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『君の不幸が消えないならば、世界をひっくり返すまで。』第18話

第18話「炎」

満月のおかげで、山中でも前方が見やすい。
せめて供の者をつけてください、と泣く女性たちに「言いつけを破るのは私たちだけで充分です」と言って、小夜は小緑を連れ、朝霧の屋敷へと向かって走っていた。
二人には見えていないので知る由もないだろうが、勿論、あやめもついて来ている。
「これだけ明るい光があるのは、私たちにはありがたいことだけれど……、」
走りながら、小夜が不安そうに眉を寄せた。
「次郎丸さんたちにとっては、分が悪いわ。闇に紛れて動けない……」
「急がなきゃ。急いで術を解かないと!!」
小緑が、はぁはぁと息を荒げながらそう言った。
女性たちと別れてからここに来るまで、急斜面や足場の悪い道を越えてここまで来た。いくら足が速くても、小緑はまだ子どもだ。
大人でも大変な山道を急ぐのはきついだろう。
あやめが心配していると、小緑の後ろを走る小夜が声をかけるのが聞こえた。
「小緑、辛くなって来たでしょう。少し休みましょう」
「だい、じょぶ!!」
小緑はそう声を振り絞った。
「そんなことしてる間に、にいちゃんたちに何かあったら、大変だからっ」
(そうだよね……)
既に夜になってしまった。朝霧の屋敷への襲撃がもう始まっているかもわからない。一刻も早く屋敷に辿り着いて、小緑が生み出した”風車の歌”の通りにしなければ。男衆たちの命はもう、いつ消えるかわからないのだ。
(あたしにも、何かできるといいんだけど……)
さっきから誰にもその存在を感知されず、特に何もできていないあやめは唇を噛む。
(役立たずにはなりたくない。……朝霧の子孫として、何かできることがあれば……!!)
あやめがそう思った時だった。

「うっ……!?」
前方を走っていた小夜が突如立ち止まる。
「ねえさま!!?」
小緑が振り返る。小夜は顔面蒼白だった。
「っ……!!はぁっ、はぁっ……!!」
息も絶え絶えになって、小夜はその場に蹲る。
あやめと小緑が駆け寄ろうとした瞬間。

ぶわり、と小夜の周りを黒い風が覆った。

『ぎゃぁっ!!?』
「ひっ……!!?」
小夜のすぐ近くにいたあやめは、直感的にそれがまずいものであると悟って飛び退く。
小緑にも見えているらしい。必死に風を避けつつ、その口から小さい悲鳴が漏れた。
黒い風はひゅっ、と小夜の身体に入り込み……やがて色とりどりの光を伴って、再び外に出てくる。
『あの光は……!!?』
何かとんでもなく大切なものが、まるで黒い風に囚われているように見えて、あやめは焦る。
手を伸ばそうとしたけれど、それを避けるように動いた黒い風は、すごい勢いで飛んでいってしまった。……小緑たちが目指していた、朝霧の屋敷の方へと。
(何、今の……!?)
「ねえさま!!ねえさま!!」
小緑があわてて小夜に駆け寄る。
小夜は必死で息を整えていた。その瞳はゆらゆらと不安げに揺れている。
(何があったの……!?)
何かとんでもなく悪いことが起きたような気がして、あやめは知らぬうちに自分の胸を押さえていた。
……と、小夜が小さく口を開く。
小緑とあやめはハッとして耳を澄ませた。
「……私……、どうしてここに?」
「えっ……」
『!!?』
あやめは唖然とした。……小夜の口ぶりが、本当に何も分かっていないかのようだったからだ。
「ねえさま……?」
小緑の震える声に、小夜は苦しげにぱちぱちと瞬きをしながら、額を押さえる。
「……次郎丸さんたちが危ない、そのことはわかっているの……。
でも、どうしてかしら……、心が動かない、何も感じない……」
「!!」
小緑がひゅっと息を呑む。あやめも、似たようなことを言っていた次郎丸のことを思い出していた。
ーーー……今、一瞬、全部わからなくなった。兄者が殺されてんのを見た時の絶望も、朝霧への怒りも、何もかも……!!
(同じことが起きてる!?)
だとしたらそれは、朝霧の……!!
「今の……」
小緑が怯えながら呟いた。
「あたしが、朝霧のお屋敷で見た、風車の周りの黒いものとそっくりだった……っ」
(それって……!!)
あやめは思う。先ほどの小夜の言葉を借りるなら、それは。
「呪いの念……」
小夜は呆然と呟いて、ハッと顔を上げる。
「なら、次郎丸さんたちはもっと……!!」
そうだ。朝の時点でそうなりかけていた次郎丸たちは、もっと危ない。
小緑も、額に汗を浮かべて呟いた。
「急がなきゃ……!!」
小緑に支えられるようにして、小夜がゆっくりと立ち上がる。その顔色は未だ悪く、先ほどのように急ぐことはできそうになかった。
と、前方にゆらめく色を捉えて、あやめは目を見開く。
(あれは……炎?)
オレンジ色に光るそれ。風に乗って、焦げ臭い匂いが漂ってくる。
まるで、木が焼けこげるような、そんな匂い。
「思ったより、朝霧のお屋敷の近くまで来ていたみたいね……」
小夜が呟く。その足取りはふらふらとおぼつかない。……まるで大切な何かを失ったかのような危うさに、小緑がおろおろとする。
それに「大丈夫よ」と呟いて、小夜は前方を見据えた。
「もし、次郎丸さんたちもこんな状態なら……きっと、戦いにすらなっていない」
だから急がなくては、と続ける小夜に、小緑は泣きそうな顔をした。


がちん、と心に枷が付けられたかのようだった。
「っ!?」
炎に包まれた屋敷に突入したその瞬間、急に力が抜けたかのようになって、次郎丸たちは一人残らずその場に崩れ落ちた。
「何だこれは……っ!?」
男衆たちが騒めく。次郎丸はこの感覚をよく知っていた。
(感情が……ぐちゃぐちゃだ)
先ほどまで何を感じてここに来たのか、わかるようでわからない。
考えようとしても、靄がかかったように思考が纏まらない。
ぐるぐると回る視界の奥で、大切な何かが消えていったような気がした。
それが何だったのか思い出せもしないことが恐ろしい。
他の皆もそうなのか、一様に困惑した表情で胸を押さえている。

と、そこへ、高らかな笑い声が響き渡った。
「はははははっ、無様だな、罪人ども」
大勢の使用人達を伴って現れたのは、薄気味悪い笑みを浮かべた老人だった。
「私は、朝霧満彦。この朝霧家の当主である」
(こいつが……!!)
朝霧の親玉、そして恐らくは全ての呪いの元凶。
次郎丸の心に怒りが渦巻いて……、ふっ、とどこかに消え失せる。
「っ……!!」
これはまずい、と次郎丸は思った。
どういう絡繰だか全くわからないが、戦う気力すら奪われている。
しかも立ち上がれもしない。このままではむざむざと殺されるだけだとわかっているのに、その焦りすらやがてわからなくなる。
「訳がわからないといった顔だな。……冥土の土産に教えてやろう」
朝霧の当主はニタリと笑みを深め、語り始める。
それはあまりにも異常で、常識では測れないものだった。

「お前達は”気”を奪われているのだ。
人の体に流れている気力、物事を行うための力をな」
「はっ!!」
次郎丸は嗤った。そんな事をされたということ自体に、そして、それがわかっても動けない自分が情けなかったからだった。
「そうして、自分達に刃向かう奴らを黙らせてきたってことかよ……!!」
消えそうな怒りをかき集めて、振り絞るような声でそう言った次郎丸に、牢屋は心底不思議そうな顔で言い放つ。
「何を言う?
お前達のその感情は、この世に必要のない無駄なものゆえ、我々が消してやっているだけであろうが」
「……は……??」
あまりのことに言葉をなくす次郎丸に、朝霧家当主は眉を寄せた。
「成る程、そう思っているから、このような愚かな真似に出たということか。
よく聞くが良い。この世の理は全て、もはや朝霧の、私のものとなったのだ。
私が思う通りに物事は動く。やがてはこの国の全てを我が物にできるだろう。
それは神が私にこの力を与えたがゆえ。私がすることは全て、神に許されているのだ」
満月を背にし、両手を上げて高々と言い放つ朝霧家当主のその声からは、自分のことを微塵も疑っていないことが伝わってきて、次郎丸は唸るように呟く。
「狂ってやがる……!!」
「まだ言うか」
満彦は次郎丸をひたと見据えた。冷酷なほど静かな瞳が、す、と細まる。
「数十年前、藤原道長は満月を見てこう歌を詠んだ。
『此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も なしと思へば』と。
当時幼かった私はそれを聞いて感銘を受けた、私もそのように世を動かしてみたいと思ったものだった。
果たして神は我が祈りに応えた!!この世に生きる全ての者の想いを、我が手中にできるようになったのだ!!
それ即ち、我が心が神の望む通りであるということ。
それに刃向かわんとするお前達が”異常”なのだ」
「てめぇ……!!言わせておけば!!」
衝動のままに次郎丸は立ち上がり、老爺に向かって行こうとしたが……、それも叶わず、がくりと膝をつく。
がり、と唇を噛んだ次郎丸を見下ろしながら、満彦は心底憐れむように口を開いた。
「それも無駄だというのが、まだわからないのか。
お前達のしていることは全て無駄だ、無駄に過ぎん。
この世を正しく導こうとする我々の役に立てているというだけで、その身の穢れも幾分か祓われるというのに、何を怒り狂うことがあるのだ。
お前達ができることは我々の繁栄を支え、その命をもって我々に奉仕し、懸命にその命を燃やすことだけだ。
それを仇だの何だのと、訳のわからぬことばかりほざき、私に手間をかけさせおって!」
満彦はさっと懐から鉄扇を取り出し、それで次郎丸をばしりと打った。
そこまでの力でもなく、普段の次郎丸であれば簡単に避けられたはずの一撃は確かに当たり、次郎丸の額からは”運悪く”血が吹き出した。
それでも流れ落ちる血など構わず、次郎丸はぎろりと当主を睨みつけた。
「何度でも言ってやるよ。……てめぇは間違ってる」
満彦の顔が一瞬で憤怒に染まり、ばしり、ばしりと鉄扇が翻る。
それでも次郎丸は怯まなかった。
「神も仏も、その通りを教えねぇっていうんなら、俺がいくらでも教えてやるよ!!
お前のその力は身勝手だ!!そんな力がのさばっていいはずがねぇ!!」
「……そうか」
満彦の動きがぴたりと止まる。
「お前は生来運が良く、私たちの繁栄をよく助けてくれていたから、できれば殺したくなかったが……」
冷酷に、満彦は言い放った。

「もう良い。死ね」

ぱちり。
木が炎に飲まれて爆ぜる音が、やけに大きく響いた。

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