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『君の不幸が消えないならば、世界をひっくり返すまで。』第13話

第13話「新たな風」

茅早が持っていた緑の勾玉が光った、と思ったら。

いつの間にか、深い霧が立ち込める竹林の中に、あやめは立っていた。
早朝特有の澄んだ空気の中、遠くで鳥の声が聞こえる。

「!?」
おかしい。さっきまで雨の降りしきる橋の上で、茅早に謝っていたはずなのに。
それが全て夢だったかのように、あやめの服も髪も、今は全く濡れていない。
そして、何故か握られている右手の中に、何かがある感触があった。

恐る恐る右手を開いて、あやめは唖然とする。
「茅早の勾玉……!」
緑色の、朧のものとは逆向きの勾玉の首飾り。
触れもしなかったはずなのに、どうしてあやめはこれを持っているのだろう。
(というか……、ここはどこ?)
さわさわと、竹の葉が揺れる音がする。時折、竹の幹同士がぶつかり合うのか、コン、コン、と軽い音が響いている。
それでも、深い霧は晴れることを知らないかのように、鬱蒼とその手を広げていた。

……と、軽い足音がした。
はっとあやめが振り返ると、霧の中から現れたのは、ぼろぼろの着物を着た、年端もいかない女の子だった。
たったったっ、と走ってくるその身体は、驚くほど痩せていて。
あやめは思わずぎょっとして、真っ直ぐこちらに駆けてくるその子を避けるのが遅れてしまった。
けれど、ぶつかる、と思った刹那。
すっ、とその子はあやめの身体を通り抜けた。
(!!)
あやめははっとした。……同じようなことが、先日あったことを思い出す。
まさか、と思い、女の子の方を振り返ったが、その子はあやめに気が付かなかったかのように、立ち止まりもせず走っていく。
その子を見たのは初めてだった。初めてのはずなのに……、何だかとても懐かしい気がして、あやめは訳がわからなくなった。
(どういうこと……?知らないのに、知っているような……)
そうこう考えているうちに、女の子の姿は霧に包まれ消えていく。
なぜか、見失ってはいけない気がして、あやめは慌ててその後を追った。

(ここは……、朧さん達がいた、昔の朝霧の屋敷とは思えない)
あの屋敷も広かったが、こんな竹林は見たことがない。それに、屋敷中に置かれているという風車が一つも見当たらない。
これまでとは、きっと違う。そんな確信が、あやめの心に芽生えていた。
(とにかく、あの女の子を見失わないようにしなきゃ。こんな霧の中に置いていかれちゃ、どうしようもなくなっちゃう)
幼く、痩せている割には足の速いその子にやや面食らいながら、あやめは走る速度を上げた。

どのくらい、走っただろうか。

突然、霧の中に光が差し込んだ。
「うわっ…」
乱反射による眩しさで、思わず目が眩む。朝日だった。金色の太陽の光が、霧を散らしていく。
それと同時に、あやめは竹林を抜けていた。

少し竹林が開けたところに、草や木の枝でできた粗末な小屋のようなものがちらほら建った、一種の集落のような場所に、あやめは出てきていた。
(何、ここ……)
現代ではまず見ることのないそれらに、あやめは言葉を失くした。
これでは、雨風を凌げているかもわからない。なんとか寝るためだけに作られたような、そんな印象すら受けた。
その小屋のうち、他よりやや大きいものの中に、女の子は躊躇いもなく入っていく。あやめも慌てて後を追った。
女の子がしたように、小屋の入り口にかかっているカーテンのような蔓をかき分けようとして、すい、と身体が通り抜けてしまい、あやめはつんのめって転んでしまう。
うまく受け身が取れず、すごい勢いで顔面が地面に打ち付けられた…はずなのだが、痛みはおろか衝撃すらも感じない。
(そっか…やっぱりあたし、ここでも”魂の存在”なのね)
改めてそのことに気がついて、気を取り直して起き上がると、薄暗く狭い小屋の中で、女の子が音を立てずにそうっと、布きれに潜り込もうとしているのが見えた。

と、静かな、それでいて嗜めるような声が響く。
「小緑」
その声に、女の子がぴゃっと飛び上がって、恐る恐るそちらを見やった。
隣同士で敷かれたぼろきれの布団から起き上がった、あやめより少し年上くらいに見える少女が、困ったようにその子を見ている。
「また勝手に抜け出したのね」
「ご、ごめんなさい、ねえさま…」
小緑と呼ばれた女の子の声には、独特の抑揚がついていた。
「でも、あたし、どうしてもにいちゃんの役に立ちたくて…!!」
「それが駄目だと言ってるでしょう!」
周りの小屋の住人を憚ってからか、囁くような声で、それでも少女はぴしゃりと言い放った。
「次郎丸さんのお仕事は、本当に危険なのよ。だからあの人もあなたを連れて行かないでしょう」
「わかってるけど……ちょっと見に行こうとしただけだよ。途中で見失っちゃったけど……」
「それでもだめ」
小緑の肩に手を置いて、少女は諭すようにゆっくりと言葉を続けた。
「あなたに何かあったら、私も次郎丸さんもすごく悲しむわ。あなたはまだ幼いのだから、私を手伝って、ここで待ってるだけにしてちょうだい。ね?」
「はぁい……」

渋々頷いた小緑を見ながら、あやめははたと気づいた。
(今、”次郎丸”って言ったよね……?)
朝霧家の巻物にも、同じ名前が書かれていた。
(朧さんが逃した、朝霧家に刃向かった人達のお頭の名前と同じ……)

朧の勾玉が光って、元の世界へ戻る直前、あやめは願った。
別の視点から物事を見たい、東の始祖となった人たちの考えが知りたい、と。
一度元の世界に戻ったものの、あやめはこうしてここに、今までとは別の場所にいる。
そこで、東の始祖の一人の名前が出たというのは、偶然とは思えなかった。

(それに……なんでかわからないけど、茅早の勾玉を持って来ちゃってる)
ひとまず無くさないようにと、ベストの裏ポケットに入れた茅早の勾玉に、布越しにそっと触れてみる。
ことり、と硬い石の感触。
(これが生まれた経緯を、あたしは知りたいわけだけど……)
ここでわかるのだろうか。そう思った矢先、小緑の抑揚のある言葉が鼓膜に届いた。

「小夜ねえさまは、置いてかれるの嫌じゃないの?」

あやめは一瞬、自分の耳を疑った。さよ。小夜って言った?
と、いうことはつまり。目の前にいる少女が、朝霧家の繁栄を封じたとされる人ということか。
これはつまり。
美鈴の言葉を借りるなら、ここに、東一族の始祖が住んでいるこの場所に、”呼ばれた”ことになるのではないか。
朧が、彼の勾玉の力で呼ばれたように、あやめも。
「……そうね……」
少女……小夜の静かな声に、あやめははっと意識を戻す。
見れば、小夜は何度か口を開きかけては閉じてを繰り返し……、やがて、ふっ、とため息を一つついて、こう言った。
「平気でない時も、勿論あるけれど……、私が行ったところで、あの人がいつも言う通り、邪魔になるのは目に見えているから」
「でも、あたしは悔しい!」
小緑が、ばっと顔を上げて訴えた。
「あたしも皆も、幸せを朝霧って人達に奪われたのに、それがわかってるのに何もできないなんて嫌だよっ!!あたしだって、あたしたちと同じように苦しんでる人たちの役に立ちたい!」
「小緑……」
悲痛な面持ちで、小夜は小緑の髪を撫でた。
「気持ちはわかるわ。痛いほどよくわかる。……でもね?私達が足手纏いになって、次郎丸さんたちが怪我をしたら大変でしょう」
それに、と続けながら、小夜は両手を皿の形にした。
すると……、どこからともなく、光がその手に集まってきて、ぽうっ、と丸くなっていく。
やがて光が消えると、その手の中には、とても綺麗な石が入っていた。
「私のこの霊力……、といっても、朝霧家の力には到底及ばないけれど。
でもこれを使えば、私たちの思いは持っていってもらえるでしょう。
私たちの強い思いが、次郎丸さん達を、禍いから少しは守っているのよ。
だから……私達は、何もしないでただ待っているだけではないわ」
聞いていて、あやめはなるほど、と思った。
(人の思いを形にする力がある、みたいな感じかな?)
きっと、今あやめが持っている茅早の勾玉も、もしかしたら朧のものも、こうして作られたのだろう。

「……ねえさまはそうやって力になれてるからいいかもしれないけど」
小緑が、消え入りそうな声で呟いた。
「あたしはなんにも、できてないよ……」
「小緑……」
小緑の声色に隠された思いが、なぜか鮮明に感じられて、あやめは自分まで苦しくなった。
(そうだよね。もっと力になりたいのが普通だよね)
でも、小夜が言うことは正しい。小緑はあまりにも幼く、そして体つきを見るに非力だと思う。
次郎丸という人が何をしているのかはわからないけれど、まだ十を過ぎたくらいにしか見えない女の子がついて行っていい話ではないのだと思う。

(それでも、何かしたかったんだね)
そう思ったら、何だか自分の心が落ち着いた気がして、あやめは首を捻った。
(……あたし、なんでこんなに、この子の気持ちになって考えるんだろう)
立場を慮って、というより、まるで小緑の気持ちが手に取るようにわかるような、そんな感覚さえする。
どうしてなのか、自分の心に尋ねようとした時だった。

ざわり、と外の木々がざわめく音がした。
風などの自然音ではなく、人がこちらへやってくる音。それも、大勢の気配がする。
小夜と小緑が、ぱっと小屋の入り口を見やる。程なくして、殆ど音を立てずに、青年が小屋の中へと滑り込むように入ってきた。
「おかえりなさい、次郎丸さん」
小夜が彼に声をかける。あやめはまじまじと青年を見つめた。
(この人が……)
朝霧家に歯向かった人達の頭。その肩書きの印象とは異なり、夜の影のような静けさを纏っているように、あやめは思った。
「ああ……」
次郎丸はそう応えただけで、黙り込んでしまった。……まるで、言葉を探すように。
その強面の表情の裏に、隠しきれない苦しみを見たような気がして、あやめはじっと彼を見つめた。
そうすることしか、あやめにはできない。どうやら彼も、あやめのことが見えていないようだから。ここは成り行きを見守るしかない。
小夜も次郎丸の様子がおかしいことに気づいたようで、眉を顰めて尋ねた。
「……何か、ありましたか?」
その言葉に、次郎丸はぴくりと眉を動かして。
数十秒の静寂の後に、ぽつりと呟くように、けれど覚悟を決めた、力強い声を発した。
「お前達と俺は、今日をもって別れる」
「え……?」
その言葉に、小夜は表情を凍りつかせ、小緑は呆けた声を出した。
「にいちゃん、それ、どういうこと……?」
困惑する小緑を、ちらと一瞥し、次郎丸は静かに告げた。
「……俺は今宵、仲間達を伴って、朝霧家を襲撃することにした」

びゅう、と風が吹き荒ぶ音が、やけに大きく響いていた。
(続く)















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