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『君の不幸が消えないならば、世界をひっくり返すまで。』第12話

第12話「慟哭」

呪いの風車に封印された、沢山の人達の幸運。
それを東一族の始祖・小夜が、風車を回したことで人々に返したという。

(それじゃあなんで、東一族は今も不幸なの?)
完全に呪いを断ち切れなかったからだ、と思っていたが、この巻物を読む限りそうではないように思える。
(問題はこの後ってことか……)
これだけ自分達の行いを正当化している先祖達が、小夜という人のしたことを知って、何もしないとは思えない。

それに、一度術が解かれたからといって、市井の罪なき人々の幸運を奪えるほどの強大な力を持つ陰陽師だった朝霧家が、ここまで怒りを認めるほど弱体化するとは思えない。
……何か、からくりがあるはず。
そう考えながら、あやめは崩し字を追った。

『我々が、術が解かれたと気づいた時、あの娘はすでに次の手を打っていた。その僅かな霊力により、恐れ多くも陰陽術の真似をして、我らのこの先の永遠の繁栄ごと、勾玉に封じ込めたのだ』

「勾玉……?」
朧が持っていた、あの勾玉のことかと思ったが、何だか違う気がする。
若干の引っ掛かりを覚えながら、あやめは続きを読んだ。

『完全に出し抜かれた。捕らえようとしたが、やつれた小娘に邪魔をされた。小夜も、愚かな民達のお頭も、取り逃してしまった。捕縛していたお頭が逃げ出さなければ、どちらの命も奪うことができたのに』

どす黒い文字が、書き手の怒りと東への恨みを表しているようで。
本当に人々の幸せを手中に収めていた人達だというのもあって、とても恐ろしい。

『幸い、朝霧の者達に大事はなかったが、繁栄を奪う呪いをかけられたことは大きい。よって我々は、新たに東一族に術をかけた。
……東の命をもって、我ら朝霧家に報いるように、と』

「は……」
心臓が凍りついたような気がした。
(命をもって報いる?)
それは、人を殺す呪詛ということではないだろうか。

茅早は言っていた。両親は交通事故で亡くなり、そのせいで兄は今も意識不明だと。
(まさか、それが……)
ーーー朝霧によって、仕組まれていたことなら?
予感はいつも通り、的中した。

『東一族の命は最早穢れ切ったもの。この世に生じていてはならぬもの。全てを元の流れに戻すためにも、東の幸運を奪い、生きる道を閉ざせば、また我らの繁栄は約束される』

凍りついた心臓が、圧迫されていくような感覚がする。
どうやって息をしていたか思い出せなくなって、目の前がぐらぐらと揺らいで。
何度目かわからないけれど、あやめは自分の一族が心底屑だと思った。
(この人達は……、他の人の命なんて塵くらいにしか思ってないんだ)
そうでなければ人から幸運を奪い、自分達の不幸を植え付けて、更には命までも思うがままにしようとなんてしないだろう。

そこで、あやめは思い出した。
茅早と出会った日のことを。
あの時あやめがあの場にいなければ。少しでも到着が遅れていたら、茅早は死んでいた。
……それも、あやめの先祖がかけた呪いだったのか。

(ごめん……茅早、ごめんなさい……!!)
ここにはいない、唯一の友人を想う。
あやめは本当に何も知らなかった。でも、知らなかったで済まされるような話ではない。
千年もの間、あやめの家は茅早の一族を呪ってきたのだ。
呪いさえなければ、きっと茅早は、あんなに壊れたような笑い方をする人生にならなかった。
茅早の両親も朧も、今も健在で、家族で笑い合っていたかもしれない。少なくとも、今ほどの不幸を味わってはいなかった筈だ。
自分の先祖が施した呪いを知った今、自分には何ができるのだろうか。
あやめは考える。巻物を読み進めるのに夢中になってしまったけれど、さっき、何か引っかかったことがあったような。

(……そうだ、勾玉)
朧が持っていた、”過去に起きたことを教える”勾玉と、巻物に書かれた”朝霧の繁栄を封じた勾玉”は、違うのではないかと思ったのだった。
(もう一つ、勾玉がある?)
朧はそんなことは口にしていなかったし、勾玉を二つ持っているようには見えなかった。
(まさか……)
ーーー茅早が持っているとか?
頭より先に、心がその仮説に行き着いた。

ばくばくと心臓が壊れそうな音を立てているのも構わず、あやめはゆっくりと立ち上がった。
(茅早に、会わなきゃいけない)
もう一つの勾玉があるなら。茅早がそれを持っているなら。
”朝霧家の繁栄”を封じ込めているその勾玉は、本来ならば朝霧の手から何としても守らなければいけないもののはずだ。
あやめは繁栄を取り戻したいなんて微塵も思わないが、これが父や祖母に知られたらどうなるだろう。
身勝手な彼らなら、茅早に何をしてでも、一族の更なる幸せのために勾玉を奪おうとするだろう。
(あの人達は”運がいい”。……いつ、茅早のことに気づくかわからない)
ただでさえ大事故の被害者になりかけた二人として、あやめと茅早は同時に警察に事情聴取を受けている。
今は、あやめが助けた人間のことなど無頓着のように見える祖母達だが、いつ茅早のことが、茅早が東であることが知られるかわからないのだ。

だから、茅早にはあやめの前から逃げてもらわなければならない。
そう考えた瞬間、ずきり、と心が鋭く痛んだ。

(茅早……、)
あやめが幸運を与えられる唯一の人。唯一の気の置けない友達。
全てを知れば、絶対に茅早はあやめを拒絶するだろうし、どんな言葉も届かなくなってしまうかもしれない。それは当然だと思う。
(それでもあたしは…、ちゃんと謝りたい)
ふらつく足を叱咤して、あやめは倉から出て、玄関へと向かう。
謝ったところで何も解決なんてしない。茅早の苦労は帳消しにはならないし、茅早の両親は生き返らない。
(でも、きっと、これまであたしの一族は、誰も謝らなかったから)
それどころか、呪いを当たり前のものだと思っていたのだろう。自分達の欲望のために。

外は土砂降りの雨だった。
ざぁざぁと降り頻る雨粒がアスファルトにぶつかり、跳ね飛んでいる。横殴りの風のせいで服が濡れても、あやめは気にもならなかった。
茅早が今、どこにいるかなんて、あやめは知らない。でも、このまま進んでいれば会えると思える。
(あたしは、運が良いから……)
東一族から奪い取った幸運で、あやめは茅早を引き寄せる。

前方でばしゃり、と靴が水たまりを踏む音がした。
あやめが顔を上げると、そこには、傘も差さずにずぶ濡れの茅早が、俯きがちに立っていた。
濡れた前髪で、その表情は見えない。
あやめは改めて、自分の幸運が恐ろしくなった。
自分の思った通りに、願いもしなくてもあやめに都合のいいように、物事が動いてしまう。自分の家からそう遠く離れてはいないこの橋の上で、もう探し人に会えてしまったこの事実が、とても怖かった。
茅早に、何から話せばいいのだろう。真っ先に謝りたいけれど、彼にはなんの話かわからないかもしれない。
それでも口を開こうとしたあやめを、茅早の言葉が遮った。

「……どこまで知ってた?」
地を這うような低い声。思わずぞっと背筋が凍るほどのそれに、あやめは一瞬で理解した。
(茅早はもう……わかってるんだ)
もう、あやめの言葉は何も届かないかもしれない。
そう感じたけれど、その問いかけには誠心誠意答えたくて。ゆっくりと首を振って、あやめは答えた。
「……知らなかった、さっきまで、何も」
「嘘つけ!!」
茅早が怒鳴った。あやめの思いなど何もかも跳ね除けられたような、怒り狂った声に、あやめは思わずびくりとした。
「そんな都合の良い話があるかよ!」
「嘘じゃないよ……!!」
それしか、あやめは言えなかった。届かないとわかっていても、本当のことを言うしかない。
「謝って済む話じゃないのはわかってる。でも、謝りたくてあたしはここに来た!」
全身から怒気を放ってこちらを睨みつける茅早があまりにも恐ろしくて、ここまで茅早を追い詰めてしまったことが苦しくて、目から涙が零れ落ちる。それでもあやめは声を振り絞った。
「知らなくてごめんなさい。不幸にしてごめんなさい……!」
傘を放って、びちゃびちゃの橋に膝をつく。たちまち全身が雨に濡れていくのも構わず、あやめは額を地面につけて、深々と頭を下げた。
ひゅっ、と茅早が息を呑む音が、やけに大きく響いた気がした。
「ごめんなさい!!いくら謝ったって足りないけど!!あたしは、あたしの一族は間違ってると思うから謝る!!許さなくていい!許せるわけないのはわかってるからっ、」
頬を流れるのは涙か雨か。
わからない。唯一わかるのは、こんなことをしたって茅早に許されるわけがないということだけ。
茅早が近づいてくる気配を感じる。殴られるかもしれない。また怒声を浴びせられるかもしれない。
でも、あやめは頭を下げたまま、それを受け入れる準備をする。
茅早にはあやめにそうする権利があると、あやめは思った。

ざぁざぁと降りしきる雨の中、あやめはその時を待って、待って……、
何も起きないことに、疑問を覚えて。
「茅早……?」
恐る恐る顔を上げる。

茅早は、泣いていた。
ぼろぼろと涙を零しながら、あやめを見るその表情は、こちらまで辛くなるほどの苦痛に満ちていた。

「……わかってるんだ」
ぽつりと、呟くような小さな声で、茅早は言った。
「あやめが嘘をついてねぇことくらい、わかってるんだ……っ。俺は今まで散々騙されてきたから、悪事を働く奴かそうでない奴か、見分けはつくしよ……」
振り絞るようなその声は、迷子の子どものように頼りなくて、悲しげで。
「あやめが、自分の幸運に苦しんでるのだって、嘘じゃねぇのはわかってる。でも……、その幸運は、俺達から奪ったもんなんだろ……!もう、どうすりゃいいかわかんねぇよ……!!」
しゃくりあげながら、茅早はそう叫んだ。
それがあまりにも悲痛で、そこまで追い詰めたのが自分自身であることにあやめは悲しくて、涙が出る。自分には悲しむ資格なんてないのに、涙は止まってくれない。
なぁ、あやめ、と、茅早はか細い声であやめを呼んだ。
「教えてくれよ……何が正しい?何が間違ってるんだ?……あやめのおかげで俺は助かって、あやめの言う通りにしたら大切な人に会えて……、なのに俺達が不幸なのは朝霧のせいだって……どういうことだよ、俺は何を信じりゃいいんだよ……!」
茅早の慟哭が、ぐさりぐさりとあやめの心に突き刺さる。
何と声をかけていいかわからなくて、あやめはひたすらごめんなさい、ごめんなさいと口にした。

あやめも茅早もびしょ濡れで、顔も涙でぐしゃぐしゃで、何もかもがめちゃくちゃだった。
(……どうすればいいの)
泣きながら、あやめは考える。
茅早はもはや、声を上げて泣いていた。今にも消えてしまいそうなほどに絶望しているのが、全てが信用できなくなっているのが伝わってきて、あやめは胸を抑えた。
(ここまで茅早を追い詰めてしまった償いを、どうすれば……!!)
そう思った時だった。

雨雲によって薄暗くなっていた世界に、きらり、と光が生まれた。
あやめも茅早も、息を呑む。
茅早の首元、襟に隠れた部分が、緑に光り輝いている。これとよく似た光景を、あやめはつい先ほど見たばかりだ。
「勾玉……」
あやめが思わず呟くと、茅早がはっとしたようにあやめを見た。
「なんでそれを……」
茅早が首元から光の源を取り出すと、そこには朧の持っていたものとそっくりな、緑の勾玉があった。
あれに、朝霧一族の繁栄が封じられている。千年かけて東一族が守ってきた、これ以上、人を不幸にさせないための勾玉。
「逃げて、茅早…!!」
あやめの叫ぶような声に、茅早は戸惑ったように眉を顰めた。
「は……?」
「その勾玉を、あたしに、朝霧家に近づけちゃだめ!!」
あやめがそう言った瞬間だった。
ぱあっ、と光が弾け飛んで、茅早とあやめは一瞬、目を瞑って。


次の瞬間、全てが変わっていた。


「あやめ……?」
あやめが、消えていた。
茅早が目を瞑った一瞬で、消えてしまった。
茅早はさっと、周りを見回した。
だだっ広いこの橋の上で、突然いなくなるわけがない。頭ではそうわかっている。
……それなら、どこに行ったんだ。
まるであやめが、この世界からいなくなってしまったかのような感覚を覚えて、茅早はぞっとする。

「あやめーーー!!」

雨はいつの間にか止んでいた。
茅早の勾玉も、何事もなかったかのように、その首元で揺れていた。

(続く)

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