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『君の不幸が消えないならば、世界をひっくり返すまで。』第14話(改訂版)

第14話「この命」

す、と背筋が冷たくなっていくのを、あやめは感じた。

絶望が、小屋の中に満ちていく。
愕然とした表情になった小緑を、ぎゅうと抱き寄せながら、小夜は震える声を絞るようにして紡いだ。
「……どうして、急にそんな……」
次郎丸は、すっ、と目線をそらし、少し考えて……、
やがて、「隠してもしょうがねぇな」と呟いて、口を開いた。
「……兄者が、朝霧に殺された」
「えっ……」
これにはあやめもぞっとした。……自分の一族が、人を殺したその事実に。千年前は現代よりも簡単に命が奪われる時代だったというのはわかっているけれど。
身勝手に幸福を得ている自分の先祖がする殺しというのは、群を抜いて理不尽なもののような気がした。

「……太郎丸にいさまが?」
小緑がぽつりと、何が何だかわかっていないような表情で呟く。
「なんで……?」
「朝霧が“運良く”兄者の拠点を突き止めたんだ。ここも気づかれたかもしれない」
次郎丸の声は沈んでいた。当然だろう、実の兄を殺されたのだから。
ぽろり、と小緑の瞳から涙が零れ落ちた。
小夜は、静かに泣く小緑を抱きしめる腕の力を強めながら、更に問いかけた。
「だからといって、今夜襲撃するのは……」
「そうしねぇとまた“忘れる”んだ!!」
次郎丸が怒鳴った。怒っているというより、悲しくて苦しくてたまらないような声だった。
「ようやく思い出したんだ……半年前の三郎丸の時のことを!
目の前に死んだ三郎丸が倒れてたってのに、俺達は涙の一つもこぼせなかった!
絶対に仇を取ると誓っても、頭がぼうっとしてあやふやになって、すうっと闇に消えていっちまう!!」
そこまで叫んだ途端、次郎丸の全身からがっくりと力が抜けた。
まるで突然ねじが切れたかのような急激な変化に、小夜が慄いて声をかける。
「次郎丸さん……?」
次郎丸が、ぱち、ぱち、と瞬きをして……次の瞬間、はっと我に返る。
「ああ、まただ……また忘れかけた!!」
悲痛な声が、絞るように紡がれた。
「……今、一瞬、全部わからなくなった。兄者が殺されてんのを見た時の絶望も、朝霧への怒りも、何もかも……!!」
あやめは恐怖のあまり、一歩も動けなくなっていた。
……何か、得体の知れない強大なものの気配を感じたからだ。
(何が起きてるの……?)
わからない。情報が少なすぎる。……でも、この異常な状況の裏に朝霧の存在がある気がして、あやめは震えた。
「あぁ、だから俺は、もう今夜中に朝霧に一泡吹かせたいんだ。……本当は今すぐにでも、兄者の仇を討ちたいが、ただでさえ”運が悪い”俺達が少しでも優位に立つには、夜を待つしかねぇ……」
唸るような声で、次郎丸は頭をぐしゃぐしゃとかきむしった。
彼が衝動を必死で止めているのが、びりびりと伝わってくる。
「……俺たちは、物事の道理に背くような生き方はしてこなかったつもりだ。同じように苦しむ民同士、力を合わせて暮らしてるだけなのに……、それすら、朝霧は反乱の予兆だと言って殺して、それを悲しむことすら許されないってのは、酷すぎるだろ!
これ以上、黙ってるわけにはいかねぇよ……!!」
「でも、にいちゃん!!」
と、そこで小緑が震えながら声を上げた。
「朝霧は、あたしたちの幸運を奪ってるんでしょ?
じゃあ、いくら頑張ったって……!!」
「小緑!!」
小緑の言葉を、小夜が遮った。
彼女も静かに泣いている。けれどその瞳には、凛とした覚悟があった。
「引きなさい」
「でも、ねえさま!!」
小緑が悲鳴をあげる。それでも、小夜は首を横に振った。
「……次郎丸さん。せめて、私も後ろで守らせていただきます」
「……戦場に来ねぇなら、頼む」
小緑が、とうとう声を上げて泣き出した。

あやめは思わず耳を塞ぎたくなったけれど、必死で拳を握って耐えた。
(これが、朝霧の犯した罪の形……)
せめて自分は逃げては駄目だ。これが事実なのだから。
自分の姿がおそらくここにいる誰にも見えていないことが、歯痒かった。
茅早にしたように謝りたかったし、過去を知るためにあやめはきっとここにいるのだと、伝えたかった。あまりに絶望しているこの次郎丸という人を、泣いている小夜と小緑を、ただ見ているだけしかできないなんて。
命を投げ出してほしくない、と言いたかったけれど。
(でも……、今夜のこの襲撃こそが、朝霧家の繁栄を封じることになるから)
仮にあやめの姿がここにいる全員に見えていたとしても、止められなかっただろうとあやめは思った。
この人たちが命を懸けたからこそ、生じた奇跡があったから。
(それがわかっていても、命が消えるかもしれないことって……すごく怖い)
そんな覚悟をさせなければいけなかった事実が、ただただ恐ろしい。

と、次郎丸が動いた。
泣きじゃくる二人のそばに跪いて、ぎゅっと抱きしめる。
小緑が、わっと声を上げながら縋り付く。
小夜はといえば、突然のことに驚いたように目を見開いて、手を彷徨わせ……、結局、抱きしめ返さずに、床に震える手を置いた。
「……お前達には、感謝してるんだ。……俺が助けられた、数少ない命だから」
次郎丸が、ゆっくりと、言い聞かせるようにそう話し出す。
「お前達は、そうじゃなかったかもしれねぇが。
俺はお前達を、本当の家族のように思ってるんだぜ。
だから、生きていてくれ。
身勝手な願いだと、わかってはいるんだが……。
お前達がこれから少しでも幸せを拾い集めて生きていけるなら、俺はいくらでも命を投げ出せる」
一つ一つの言葉に、次郎丸の想いが込められているのを感じて、彼のことを殆ど知らない筈のあやめですら、次郎丸の人となりを、”まるで以前から知っていたかのように”ひしひしと感じて、涙がこぼれた。
(……なんて、優しい人なんだろう)
強面で背が高いから怖い人に見えがちだけれど、それを打ち消すほどの優しさが、彼の言動から滲み出ている。
これが、東一族の始まりの人。多くの人々のために命をかけた人なのだ。
「あだ、じもっ!!にいちゃんが、本当のにいぢや、ううん、父ちゃんだっだらっ、よかっだ!!」
小緑が、嗚咽まじりに応えた。
「飢えでみんな死んじゃっでっ、ひどりぼっちだっだっ、あだしをだすけてくれで育てでくれでっ、ありがどうっ」
もはや小緑の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、それを見た次郎丸はふはっ、と笑った。
「お前、ひでぇ顔だぞ。そら、拭いてやる」
懐から取り出した手拭いで、次郎丸は小緑の顔をぐしゃぐしゃと軽く拭いて、最後にちょん、と鼻を摘んだ。
ふがっ、と情けない声を上げた小緑に、次郎丸はけらけらと笑って……、それから笑みを消して、しみじみとこう言った。
「お前は、こうやって俺をよく笑顔にさせてくれたな。……ありがとう」
その言葉に、小緑の目から再び涙が溢れ出す。
泣きじゃくりながらしがみついた小緑を力強く抱きしめてやりながら、次郎丸は俯いたままの小夜を見やった。
「小夜」
その声にも、小夜は顔を上げない。ただ、落ちていく涙がきらきらと光っているのが見える。
そんな彼女に、次郎丸は静かに声をかけた。
「あんたは貴族の娘だってのに、俺たちに分け隔てなく接して、よく手伝いをしてくれてたな。……その力で、いつも俺たちを守ってくれてた」
「……大して力になんて、なれませんでした」
小夜がようやく、口を開いた。震えた小さな声だった。
「そんなことねぇよ」
静かに、けれど力強く、次郎丸はそう言った。
「お前に会えただけで、俺は本当によかったと思ってる」
その言葉に、小夜が弾かれたように顔を上げた。
「次郎丸さん、私は、あなたのことが……っ」
言葉の続きは、小夜の口の前に次郎丸が人差し指をぴっ、と差し出したことで掻き消えた。
「小夜、後生だ。……それ以上は言うな」
「っ……!!」
次郎丸は静かに笑っていた。あまりにも優しい微笑みだった。
小夜が、ぼろぼろと涙をこぼしながら、やっとのことで声を絞り出す。
「狡いですよ……っ!!」
「狡くて結構」
次郎丸はそう言いながら、ゆっくりと立ち上がる。
「これ以上は、俺に未練が残るんでな」
なおも迫りつこうとする小緑を引き離し、次郎丸はさっと素早く踵を返した。
「にいちゃん!!」
駆け寄ろうとする小緑を、小夜がぐいと引き止めた。
「離して、ねえさま!!」
泣き叫ぶ小緑を、小夜も泣きながら、それでも手を離さない。
小屋の入り口へと歩きながら、次郎丸は話し続けた。
「暫くすれば、男衆の一人がお前達を呼びにくる。それまでに荷物を纏めろ。拠点を移せ……俺達のそばにいちゃ、お前らが危ねぇからな」
覚悟を含んだ声で、次郎丸はそう言った。蔓でできた入り口をその手が掻き分けると、眩しい太陽の光が小屋の中に入り込む。
「次郎丸さん、せめて切り火を……っ!!」
声をあげる小夜に、次郎丸は少し振り返った。その表情は穏やかだった。
「いらねぇよ。……厄除けなら自分達にやりな」
「でもっ!!」
なおも言いかけた小夜に、次郎丸はまた笑った。
朝日のような、優しい優しい笑みだった。
「じゃあな、お前ら。……ありがとう」
言い終わるや否や、今度こそ次郎丸は小屋から出て行った。
小夜も小緑も泣き崩れる。
あやめも呆然と、次郎丸が出ていった小屋の入り口を見つめることしかできなかったのだった。
(続く)

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