見出し画像

自然の法則

前回の投稿へは沢山の「いいね♥」をいただき、ありがとうございます🙇こういうことの一つ一つが私の色んな事の原動力となるわけです…感謝🎵感謝🎵

※※※※※

「自然現象」というのは人間がどうしてもコントロールできないもの。

だから私は「自然」には無条件で従わなければならないって考え。

でも、そんな方向から見てしまうと何となく後ろ向きな感じになってしまうから、全ての物事は「自然の法則」に従うべし…この方がいいかな。

しかし、大災害が起きて甚大な被害や人命が失われた場合などは「自然現象だからどうしようもできないという一言で片付けるのはちょっと人心を省みない非情な考えではないか?」というお考えももっともだと思います。

しかし、宇宙が誕生したといわれるのが今から137億年前、人類の祖先といわれる猿人が登場したのが700万年前…いわゆる有史と呼ばれる人間の営みが記録されている期間はもっと短い…経験値が全く足りない。

だから、宇宙や地球の作用である自然現象というものには、基本的には人間をはじめとする地球上の生物は従わざるを得ないと思うんです。

人間はそもそも地球上の「生き物」の一種類に過ぎないのですが、どうやら日本でいえば明治に入ったあたりからゆっくりと、決定的には戦後以降に「生き物」であることを忘れてしまったようです。

以前、里山ガイドの研修の一環として夜のアニマルトラッキングツアー、簡単にいうと夜の動物探しに行った時のことです。

長野県伊那市東部の山奥。明かりは車のライトと手持ちのライトのみ、車の往来は自分達を乗せたマイクロバスしかありません。

車を停めて降り、ライトを山中に照らすと遠くからニホンジカの群れがこちらへ歩いてくる姿が見えました。この群れに山中で遭遇してみようと待ち伏せすることにしました。

山の中の獣道っぽいところに待機し、気づかれないように手持ちの明かりを全て消します。月のない晩でしたので、目を開けていても何にも見えません。音と気配だけが頼り。

結局、気づかれてしまったのかニホンジカの群れはやってこなかったのですが、あの時の恐怖感は今まで体験したことがないものでした。でも、あの恐怖感を人間以外の地球上の生物達はみんな毎日感じている…いかに人間は緊張のない毎日を送っているかよく分かったと共に、自然や他の生き物に対する感覚が退化してきているかがよく分かりました。

山歩きをされる方はよく分かると思いますが、山道を歩いていると「ん、ケモノ臭い❗」と気がつく時があります。「『ケモノ臭い』って何?」って方もいると思いますが、簡単にいうと動物園の臭い。動物の種類まで特定はできませんが、その臭いが漂ったあたりからは鼻と耳をいつも以上に研ぎ澄ませ、木の棒を拾って叩いたり、歌を歌い始めたりします(もちろん熊鈴は着けていますが)。

まぁ、私の場合は山歩きが自然観察の手段の1つなので、動物の足跡や糞の跡、木の幹の爪痕などなど…他の方より注意深く感じ取っているかもしれません。

例えば交通事故。毎年スゴい数の人が交通事故で亡くなっています。もし、本当に命が何物にも代え難いというなら車の使用を禁止するべきだと思うのです。でも、しませんよね。

そう…我々は利便性と命を常に引き換えに生きていることを忘れてはいけないのです。

かといって「縄文時代に戻れ」といっているわけではありません。

「自然のサイクル」「自然の営み」「自然の法則」…これらのことをちょっと頭の片隅に置いておくだけで価値観が変わってくる気がしてならないのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?