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桶狭間の戦いに意外な援軍。義賢さーん

桶狭間の戦いの従来のイメージを覆す1つの可能性として、織田方への「六角氏の援軍」※1があげられる。なぜ、六角氏のが織田についたのか詳しいことはわからない。私の妄想力で辻褄を合わせにいくと、将軍足利義輝が関わっているのではないかと思う。織田家は信秀のころから幕府や朝廷に献金してきた。もちろん信長もしかり。桶狭間の前年、1559年にも将軍足利義輝が京都に帰ってこれた祝いとして上洛し献金している。そして、この頃の義輝は将軍の威厳を取り戻そうと、戦の調停役をたびたびこなしている。もしかすると、桶狭間の戦い前に信長が義輝に泣きついた可能性もあるのではないかと。

※1『桶狭間合戦討死者書上』(長福寺所蔵)によると織田方の戦死者990人。援軍の戦死者織田方の内272人を占めた。

織田方の戦死者が1000人近くという事であれば、
1. 従来の織田方兵力2000人とうると半数の兵が戦死している事となり織田勢は壊滅状態になっていてもおかしくない。
2. 奇襲戦にしても、持ち直した今川勢と激戦が繰り広げられたのか。
3. 陥落した丸根・鷲津砦を守備していた織田勢の戦死者が990人に含まれていると奇襲で決着がついたのか。
と、また考えることが増えてしまう。

今回書いておきたかったのは六角家が織田家の援軍にきたということで桶狭間の戦いのイメージが覆る可能性があるということ。信長が足利義昭を奉じて上洛する際、観音寺城の六角義賢へ上洛を手伝ってもらえないかとせかっちなイメージの信長が一週間かけて説得するなんて、六角義賢になにか感じるものがなければしないでしょう。上洛が成功すれば恩賞として京都所司代に任命する用意もあったとか。桶狭間の戦いで援軍を送ってくれたことが関係していると考えるのが自然かな。

本日はここまで。
最後までお読み頂きありがとうございました。

by 『物語のスタートライン』hitoshi

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