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変わらないもの 小倉理恵(パラバドミントン)

noteコンテスト「#挑戦している君へ」に、ブリヂストン・アスリート・アンバサダーの小倉理恵選手(パラバドミントン)にも作品を寄せてもらいました。

2020年3月。国際大会の延期から始まり、子どもたちの学校休校、仕事は在宅勤務、そして、東京2020オリンピック・パラリンピックの延期。
当初思い描いていた「2020年」は急変し、私たちの生活は一変した。

漠然とした不安はもちろん、子どもたちを守らなくてはという責任感、見通しが立たない中でも一日を無駄にしたくないという思いから生じる焦り。2020年は、例年以上に悩み、葛藤しながら進んでいる。

いや、進んでいるのか?私は進めているのだろうか?
例年は国際大会で試合経験を積むことで、自分の成長や課題を確認することが出来た。2020年はそれすらも叶わない。


一方で、2020年も変わらずに私のモチベーションとなっているのが、子どもの存在だ。「努力を継続することで、自分の目標に近づくことができる」ことを子どもたちに見せたい。子どもたちに、自分自身の可能性を信じて進む勇気をもってほしい。そう願いながら競技を続けてきている。

私にスポーツ経験はなく、一時期幼いころに習っていた水泳と、学校の体育くらいしか身体を動かしてこなかった。運動センスというものは何一つ持っていない。
バドミントンを始めたころは、ラケットにシャトルを当てるだけで精一杯で、しょっちゅう空振りしていた。
仲間からの誘いを受けて試合に出よう、と決めたとき、子どもたちはまだ3歳と1歳だった。不安も大きかったが、ちょうど母としてのアイデンティティを模索している時期でもあり、私はバドミントンを通して、「目標をもつこと、そして目標に対して努力することの大切さ」を伝えられるのではないかと感じ、母として競技と向き合う決意を固めた。


そのときから、ちょうど10年が過ぎようとしている。果たして、私は当時思い描いていた姿を見せられているのだろうか?母として競技に向き合うことは、現実的にとても難しく、何度も高いハードルにぶつかり、幾度となく引退を考え、どれだけの涙を流してきただろう。

それでも私が競技を続けられているのは、支えてくれる方々のおかげである。
言葉で言うと安っぽく聞こえてしまうかもしれないが、努力を続けられているのは、努力を続けさせてくださる方々に出会えたからだ。

なんでもない私が、パラリンピックを目指す。
10年前には笑い話だったことを、現実に変えてやる。
変わらない思いと感謝を胸に、変わる努力を続けていこう。


小倉理恵選手_note画像

小倉理恵選手(パラバドミントン)
1986年生まれ埼玉県出身。高校1年のころ、ダイエット目的で通っていたスポーツセンターの仲間に誘われバドミントンを始める。先天的に関節の可動域が少ない「先天性多発症関節拘縮症」で20歳の頃から車いすを使うようになる。23歳のころ、バドミントン仲間から大会でダブルスを組まないかと誘われたのをきっかけに、競技として本格的に取り組むようになり、パラリンピック出場を目指している。


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