見出し画像

結婚相談所に言ってみた その12

「うあぁ」
Z君は、声にならないうめき声を上げた。
「最低だよ! B子さん相手に積み上げてきた評価が地に落ちたぞ」
「しょうがない」
「三大欲求に弱すぎんだよ。食べたいから食べて、寝たいから寝て、ふくらはぎを触りたいから触って」
「あはは。寝たらな、なんかブレーキが効かなくなってな」
「優雅に漫画を読んでいたところでふくらはぎを揉まれたら、相当ビビるよ」
「・・・いや、まあ、言ってふくらはぎよ」
「ふくらはぎも大事だよ」
「ふくらはぎ、めっちゃ柔らかかったわ」
「何回言うんだよ!」
「しょうがない」
「・・・まあ、大事なのは、B子さんがどう反応したかだよね。『ごめんなさい!』って逃げ去るのか、『もっと触りなよ』ってドヤるのか。」
「・・・B子さんはですね、こっちを見て、『ちょっと、エッチ・・・許可も取らずに』って言いました」
「なんだそれ。漫画みたいなセリフだな」
「まあ、少女漫画を読んでたからな。『あ、ごめんごめん。寝たら色々外れちゃって』って謝って、すぐに手を離したよ」
「それで済んでよかったな」
「いやー。このB子さんの反応が嬉しかったのよ。男ってのはさ、遅かれ早かれ、女にとって不快な行動を取ってしまうじゃん」
「・・・まあそうかな」
「でも、それに対して、Z君のように厳しく反応しなかったのがありがたかったよね」
「はああ? 俺にケンカ売ってんのか」
「かといって全てを無理に受け止める訳でもない。あくまでガードは固く、嫌なことは嫌と言える、けれども言い方は優しい。そんなバランスがね、見事だったと思ったわ」
「どんな目線だよ、それ」

それから僕とB子さんは駅に戻り、それぞれ帰路についた。
僕たちはくたびれていたのもあって、別れ際に次の約束をしなかった。
メッセージで「自然にいられて楽しかったです」と伝えて、ぐっすり寝た。
その数日後、再びメッセージで、「今週土曜日、夕飯で韓国料理を食べませんか?」と提案したら、空いているとのことでオッケーしてくれた。

「頻度がすごいな」とZ君が言った。分かっているけれども、まだ驚いてしまう、そんな言い方だった。
「今度は韓国料理屋か。話にも出ていたし、BTSも好きだったもんな。土曜日ってことは、もう行ったんだよね?」
「あ、その前に、F子さんに会ったのよ」
「ええ? F子さんを挟んだのか。韓国料理の前座で、台湾料理とか食べに行ったのか?」
「違う、スペイン料理屋だよ」

この頃、F子さんからほぼ毎日電話が来るようになっていた。
実は、岩盤浴に入っている間にも電話がかかってきていたので、B子さんと駅で別れた後に、家に向かって歩いている途中でF子さんに電話をかけて雑談をした。
デート直後に別の女性と電話するなんてかなり申し訳なかったが、二兎を追っている今だけしか味わえないものだと、背徳感を忘れるようにした。
その電話で、今週東京で僕に会える日が決まったとF子さんは教えてくれた。
「何する?」とF子さんが聞いてきたので、「花見に行こっか」と提案した。
昔の勤務地に近かったこともあり、目黒川沿いの夜桜を見るのが好きだった僕はそれを提案した。F子さんは嬉しそうに了承した。

当日、仕事を終えた僕は中目黒駅へと向かった。
結構雨が降っていて、花見日和とは言い難かった。
駅で合流してから、僕が目をつけたスペイン料理店へと向かった。
F子さんは色々な国に行っているので、異国情緒のある料理店に行ったら会話に花を咲かせやすいだろうな、と思って、今回はスペイン料理を選んだ。
だが、ここで自分のリサーチ不足を嘆くことになった。
運良く席が空いていたものの、狭っ苦しいテーブルに木製の硬い椅子だったので、あまり良い心地はしなかった。
また、一番最初に「一人1ドリンクと食事2品以上を頼んでください」と言われて、なんだか自分にケチ疑惑をかけられた気がして腹が立った。
やはり、東京の人気のエリア、人工密集エリアで良い経験をするには、良い値段を払わなければならない。
運ばれてくる食事はそれなりに美味しかったものの、座り心地の悪さで会話の舌はあまり回らなかった。
F子さんはお酒一杯ですぐに酔いが回り、言葉数は少ないものの楽しそうにしていた。

食事を終えた後、メインイベントである花見へと向かった。
雨足は弱まり、人は少なかった。
ここで、F子さんの傘がとても小さいことに気付いた。
いくら雨が弱いとはいえ、背負っているリュックに雨粒が当たっていた。
僕は折り畳まない傘を持ってきていたので、仕事用のリュックに常備している折り畳み傘を貸すことにした。
「これ、使いなよ」
「え、ありがとう・・・。優しい」
F子さんが下を向いてつぶやいた時の笑みは可愛らしかった。

桜を見ながら歩いていると、話は、来週に控えた大阪での日本代表観戦になった。
「ちなみに、どうやって、インドの少年サッカーチームの引率の仕事をもらったの?」
フリーランスでの通訳に憧れていた僕は、そういうところに興味があった。
「仲介に入っている旅行代理店の人から、スポーツチームの引率の仕事をもらったりしているんよ」
「えー、旅行代理店なんだ。そういう仕事もするんだね、代理店って」
「あ、そういえば、いつもお世話になっている代理店の担当者、元サッカー選手なんよ」
「へ?」
F子さんはそこで、僕が応援している地元チームの名前を出して、「W男君の応援しているチーム・・・だっけ?」と聞いた。
「そうだよ! 選手の名前は?」
F子さんにフルネームを言ってもらったが、一切記憶に引っかからない。
25年前くらいからの選手は大体覚えているつもりだったため、なんだか悔しかった。
あまり試合機会を得ずに戦力外になり、一般の仕事に就いたのだろう。
すごいな。興味しかない。
これでさらに大阪遠征が楽しみになってきた。
僕が応援しているチームの元選手に会えるなど、そうはないことだ。
綺麗な桜を見ながら歩いているのも相まって、だんだん元気が出てきた。
「その担当者さんに、ツーショットの写真をお願いしても良いかな?」
「きっと、いつものエセ関西弁でOKしてくれるよ」
「ああ、やっぱりエセ関西弁って分かるんだ」
そんな風にして、今まで入ったことのない世界の話題に花を咲かせていた。

中目黒駅から歩き始めてから目黒駅まで来て、僕たちはお別れした。
折り畳み傘を貸したままであることをお互いすっかり忘れていたが、来週大阪で会うので特に気にしなかった。
それよりも気になったのは、F子さんがビール2杯ほどしか飲んでいないはずなのに、だいぶ酔っていてトロトロとした表情をしていたことだった。
なんだか、そこら辺の男に呼びかけられたら、簡単についていってしまいそうな、そんなおぼろげな表情である。
ガードが弱そうだな。
いくら飲んでもしっかりしていて、ふくらはぎを触わられてもしっかり断ることのできるB子さんとは違うな、と思ってしまった。

「W男の女性を見る目が、ボクシング選手を評価するみたいになっているのよ」とZ君がツッコミを入れた。
どういう意味なのかすぐに分からなかったが、理解してから笑ってしまった。
「ガードって、そんなに大事かね、W男」
「そうだね。安心感というか」
「俺は別に、結婚する上ではどうでもいいと思うけど」
「そうなんだけどな。でも、ついこうやってB子さんと比較しちゃってね」
「まあそうしちゃうのも分かるけど。粗探しっていうかさ。足りないところを見つけちゃう感じ」
「足りない、っていうその点でさらに言うと、首が疲れたよね」
「首?」
「F子さん、背が低いから、目を見て話そうとすると、首が疲れるんだよ」
「まあ・・・俺はW男と違って平均的な背の高さだから、その気持ちは分からんけども」
「家帰ってさ、『あれ、首から右肩が痛いな』ってなって。ああ、左下を見続けていたからだ、って気付いて・・・B子さんといくら歩いてもそうはならなかったからさ」
「なるほどな」
「これはね、僕の中でB子さん、一歩リードだな、と思いましたよ」
「クビの差でリードね」
「え?」
「競馬だよ。馬のクビ差でゴールとか、聞いたりするだろ」
「なるほどな。まあ確かにそのくらいかも」

F子さんと花見デートをした2日後、僕はB子さんと韓国料理屋に行った。
土曜日の夜だったので混むと思い、今回はしっかりと席の予約をした。
今回も狭っ苦しい角っこの席になってしまったが、B子さんは気にした素振りも見せず、食べたかった本場韓国料理をどんどん食べてどんどん喋って、僕も楽しくなってきた。
特に、タコのチュックミという辛めの海鮮鍋が運ばれたときに、B子さんは一番嬉しそうにしてたくさん食べていた。
僕には辛すぎてあまり食べれなかった。
また、チュミスルというアルコールの強いお酒の小さい瓶を頼んだものの、僕はあまり多くは飲めず、B子さんに多めに飲んでもらっていた。
元々そこまでアルコールの強い酒を飲まないのもあるが、「ふくらはぎ事件」もあったので、今回はそんなに酔わないようにしようと気をつけていた。

話は、昨日行われたサッカー日本代表の親善試合に移った。
僕はすっかり忘れていて風呂に入っていたが、B子さんがたまたま観ていて、三苫がどうだの、得点を決めた西村がどうだの、またVARでPKが無しになったことなどを話してくれた。
その話がひと段落したところで、「俺、来週、大阪に行くんだ」と打ち明けた。
「え、大阪?」
「次の代表の試合が、火曜日に大阪であって」
大阪遠征について言うか言わないか悩んだが、この話が出たのに、自分が代表戦を現地観戦することを言わないわけにはいかないと思って、話すことしにした。
心配しすぎなのだろうが、もし試合に行くことを言わずに、B子さんがテレビで僕の姿を見つけたとしたら、かなりの大事件だと思ったからだ。
「旅行代理店の知り合いが大阪にいてさ、チケットをもらったんだ」
本当は知り合いの知り合いであることは、言わない。
「だから有給を取って、一泊二日で行くことにしたんだ」
花見デート後、F子さんが泊まるすぐ隣のホテルに泊まることになったことは、言わない。
「へ、へえ。すごいね」
ありがたいことに、その知り合いがどういう人なのか、とか、どうしてチケットが余ったのか、とか、深く聞かれなかった。
僕は、ワクワクしまくっている大阪遠征について喋りたくてたまらないが、言わない方が良いことを言わずにワクワク喋れるかが心配だったので、早く話を切り上げるようにした。
代わりに、三苫のドリブルの凄さについて語り始めて、B子さんもそれに興味を示した。
僕が大阪遠征について話したそうにしていないことを、B子さんが察したかどうかは定かではない。

韓国料理を食べ飲み終わった頃、「カラオケに行かない?」と僕は提案した。
「え?」とB子さんは驚いた。「また?」と続けたかったのかもしれないが、「良いですよ」と言ってくれた。
確かに「また」ではあるが、2週間前に行ったカラオケが楽しかったのもあって、単純にもう一度行きたいな、と思った。
また、この日の日中に、家でBTSの歌を練習していた。
YouTubeで踊りも見ながら、全部は無理とはいえサビの部分は行けるだろう、という自信があったので、それを披露しようという目論見もあった。

前回、2週間前の時と同じカラオケ店に入った。
その時は、「うわー、カラオケなんて久しぶり!」とテンションが上がっていたB子さんだったが、今回はそれに比べて淡々とドリンクと曲を選んでいた。
少し冷や汗が走った。
いや、俺がここでBTSの曲をうまく歌えればテンションは上がるはず・・・。
がんばれ俺・・・。

そんな僕の狙いは見事に外れた。
BTSの英語の曲を歌うのは、それも歌いながら踊るのは、思ったよりもずっと難しかった。
いろんなメンバーが次々と矢継ぎ早に歌うのでテンポがとても早いし、踊りも動きが早い。
YouTubeという見本を見ながらならできた動きが、歌詞と普通のカラオケ映像を見ながらでは出来なくなっていた。
「あぁ」と声が出そうになる程、僕は打ちひしがれてしまった。

それからいつもの昭和の歌謡曲を歌って、「昔の曲の方が声が合うね」とB子さんはポジティブに言ってくれた。
やはり、自分の声に合った選曲をしなければならないと分かった。
相手のために変に背伸びをして、流行りのものに手を出してはならないのだ、と。
少し気分を取り戻して、それなりにカラオケを楽しんでから、カラオケの部屋を後にした。

僕が打ちひしがれたのもあり、また、前回からそこまで日が空いていなかったこともあり、前回ほど盛り上がらなかったなあ、と悔やんだ。
やはり、回数を重ねると、マンネリ化してしまうものなのだろうか。
そんな風に考えながら、B子さんと並んでカラオケの受付に向かっていると、B子さんが急に立ち止まった。
「え?」と僕がB子さんの方を見ると、B子さんは視線をまっすぐにして「見て」と目の前を指差した。
目の前にあったのは一面鏡の壁だった。
そこに、僕とB子さんの全身が丸々と映っていた。
「どうしたの?」
「身長差、ちょうど良くない?」
この時に鏡越しで見えたB子さんの仕草、表情は決して見逃さなかった。
めちゃくちゃかわいらしかったのだ。
純粋に嬉しそうにしているその表情が、少し照れくさそうにしているその仕草が、僕の胸を締め付けた。
この僕と並んで立っている、それだけでその表情になってくれるのが、僕にとっても嬉しかった。

そして、この時初めて、B子さんが僕に好意を持ってくれていると、確信に近い自信を持てた。
新聞博物館に行って、トルコ料理屋に行って、イギリス風居酒屋に行って、カラオケに行って、岩盤浴に行って、韓国料理屋に行って、またカラオケに行って。
ここまで一緒にいてくれたので、僕にネガティブな感情を持っていないだろうな、とは思っていたが、どこまでポジティブかは分かっていなかった。
ガードの固いB子さんの仕草や表情からは、それが見えなかった。
だが、アルコールの強いお酒のおかげかカラオケのおかげか、ここで初めて、B子さんの僕に対する気持ちを垣間見ることができた。
ふくらはぎを触ろうが、BTSの曲を歌えなかろうが、B子さんは、僕のことをポジティブに思ってくれている。
ここはもう、次のステップに行くべきなのではないか、行きたいな、と思った。
トライアルではなく、本当に交際する方向へ。
お互いに、1人だけと付き合う交際へ。

いいなと思ったら応援しよう!