見出し画像

『君の不幸が消えないならば、世界をひっくり返すまで。』第20話

第20話「火花」

万が一でも逃げることがないように、と縛られた次郎丸を見つめながら、朧は懐に忍ばせた煙玉をいつでも投げられるように構えていた。
やはり朝霧満彦は外道だ、と思う。次郎丸に語った「我々が正しく、お前達が間違っている」という話も、それに対して次郎丸が反発した際に言い放った「死ね」という言葉の冷酷さからも、倫理観をまるで持っていないのがよくわかる。今まで同じくだりを何千回と繰り返し見てきたが、これは未だに慣れない。
(この外道さが、千年経っても継承されることになるとは……)
その事実が悍ましい。この世界を変えなければ、朝霧の横暴を止めることはできないとわかっているけれど。
何度も殺され、その度に同じ時を繰り返しても、朧は変えることができなかった。
今の朧ができるのは、これから殺されそうになる次郎丸を煙幕で助太刀し、縄を切って逃すことだけだ。
これまで何度も何度も投げたから、どの辺りを狙えば煙がうまく広がってくれるかは掴めている。あとはタイミングを計るのみ。
鉄扇で殴られ続けて血だらけの次郎丸を早く助け出したいのは山々だが、下手に動いて殺され、時を巻き戻したことが何度もある朧は、ここでは耐えるしかない事をよく知っていた。

次郎丸は朝霧への怒りを奪われているから、碌に動けないでいる。
屋敷の使用人の一人が刀をすらりと抜き、次郎丸の目の前でその刀身を閃かせた。
朝霧家当主・満彦が、心底憐れんでいるような声で次郎丸に言い放つ。
「頭よ、今までよくその幸運で、我々の繁栄を手助けしてくれた。
だが、その素晴らしさを其方は理解できぬと刃向かう。
ならば仕方があるまい、望み通り、その命を散らすがいい」
「はっ!」
絶望的な状況下でも、次郎丸は嗤った。
「ここまで道理を知らねぇ奴は見た事ねぇぜ、この屑野郎」
「我らこそが道理だ」
「ほざけ」
次郎丸は吐き捨てる。
「てめぇがやってるのは、人の人生を土足で踏み荒らして滅茶苦茶にすることだ。
そんで、思い通りにならなきゃ殺す。まるでガキの思考だぜ」
「何だと……!!」
当主の顔が怒りに染まる。朧は人知れず感嘆のため息を吐いた。
(なんてすごい人だ……)
自分がどんなに絶体絶命でも屈さずに、堂々と自身の意見を貫き通す。
血の繋がりはなくても、これだけ格好良い人が、自分の一族の始祖だと思うと、朧は誇らしかった。
「もう良い、それ以上の御託はいらぬ!!殺せ!」
怒りのままに当主が叫ぶ。
そろそろだ、と朧は思う。使用人が刀を頭上で構えるその瞬間に煙幕をはる。そう思った時だった。

どす黒いものが、屋敷の上空を覆った。
「!!?」
皆が一斉に、唖然と空を見上げる。
朧も驚いた。……本来それは、もっと後で出てくるものだった筈だから。
ぱちん。そんな音を立ててそれが消えて。
キラキラと、色とりどりの輝きが降ってくる。
宝石が宙を舞うように。
「まさか……っ!!」
当主が青ざめた、その次の瞬間、次郎丸が動いた。
凄まじい勢いで起き上がり、目の前にある自分を殺すための刀で縄の拘束を切り、その刀を奪い取るや否や、風のように駆けて。
朝霧家党首の首元に、その切先を突きつけた。
「ぎゃっ!!?」
「誰も動くんじゃねぇ!!」
次郎丸の腹からの声に、使用人達が動きを止める。
そんな彼らにも、同じく動けるようになった男衆達が刃を向けた。
「動けばこの爺の首が転がるぞ」
次郎丸の声は怒りに満ちていた。
「ひいっ……!!」
情けない声を上げる当主を、次郎丸は嗤ってみせる。
「なぁるほど、これだけ恨まれてちゃぁ、その感情を奪いでもしねぇと生きた心地もしねぇな、当主様よぉ」
(……間違いない、呪いが解けている!!)
なぜこんなに早く、と朧は思う。……今まで繰り返してきた中で、こんなことは初めてだった。
これまでは、次郎丸が殺されかけた瞬間、朧が煙幕を張り、彼を縛る縄を切ってようやく、次郎丸の気力が戻っていたというのに。
このイレギュラーの理由は何だ、と考えても、思い当たる節は一つしかなかった。
「……あやめさん」
彼女もこの屋敷のどこかにいるのではなかろうか。
彼女が、この奇跡を生み出しているのではなかろうか。
そうとしか考えられない。だって彼女はあまりにも異質な存在だ。
”茅早の代わりに”この世界に呼び出されてしまったことからしても。
(あやめさんは、只者ではない)
一体何者なんだ、と朧が思った時だった。

くくく、と悍ましい嗤い声が鼓膜に届く。
「くくくくくっ、……ははははは!!」
朝霧家当主・満彦だった。次郎丸によって死の淵に立たされているはずの彼が、次郎丸達を嘲笑うかのように嗤っている。
その狂ったような様子に、朧は背筋が凍りついた。
(何かおかしい……!!)
この状況を、朧は初めて経験する。だから、これから何が起こるのかわからない。満彦が何を考えているのか、まるでわからない。
「……これで勝ったつもりか?頭」
嗤うのを止めた当主が、低い声でそう言った瞬間だった。
ボウッ!!と、次郎丸と満彦を隔てるかのように、炎の柱が吹き上がった。
「なっ……!!?」
次郎丸が飛び退る。これには朧も唖然とした。
(火の粉が丁度落ちて……、発火したのか!!?)
なんて運の良さだ。

……運の良さ?
ぞっと、朧の全身を悪寒が駆け巡る。
そうだ。さっき解かれた呪いは、人々の気力を奪うもの。
東一族を千年苦しめ続ける、不幸の呪いはまだ解けていない!!

ごうごうと噴き上がる炎の中から、満彦の声が響く。
「忘れるな!!この世は既に我らのもの。
輝かんばかりの幸運は、我らにあるのだ!!」
そう言い終わるや、走っていく足音がする。
「っ!!待ちやがれ!!」
逃げられることに気づいた次郎丸が、なんとか追いかけようとするが、”運悪く”炎に阻まれて近づけない。
それどころか、次郎丸達の周囲の炎が、段々と彼らにその手を伸ばしてきていた。
屋敷の使用人達が悲鳴を上げる。次郎丸について来ていた男衆達も、その表情に焦りを浮かべる。
朧はといえば、何度も殺されてきた身、特に何も恐れることなどなかったが、朝霧家当主のこのやり方には怒りを覚えた。
(味方すらも見捨てて逃げるとは……!!)
その非道さが許せない。けれどこの状況下では、追いかけることすら難しい。とにかく、朧は叫んだ。
「火の勢いが弱い場所を探せ!」
周囲の目が、ぱっと、朧に注がれる。次郎丸達は目を瞬かせ、使用人達からはどよめきが上がった。
「お、朧!!こやつらを逃す気か!!」
「さもなくば皆死ぬぞ!!まだわからんのか!?当主様は我々が死んでも何も思わない!!」
そう言い返せば、使用人達も前々からそのことには思い至っていたのだろう、苦しそうな顔をした。
朧は次郎丸を見やる。僅かに警戒している彼に向かって、朧は声をかけた。
「……所詮、朝霧の屋敷の者である我々を信じろとは言えません。
しかし、今は同じく命が危うい身。
我々が逃げる道を追いかけていただければ、ひとまずこの窮地は脱出できるかと思いますが」
「成る程、利害が一致しているというわけか」
次郎丸はしばし考えた後、仲間達に向かって声をかけた。
「仕方ねぇ。こいつらと一時手を組むぞ」
「お頭っ!!?」
「なんかありゃ、ぶっ倒せばいいだろうが」
だいぶ物騒なことを言われたが、朧は敢えてにこりと微笑んだ。
「その通りですね」
「お前……」
次郎丸が呆れたように呟く。
「俺が言うのもなんだが、変な奴だな」
「どうせいつかは死ぬ身ですから」
今回、また失敗すれば、遅かれ早かれそうなる。
最早それは、朧にとって当たり前だった。


色とりどりの輝きが消えていくのを見届けて、あやめが一つ息を吐くと、不思議そうにこちらを見上げる小緑と目が合った。
「……おねえさんは、だれ?」
「あ、そっか。さっきようやく見てもらえたんだったね」
不安そうな小緑を安心させようと微笑みながら、あやめは口を開いた。
「あたしは、あやめ。千年後の未来からきたの」
「えぇっ!!」
小緑が目をまあるく見開く。無理もないな、とあやめは笑った。
「信じてもらえないと思うけど、ほんとだよ」
小緑はまじまじと、上から下まであやめを眺めてから、やがて小さく呟いた。
「……信じられないけど、信じなきゃいけない気がする」
それは、自分に言い聞かせているかのような声だった。
「”風車の歌”に、あったから」
「え?」
あやめが聞き返すと、小緑は一節を歌う。
「”ちとせの想いを巡らせて”……って。おねえちゃんがそうなんじゃない?」
「あっ」
あやめはハッとした。言われてみれば、あやめはそうだ。
でも、朝霧家の子孫であるあやめに、千年の想いなど流れているのだろうか。
「あたしは……」
あやめがどう答えていいかわからないでいると、小緑が手を伸ばしてきた。
「ねぇ、おねえちゃんは何だか透けて見えるけど……」
「あっ、あたしのことは、さわれな……」
言いかけた言葉は途中で途切れた。

あやめの手が、すぅ、と小緑の手の中に入り込むようになったから。
「!!?」
「わっ、何これ!?」
小緑が素っ頓狂な声をあげる。
あやめは驚愕し、急いで小緑から離れようとした。
けれど、あやめの意思に反して、あやめの身体は吸い込まれるかのように小緑へと近づいて。
ぽん、と間の抜けた音を聞いた瞬間。
『えっ』
気がつけば、視界が低くなっていた。

「あれ!?あやめおねえちゃん、どこ!?」
小緑の声に合わせて、あやめの視界も左右に揺れる。
……まるで、あやめが小緑の中に入り込んだかのように。
『……うええぇぇぇっ!?』
それに気づいて、あやめが叫んだ声は、ぼわぼわとやけに響いた。
「えっ」
小緑も気づいたようだ。そっと胸に手を当てる感覚がして、あやめは五感を小緑と共有していることに気づく。
「……おねえちゃん、あたしの中にいるの?」
『ご、ごめんねぇぇぇ!!』
あやめは必死に謝り、何とかしようとしたけれど。
必死に自分自身の身体を動かそうとして、その感覚すら消えていることに気づく。
『えっ、ど、どうなってるの……』
それどころか、自分の意思で目線を動かすことすらできない。
「出られなくなっちゃったの?」
小緑の声がした、その時だった。

「……それは、どういうこと?」
背後からした涼やかな声に、小緑がぱっと振り向く。
同時にあやめの視界も回転した先には、小夜が立っていた。
「ねえさま!!」
先ほどに比べて顔色の良い小夜に、小緑は嬉しそうな声をあげるが、小夜の表情は険しい。
「……教えて、小緑。あなたの中にいるのは誰?」
『あっ……』
(そっか、小夜さんにもあたしの存在は感知できるようになったのね)
あやめの予想通り、朝霧の屋敷に入ったからこそ。
(でも、この状況、あたしってかなり不審者なんじゃ……)
あやめが思った通り、小夜はじっと、小緑の中にいるあやめを見つめるかのようにして口を開いた。
「……何者だか存じませんが、即刻小緑から出て行きなさい」
『いや、あの、あたしもそうしたいんですけど……!!』
そう言いながらあやめは必死に動こうとした。けれど小緑から出ていくことはおろか、自分の意思で動くことさえできない。
まるで小緑の中に封印されてしまったような感じすらする。
それを感じるのか、小緑が庇うように口を開いた。
「あやめおねえちゃんにも、どうすればいいかわからないみたいなの」
「あやめおねえちゃん?」
ぴくり、と小夜の眉が動く。小緑はこくこくと頷いた。
「敵じゃないよ。おねえちゃんのおかげで、呪いを解けたんだから」
「え……?」
そこでようやく、小夜から滲み出ていた警戒心が、ほんの少しだけ薄れる。
「……それは、本当なの?」
その瞳も、不思議そうに瞬いている。
うん、そうだよ、と小緑が大きく頷いた。
「あやめおねえちゃんが教えてくれなきゃ、風車の呪いの大元を見つけられなかった」
「それは一体……」
小夜が尋ねかけた時だった。

「あら、随分落ちぶれたわね、小夜」
きんきんとしたその声に、小夜と小緑がハッと声のする方を見る。
あやめも小緑につられてまたもや視界が揺らぎ、少し気持ちが悪くなった。
そこには、大勢の女官達を連れ、扇を口元に当てた、あの高飛車な姫君がいた。

(続く)

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いいたします!小説家として、そして尊敬する方といつか一緒に働くために精進する所存です✨