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  • 私はYBR125で旅に出る

    車でのおでかけ「私はエブリイで旅に出る」とは別に原付二種バイクでのおでかけの様子、そしてバイクでのおでかけのススメについてお話しします。

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    noteで小説が書けるゲーム「ショートショートnote」を使ってちょこっと書いてみた。

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    感じたことの備忘録。

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子供への「そそのかし」実践編

まずは、親である自分が大好きなことを子供に「そそのかし」てみる。 「親は親、子は子」と別人格であることを尊重してあげることは大切なことですが、子供たちの「個性」「自分らしさ」を気にしすぎて親である貴方が経験したこと、得意としていること、好きなことを自分の分身である子供さんに伝えないことはもったいないことです。 貴方の子供として生まれてきた意味がなくなってしまうのです。 貴方が子供たちに親心をもって接したならば、子供たちにとってお父さん、お母さんはこの世で一番好きなそして

    • 子供の「らしさ」を育む方法(残りの②~⑤)

      昨今「個性」や「自分らしさ」というと、ちょっと肩肘張っちゃっているようなイメージありませんか? 「他人と同じであることは許さない」「他人の意見を聞き入れるなんて『負けだ』」みたいな。 私が思うに「個性」とか「自分らしさ」って「他人との差別化」「他人にないもの」ではなくて、「自分の強み」「自分の好きなこと」「自分の得意なこと」…そうそう、前回お話しした「主体的」なことにフォーカスすべきなのではないかと。 ②「教える」のではなく「調べさせる」 教えた方が早いという話もあり

      • 「やらせる」のではなく「そそのかす」

        「子育て論は全て正解」というお話しましたが、それでは具体的に「どんな子供に育てたいか」、いや「どんな人間に育って欲しいか」の方が正しいかな? 私が常に思っていることは 「主体的に考え、行動すること」。 この言葉だけだとちょっと強引さが出てしまうので副題をつけると…「『主体的に考え、行動すること』~他人の主体性も尊重、理解できるように」って感じ。 子供たちに「主体性」を持たせるというと「何でも自由にやらせる」という選択肢もあるかと思いますが私はこれはとても危険だと思います

        • 子供に何を教えるか…一番の根底の部分の話

          前回の投稿で、次の回では「子の『代理権』『同意権』が子供の意思に反した権利の乱用になってりゃしないかな?」ってお話をしようといったのですが、私のその話をするには前提として私の子育て論の根底の部分を話しておかないと誤解を招きかねないという気がしてきました。 「根底の部分」のようなのですが、よく考えると「最終的な目標」でもあるところのような気がします。 こんな話は人に話して意味があるのかという気もしないわけではありません。 ただ、私はお金以外のことで子育てで悩む時期は過ぎ、

        子供への「そそのかし」実践編

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          子育て論の正解は…全部(条件付き)

          私は子供が二人おりますが既に高校生。 これからは「手がかかる」というより「お金がかかる」段階に突入するところではありますが、もう妻と二人で頭を捻って子育てのことで深く悩むという状況は抜けてきました。 私は自分の中である程度固まった子育て論というのがあったこと、それを妻としっかり話し合っていたこともあり、子育てで精神的に追い込まれるということはありませんでしたが、子供が生まれてから義務教育を終えるくらいまでは妻と多少悩むこともありました。 そんな時に「○○するより△△する

          子育て論の正解は…全部(条件付き)

          インプットは自分の中でしっかり熟成してからアウトプットすること

          自戒的な話になってしまうのですが… もうこの年齢になったらもう少し自分の経験や知識を信じてみたらどうなのか…人の言葉だけに動かされるのではなく自分の内なる声に従って行動が決められる、これから先の取り組みを行える…そんな人間になりたいなぁと最近思い始めています。 何か決断が必要な時、岐路での選択が必要な時、他の人の意見を聞くことはとても重要です。しかし、年齢も40や50になってきたらもう少し自分の意見を全面に押し出すことも人としての責任かな?って思うんです。 もう少し踏み

          インプットは自分の中でしっかり熟成してからアウトプットすること

          あなたの心が…

          私はよく子供達が「あ~ぁ、明日テストだ…嫌だな」というと「テストが『嫌』なんじゃない。あなたの心が『嫌』なんです。」といってみたり、「○○ちゃんがさぁ今日あんなことしてきてムカついたんだよね」というと「○○ちゃんが『ムカつく』んじゃない。あなたの心が『ムカつく』んです。」と、まるで人生相談に回答するお坊さんのような一言を返します。 この一言、お父さんのウケ狙い99%の言葉。笑いで重い心を和らげてあげようと思っていっているのです。 しかし、残りの1%で…この1%が本当に伝え

          あなたの心が…

          「ごちそうさま…美味しかったです」という言葉の輝き

          昨年の秋に、普段仕事でお世話になっている会社の社長さんのお誘いで、とある町の紅葉スポットにて二人で一日限定でコーヒーショップを開店しました。 この町には紅葉の名所が2ヶ所あるのですが、一方は大勢の人で賑わう場所。もう1ヶ所はそことは赴きを異にして訪れる人も少なめで静かな雰囲気。その静かな環境の中でその場の雰囲気をさらに楽しんでいただこうと、一昨年にその社長さんが商工会に企画を持ち込み奥様と二人で開店したとのこと。今年はその話を聞いた私が面白がって手伝わせてもらいたいと事前に

          「ごちそうさま…美味しかったです」という言葉の輝き

          ネット上での助言・指摘・意見は…

          年明け早々、全く思いのよらない自然災害。 ここのところ「未曾有の…」と、本当なら滅多に使わないはずの言葉が毎年毎年躍っている気がします。 テレビやネットから流れてくる被災地の状況の映像に心を痛める…そこまではいいのだ。 それを見てあ~でもないこ~でもない、あ~いったのが気に入らないからこ~返す、こ~返したのが気に入らないからあ~被せる…あ~ぁ、心がイラつく。 何か起こる度に繰り返すこのネット上でのやりとり。 そのやりとりを見ると、コミュニケーションを割りきれていない方

          ネット上での助言・指摘・意見は…

          「連続」しないで「断続」

          前回の「どうやったら習慣化するのだろう?」という自分に対し最近試しているのは「続けようとしないでやりたい時に思いっきりやる」ということ。 私も過去に頻繁にあったのだが、「よしっ、毎晩寝る前に腹筋をやろう」と始めた時に限って一週間後に仕事のお客様との飲み会が入り帰宅が遅くなる。 酔っぱらってるし眠たいしで「今晩はやめておくか…」…続けようとしていたことが止まってしまうと、何となく「ダメだった」「失敗した」というような自責の念に駆られる。 ただ、誰に頼まれたことでもなく、命令

          「連続」しないで「断続」

          「習慣化」ができないのは「終感」のせい? それとも「醜感」のせい?

          「はぁ…また忘れた…」 朝、会社で手を洗ったあと、ポケットに手を入れ手拭いを探すと今日も入っていない。 私は手拭いをハンカチ代わりに使っていて、仕事の時はいつも、休みの日は外出する時に必ず右のポケットに入れる…いや、厳密にいうと「入れたつもり」になっている。 外に出る時は必ずしも持って出ることにしているのだが、なぜか2、3週間に1回は忘れてくる。そして忘れる度に凹むのである。 性格からくるものなのだろうか…私は無意識に同じことを続けることができない。 「習慣化できる

          「習慣化」ができないのは「終感」のせい? それとも「醜感」のせい?

          「アイデア」について考える②

          アイデアを「『自由に』思いつく」には… アイデアの段階では「周りの目を気にしない」ということです。 具体的にはどういうことか… 「実現可能性」「採算性」「市場規模」は全く考慮せず、「自分がいい」と思うことをザックリと短めの言葉にする…ということです。 簡単にいうと「思いつき」はたまた「妄想」ってやつです。 こういうことをいうと「そんなアイデアじゃ会社の上司が納得するわけはないではないか!」という人がいるでしょう。 その通り。 前回の投稿でもお話ししたように、上司

          「アイデア」について考える②

          「アイデア」について考える①

          ※記事の冒頭でおことわりしておきます。 私の「アイデア」に関する考え方は、おもちゃクリエイターの高橋晋平とトイクリエイターの大澤孝氏の考えに大きな影響を受けております。なのでお二人の著書やSNSの投稿に書かれている内容と類似したり重複するようなお話しになります。決してお二人の理論をパクっているわけではなく、お二人の考えを教科書として、自分の経験や知識から得た感覚というフィルターを通した上でのお話となります。いうなればお二人を師匠とした中での私の「守破離」の「守」の段階でのお話

          「アイデア」について考える①

          人を変える 自分を変える

          我が家は一昨年の12月に実家を建て直して我々家族が実家に戻ってからは両親2人、私、妻、子供2人の6人暮らし。 朝食、昼食は全員バラバラだが、夕食は基本的に6人全員で揃って食べている。 家族の中で仕事をしているのが私だけなので、私の帰宅に合わせて夕食が開始となる。 私が家に入ると妻とお袋が「ご飯だよ」と他のみんなに声をかけ食卓に集まっていた…が、 他の家族は夕飯になるだろうとおおかた準備をしているのだが私は家に着いたばかり。スーツから普段着に着替え、飼っているメダカにエ

          人を変える 自分を変える

          簡単な「夢」、身近な「夢」、普段着な「夢」を持つ

          「最近の若い人は夢がない」 なんて言葉を近頃よく耳にしますが、本当にそうなのでしょうか?はたまた、夢がないといけないのでしょうか? 「あなたの夢はなんですか?」…こう聞かれた場合、あなたならどのように答えますか? なんとなく「夢」というと人生をかけるような壮大なものでないといけないような気がしてしまいます。 でも私は「夢」とは「今現在の自分が持ち合わせていない経験や知識を得るために一歩踏み込んでやってみたいなと思っていること」程度の緩いものでいいと思っています。 「

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          「がんばらない」こともないか

          「自分らしさ」をテーマとしている発信で近頃「がんばらない」とか「無理をしない」という言葉をよく目にします。 この言葉、いい言葉だと思うのですが、この字面をそのまま受け止めてしまうともったいない。 多分、このセンテンスの前には隠れたカッコ書きの前置きが隠されている…「具合が悪いなら」とか「頑張りすぎているあなたは」とか「無理しすぎている君は」とか。 状況だとかによって「もうちょっとがんばれ」「もう一歩踏み込め」ば大きく何度か視野が広がる場合も、というより広がる場合の方が多

          「がんばらない」こともないか