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「我思う、故に我在り」〜7月8日のことわざ日記

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7月8日の一言は、

「我思う、故に我在り」

われおもう、ゆえにわれあり


【意味】
あらゆる存在は疑うことができるが、そう考えている自己の存在だけは疑うことができないということ。

【詳しい解説・出典】
『方法序説』フランスの哲学者・デカルトの著書より。
「私は考える。だから私は存在する」という意味のことばから。

【注意】
「我思う、故に我有り」と書くのは誤り。

【英語】
I think, therefore I am.
(我思う、故に我あり)

参考 故事ことわざ辞典より

『方法序説 』について、調べました。

昔は、「信仰」によって真理を見極める力や、理性が身につくものだと考えられていたそうです。
つまり、神様を信じない人や、信仰を深く学べない一般人は理性もなく、物事の善し悪しも知らないと、見下されていたのかもしれません。

それを否定したのがデカルトです。
信仰に関わらず、理性を身に付ければ、文化や宗教が違っても理解し合えると記しているそうです。


デカルトはありとあらゆる学問を学びましたが、それでも、その学問の正しさを証明しようとすると、本当に正しいのか疑問を感じ、そのように疑い考える自分がいることは、否定しようもなく自分が存在している確かな証だと思ったようです。




そんなに真剣に、真理について考えたことがありませんでした。

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真面目な人なんですね〜デカルトさん。

学んでも学んでも、本当に?それ正しいの?おかしくない?ええー?納得できる?と思い続けているなんて。

『方法序説 』は私には難しくて、たぶん100回読めば全てがつながるかもしれないですが、この記事を書くためにサラッと調べただけで書ける気はしませんでした。

でも、この著書、当時の学者はラテン語で書くことが多かったのに、多くの人が読めるようにフランス語で書かれたそうです。

皆が理性を学び、分かり合える平和な世の中にしたかったのかな。と思うと、デカルトさん優しい方だったのかも?と想像しました。

心は一人ひとり別のもの。

笑って怒って泣いて悩んで、私って存在する意味あるの?と思うこと自体が自分が存在している証明。
自分の存在を否定することはできない。

自分が存在する意味は、周りの人から見た自分との関係性で変わるでしょう。

生きがいは、あってもなくても、生きていけます。でも、みんな生きがいを感じたい。

息をして心臓が動く限り生きている。
生きている限り、心も動く。

"生きがい"は心を持った人間だけが追い求めるものだな、と思います。
(猫や犬など動物にも心はあるけど、動物は生きがいは求めてなさそう、という意味です)

別に、大した理由がなくても、毎日ご飯が美味しければ、十分幸せですけどね。


哲学は難しい!!

以上!


二十八宿は以下のとおり。

この日の夕飯はコロッケ🎵

料理の手際が悪いのに、コロッケや餃子を手作りするようになった自分が不思議です。

玉ねぎもじゃがいもも、父がくれるし、どうせなら美味しく食べたいんだもの😋

カレーとポテサラ、じゃが明太チーズも、じゃがいものバター炒めもしたけれど、玉ねぎも傷んでくるから、コロッケにたくさん入れちゃおう!

作ってるところは必死だから、撮影不可💦

じゃがいもはレンジで10分加熱。

ひき肉を炒めて、玉ねぎも炒めて、じゃがいもと混ぜて形成したところです。

義母の教えにより、キッチンペーパーがわりに新聞紙で。

50個近く作って、雑に揚げたから、焦げたりしてるのもご愛嬌で。

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以上、我が家のコロッケ日和でした。

タイトル画像は「我思う」で検索しました。

内緒の関係さん?ありがとうございます😊

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この記事が、会話を盛り上げるきっかけになったら嬉しく思います😊

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