「がんばれがんばれって、これが私のがんばるじゃん!」

平凡な人生に、突き刺さったことばたち①

平凡なサラリーマンの私にも、人生の中に、忘れられない強烈な言葉たちがある。それを、エピソードと共に書いていくnoteです。書き溜められたら、記念の本にしよう。

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私が大学生の時に、同じ学部の後輩の女の子とよく遊んでいた時期があった。

その頃の私は、バイト先ではリーダー的な存在で、大学でも輪の中心におり、イベントを企画して人を集めたり、常に楽しく忙しくしていた。
別の言い方をすれば、分かりやすく調子に乗っていた。
バイト、大学、イベント企画、サークル、筋トレ、勉強会、色んなタスクをこなす自分は、面白い奴なんだ、ちょっとすごい奴なんだ、くらいに思っていた。

後輩の女の子に出会ったのは、バイト先の喫茶店だった。
バイト先に、その子が面接に来たのだが、シフトが合わないか何かの理由で面接に落ちてしまい、可愛い子だったので、私含めたバイトの人たちは残念がっていた。

しかし、次の日に大学へ行くために家の最寄駅へ行くと、なんとその子が電車を待っている。私は驚いて、勇気を出して、ちょっと近づいて、それとなく気付いてもらって、あれ、昨日面接に来てた人ですよね?と話しかけた。
そこから私と後輩の関係がはじまった。

話をしていくと同じ大学で、しかも同じ学部である事も分かり、目的地が同じ大学のため、そのまま一緒に登校する流れになった。

話をしていると、波長がすごく合う事が分かってきた。話のテンポや返しがとても心地よく、もっと話したいと思った。
後輩もすごく笑っていたので、たぶん大丈夫だと思って、また勇気を出して、携帯のメールアドレスを聞いた。快くアドレスを教えてもらって、そこから毎日のようにやりとりがはじまった。
メールの中でふざけ合う時間は、今思えばとても楽しい、輝いている時間の一つだと感じる。付き合う前の、あの感じ。

毎日毎日メールしたり、たまに一緒に登校したり、学校ですれ違う中で、じゃあ今度遊ぼうと言う流れになり、色々なところへ遊びに行くようになった。
もうここまでこれば、後は付き合うだけなのだが、私には、少し気になる事があった。
後輩は、バイトもしておらず、サークルや部活もしておらず、かと言って、他に熱中するものもなく、勉強に打ち込むでもなく、ただ、大学へ行っているだけだった。

その頃の私は、マルチタスクをこなす自分はすごい奴だ! 同じような同士が欲しい。私の恋人や近しい友達ならそんな人であって欲しい! そんな人といる自分はさらにすごいはずだ! という、とんでもない調子に乗った考えを持っており、後輩の、ただ大学へ来ているだけという姿が、なんとなく、すごく悪い言い方だが、物足りなく見えた。

何回もそういう事を後輩にも直接伝えてしまって、今同じ事をしたら、間違いなく「◯◯ハラ」の一つに認定されるだろう。「がんばれがんばれ言い過ぎハラスメント」とか「自分がすごいと思い込みハラスメント」とか。
最初は後輩も、たぶん一生懸命それに応えようと「今日はバイトの求人誌を買った」とか「サークルの新歓に行ってみた」とか、色々伝えてくれていた。

話の波長はすごく合うのに、その、大学生活中の行動スタンスみたいなものが合わなくて、その話をするといつもギクシャクした。付き合う前のあの感じが、少しふっと揺れた。

ある日、車でドライブしている時に、また私が「がんばれ、がんばれ、きっと熱中出来るようなものがあるから」というような事を長々と語った。
またギクシャクした空気が流れて、私も空気に堪え兼ねて、とりあえずまた話し出してしまい、さらにギクシャクしていった。いつもの後輩の面白い返しは息を潜めていた。
私が話し終わって、車内からはただ流行りの音楽が、だらだらと流れていた。
数秒、十数秒か、少しの時間が流れた後に、彼女が、絞り出すように言った。

「がんばれがんばれって、これが私のがんばるじゃん!!」

はじめの方は弱く、言葉の終わりに近づくにつれて語気が強くなり、最後は「!!」マークをつけても差し障りない言い方だった。
溜めていた怒りとか悲しみとかが、表面張力の限界を超えたようだった。

彼女にとっては、バイトを探したり、面接に行くとか、サークルを探してみるとかでも、慣れない大学生活の中で、すごく頑張っている事だった。元々人見知りで緊張するタイプだから、入ったばかりの大学で、新しい友達を作るにも気を使うし、あなたは色んな人とすぐ仲良くなれるのかもしれないけど、誰しもがそうではないし、私は頑張ってる、というような事を言われた。

人にはそれぞれペースがあるし、色んな活動をしている人が偉い訳でもない。
でも、当時の私は、自分をすごく見せたい一心で、とにかく活動的に色んな事をこなして、それを他人にも押しつけて、後輩のスタンスを、心のどこかで下に見ていた。今振り返ると、とんでもない野朗だし、絶対に友達になりたくない。

泣き出した彼女は、自分には自分のペースがあるし、あなたが頑張っていることはよく分かる。それを見ていると、置いていかれるようで悲しいとも思うけど、自分には出来ないし、どうしていいかも分からないと言っていた。

小粋な音楽が、車内で流れ続けていた。

後輩の本気の言葉を聞いた私は、納得したような、でも自分の言っている事ややっている事は間違っているのか、という、葛藤にぶち当たっていた。自分の考えを、すぐに否定して別の考えを受け入れると言うのは、とても難しい。
後輩の本気が伝わって、何となく、自分でも分かるとも思っていて、でもうまく伝えられない。

お互いにどうしていいかよく分からなくなり、いつもの話のテンポやかけ合いもなくなって、小粋な音楽が余計に変な間を与えた。夜のドライブ、親に借りた車、後輩の泣き声、音楽、回り道。

結局、そのギクシャクを解消出来ないまま、その日は終わって、その後、後輩ともどうなる事もなかった。

しばらく時を経て、あの時の、これが私のがんばるじゃん、という言葉を、自分なりに理解して、人にはそれぞれのペースやスタンスがあって、休むことも必要だし、同じ頑張るでも尺度は人によって違う事などを、ようやく理解した。

大学を卒業して、もう何年だろう。
それでも心にこの言葉は強く残っていて、ふとした時に思い出す事がある。間違いなく、私の人生を形づくる大切な言葉のひとつだ。

今もこの後輩と付き合いはあって、一時離れても、やっぱり話の心地よさはお互い感じたものだろうし、そういう人はなかなかいないだろうから、だからまだ何となく繋がりがあるのかなと思う。

頑張ったり、休んだり、お互いに、今楽しい人生を歩めているといいなと思う。

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