の葛藤

今日、小6の息子の小学校の保護者会があって、卒業対策委員を決めた。

各クラスから3名出さないといけないのだけれど、うちのクラスは誰も手が挙がらず、結局くじで決めた。

その場にいた1人と、今日の保護者会を欠席した2人に決まった。

その場にいた1人は、すごくショックを受けていて、その場にいた他の人たちからは安堵のため息が漏れた。

私は、昨年度、役員をやったのでくじ引き免除だったのだけど、他のクラスでは、私と同じく、くじ引き免除の人が手を挙げて委員を引き受けてくれていた。

いつもこうした時に手を挙げて、面倒な役割を引き受けてくれる面々だった。

私と仲の良い人も多かった。

そんな中、私は、別にズルしたわけじゃないのだけど、モヤモヤしている。


モヤモヤの原因を考えてみた。

そうしたら、「誰もやらなかったら手を挙げる」という、いつものパターンに沿わない行動をしたからかもしれないと思った。

それに「私も、〇〇ちゃんもやるよ」と仲の良い人が声をかけてくれたのに、いろいろ考えてしまって、短時間で決心ができなかったことも、うっすらとした後ろめたさの原因だと感じる。

いつもの仲間は、手を挙げて引き受けたのに、私は積極的になれなかったと。


本来、やりたければやればいいし、やりたくなければやらないければいい。

それだけのことで実にシンプルなことのはずだ。

もちろん、やりたくなくても、そこのルール、例えばくじ引きで決まってしまったら、やらざるを得ない場合もあるけれど、私の場合は、今回はくじ引きの対象ではないのだから。

シンプルなことなのに、モヤっているのは、委員を引き受けた後の楽しさや充実感を知っているからかもしれない。
それと同時に、引き受けた時の面倒臭さも想像できるから、今回は、ほんの少しだけ、その面倒臭さを避けたい気持ちが勝ってしまったのだと思う。


それに、今回手を挙げなかったのには、実は、他にも理由がある。

これは、ちょっと私の闇の部分とも言えるのだけど……。

今回のように、立候補者がいない時に、いつも「じゃあやります」という感じで手を挙げることを、ちょっとした優越感を持ってやっていたのかもしれないと最近気づいてしまったからだ。

そういった役割を引き受けるが故の大変さよりも、そのちょっとした優越感に浸る方が気持ちがよかったから、引き受けていたのだとしたら、なんだか自分が汚い存在のように感じてしまったことも、私に手を挙げることを躊躇させた原因のひとつだ。


誤解してもらいたくないのは、そうやって誰もいない時に手を挙げる人全員が、私と同じように思っているわけではないと思う。

その役割が好きな人もいるだろうし、あるいは、「やりたくないのにやらされてしまう人」がくじ引きで決まった時のなんとも言えない重い空気感が嫌な人もいるのかもしれない。それに、優越感とか全く関係なく、誰もやらないならやってもいいよ、という純粋な思いから手を挙げる人もいるだろう。

私だって、そんな優越感を意識して手を挙げたことはない。

ただ、今回は、今の私は、そんな優越感が自分の中にあるのだと気づいてしまった後なので、それを感じつつ引き受けることに抵抗を感じてしまったのだ。

厄介なのは、「もう少し積極的に誘ってくれたらやってもよかった」なんてすら今も思っていることだ。

私のエゴがたまらなく卑しく感じる。


だけど、今、目の前にある現実は、「自分が犠牲者ぶって優越感を感じて、引き受けなくても、他の誰がやってくれたり、あるいは、くじで決まるという事実」だ。

そうだ。別にやりたくなければ、やらなくていいのだ。

なんだ、そうか、といった思い。

そのことが嬉しくもあり、ホッとすることでもあり、自分は、なんておめでたいのだとという切ない気づきでもあり、なんだか笑うしかない。


そうして、今までなんだかんだと引き受けてきた役割の裏にそのような私のエゴがあったのだと気づくと、憂鬱な気持ちにもなる。

でも、もし、エゴから始まったのかもしれないとしても、しっかりと引き受けた役割を全うしてきたのは事実で、それは、他の誰でもない自分自身には誇ってよいことなのだと思いたい。

それと同時に、その役割をやりたいとか、興味があるとか、別にやってもいいよとか、そういった思いが湧いてくれば、これからだって引き受ければいいし、なんらかの違和感や躊躇があれば、今回のように引き受けなくたっていいのだ。

どっちが偉いとか、良いとかではなくて、どっちでも良いのだ。

今回引き受けなかったことでそれに気づけた。


とはいえ、今回は、引き受けなかったのだから、理由はどうあれ、引き受けてくれた人がいることには素直に感謝したいと思う。

「ありがとう! よろしく!」

そう言って人に頼る、甘える、感謝する立場にいられることもいい経験のはず。


だから、今日引き受けてくれた人たちに感謝しつつ、手を挙げることができなかった自分も許そうと思う。





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