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家族として出会った兄との思い出

今日は、自分の実家にお正月の挨拶に行った。

母の作ってくれたいなり寿司を食べ、父の淹れてくれた珈琲を飲み、兄とたくさん話した。

兄と私は2つしか年が離れていなくて、小さい時はとても仲が良かった。

もちろんそれなりに喧嘩はしたし、兄には年長ゆえのずるさもあって泣かされたことはあったけれど、よく一緒に遊んだ。

ところが、年齢が上がるにつれて、兄の神経質なところが目立ち始め、親との折り合いも悪くなり、そのせいで私は親にも兄にもとても気を遣った。

兄が怒らないように、キレないように気を遣い、気を遣いすぎては「よそよそしい」と怒られた。

そんな家に帰るのがつらかった時期もある。

兄がとても繊細であり、気性も激しかったから、私は、できるだけ冷静な優等生でいようと決めたのかもしれない。

優等生であり続けることは大変でもあったけれど、親をホッとさせる一番の方法であり、自分もその立場を取り身を守っていたのかもしれない。

兄の奔放さに振り回されながら、兄のアーティスト気質に憧れながら、気を揉みながら過ごした日々。

そんな時を懐かしく思う。

結婚して実家を出て、旦那と過ごす中で、ありのままの自分に近づいた気もする。

ホッとできる相手と出会えたことを心から感謝している。

兄ももうまもなく50歳。

兄の気性は、波がありながらも、だんだんと丸くなってきた気がする。

年々穏やかになって気軽に話せるようになった中で気づいたことがある。

私も兄もおそらくHSP(ひといちばい敏感な人)であること。

もしかすると2人ともHSS(刺激追求型)かもしれない。

兄が繊細すぎて、私自身の繊細さに気づきにくかったけれど、昔から兄の考えていることが結構わかったし、だからこそ、兄の気持ちに寄り添ったり、親との間を調整できた気もするのだ。

そして今日面白いことがわかった。

見ているYouTube番組が結構かぶっていたのだ。

そして、私が昔興味があったことを今兄が興味を持ち、逆に、兄が昔夢中になったことに今私が夢中になっていることだ。

もしかして、私たち似ているところがあるかもしれない。

そんなシンプルなことに、今更ながら気づいたのだ。

兄のことが嫌いだった時期も実はあって、だけど嫌いだと認識することさえタブーだと思っていた。

嫌いになってはいけないと思っていた。

いや、嫌いというより、もしかすると、羨ましかったのかもしれない。

不器用で生きることが大変そうだったけれど、ダメな部分を見せても決して親に見捨てられなかった兄のことが。

私は、優等生であり、いい子であり続けることで親の愛を受けようとしていた。

だから、ダメな部分を見せてしまったら、がっかりされる気がして走り続けていたのかもしれないだ。

そのことを昨年のヒプノセラピーを受けた時に気がつくことができた。

もっと自分のことを母に見てもらいたかった、愛情をもらいたかった、そして、兄のことを疎ましく思っていたのだと小さい時の自分の気持ちに気づいて、癒すことができたら、結局は、母のことも兄のことも愛していたことに気づいたのだ。

今日は、それらを自覚したあとの久しぶりの再会だった。

そのおかげだろうか?

今日はとても穏やかに楽しく話ができた。

似ている部分も肯定的に受け止めることができた。

実家を出て、結婚してまもなく15年経つけれど、父、母、兄と家族で良かったなと改めて思うことができた。

そして、新しい私の家族、旦那と息子とも家族でいることを嬉しく思った。

「いい家族だったのだ」と本当は黒い部分もあると薄々気づきながら、限りなく白いイメージのパッケージでぐるぐる巻きにして思い込んでいた時よりも、「いいことも嫌なこともあったけれど、やっぱり家族を愛していたのだ」とグレーであることを自覚し、ふんわりと包み込み直したことで、心が少し軽くなった気がする。

過去は変えられなくても、どう捉えるかを変えることはできるんだなと実感したお正月の一日となった。


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