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ガラスの中の世界で君と

作:まゆこ

1
青い空。流れる雲。輝く太陽。太陽に反射し、キラキラと光る湖。

ただ違和感があるとすれば、そこに一切の生命が感じられないことだった。

乾いた土地。植物の一切生えていない地面。荒れ果てた建物。所々に残る不自然に大きな穴。

そして、またそこに似合わない、無機質なドーム状の建物。

「アリッサ、調子はどうだい?」

「ええ先生、いつもと同じ、血圧、脈拍、血糖値、コレステロール値から白血球の数まですべて異常なしです。さあ先生、あなたも早くその人差し指を差し出してください。」

「返答がクソ真面目だな、君は。私は今日はやめておくよ、一日くらいサボったって死にはしない」

「そう言って昨日も逃げようとしましたね。一日怠けたら死ぬ可能性があることを一番知っているのは先生でしょう。ほら、早く指を出して」

先生、と呼ばれた金髪の女は、しぶしぶ彼女の元へ指を差し出す。その手をアリッサはしっかりと確保し、人差し指を白い機械の中へと入れる。目に見える動きや大きな音もなく、静かにその機械は作動した。

「ほら、痛くもなんともないでしょう。それに一瞬で終わるのに、なぜ毎朝嫌がり、このような不毛なやりとりを行うのですか?」

「人間の体に針を刺すという行為、人間の体の中から血液を取られるという行為が昔から嫌なんだ。それに不毛なやりとりではないぞ、大切な部下とのコミュニケーションだ、なあアリッサ」

「そうですか、何にせよ、この日課は毎朝していただきますからね、私の体が動く限りは」

「ああ、そうしてくれると助かるよ」

そして金髪の女はウォッカを一口、口に含む。

「これがないと、全く。やってられないね」

透明な、無色透明な壁に覆われた半球の建物。それが彼女たちが寝食を共にしている研究所だった。
その建物には、窓も、ドアもない。特別な素材で作ってあり、雨風を通すことも、外部から攻撃を受けようとも決してヒビが入ることはない。そもそも、外部から攻撃してくる生命体など、この地球上にはもう残っていないのだが。

20XX年。新型のウイルスは人間に対して猛威を奮い、3年、5年、10年とかけて人口を半分以下にしていった。人口の大多数が息絶え、死体処理の葬儀屋が追いつかず、ある国では数多くの死体が海に投げ込まれ、なんてデマが世界中で広まった。しかしそのデマはあながち間違いではなかったのかもしれない。海洋生物に異常が見られ始めたのもその頃だった。人間を殺すウイルス、止まらない地球温暖化、海洋生物の汚染による漁業の衰退。それに何とか打ち勝とうと脳の大きな人間たちは新薬の研究と実験を重ね、それだけに収まらず、人間たちのためのよりよい生活のため、テクノロジーのさらなる革新を進めてきた。テクノロジーが暴走したのは、人間がウイルスと戦い始めたそのわずか十数年後だった。ある国で、テクノロジーが暴走し(今となっては人間の故意のしわさか、真実はわからない)、より致死性の高い人工的なウイルスが空気中にばら撒かれた。人間が今後も繁栄していくために残されている選択肢は、二つしかなかった。星を去るか、星の中でどうにかして生きるか。早急にシェルターが作られ、地下での生活の仕組みが整えられた。生活できる宇宙船の開発も活発になった。人類は生きるために、地球を捨てるか、太陽を捨てるか選ぶしか、なかった。

「・・・地球から私達以外の生命が消えて、何年になる?」

「まだ不毛な議論の続きですか、先生」

「不毛ではないさ、私はこの酸素タンクが何年持つのだったか、確認しておきたいと思っただけだ」

「そうですか。・・・そうですね、もう五年になります」

この研究所ができて数年。地下にいた人間たちは、絶滅してしまった。
人工的なウイルスの脅威は恐ろしいものだった。地下のシェルターには、酸素を作り出す仕組みが足らないと、人間たちは移住した後で気づいた。人工の太陽光には限界があり、地上から大量に持ち込んだ光合成のできる植物は死んでいった。地上からの通気口にはどんな精密な濾過フィルターを付けても、数年で人間は致死性のウイルスに侵されていった。

「あとこの星で生きられるのは五年か・・・それまでに、何とかしてこの地球を、元に戻さなければいけないね」

「ええ先生、それが私たちに命じられた最後の責務です」

「ねえ、アリッサ」

白衣を着た金髪の彼女は、アリッサに物憂げに問う。

「君はこの星を捨てて宇宙に行った方が正解だったと思うかい?・・・いや、毎日宇宙からの交信があるだろう、何か進展はあったか、ここの環境を変えることができるのはいつ頃になりそうか、と。あれを聞くたびに思うんだ、私たちはあんたら富裕層のためにここに居座ってるわけじゃないってね、時折ここで命を懸けていることがバカらしくなってしまうんだ」

アリッサは、彼女の目を見て、まっすぐに答えた。

「正解か不正解かは、私にはわかりません、でも」

その目は青く、透き通っていた。

「私にとっては、ここで生きていられることは、正解です。エミリー先生。」

金髪の彼女は、少し満足そうに顔を歪めて笑う。

「・・・そうかい、そうだね。」

エミリーは、片手にウォッカのグラスを手に、何も動くことのない外の世界を見つめていた。

「なあ、アリッサ」

「何でしょう」

「酸素がないと生きられない、毒性ウイルスには勝てない。自分たちが作ったテクノロジーで住む場所を破壊し、それに懲りずにどう足掻きながらもしぶとく生きようとする。こんなに脆くて醜い人間がこのまま絶滅せずに生き続ける理由などあるのかね?」

「脆くて醜くて、バカだから、性懲りも無く生きようとするんですよ。それは人間の性です。如何しようも無い。だから、先生くらいは、バカみたいに最後までこの生を全うしてくださいよ」

「・・・フ、そうだな、私は脆くてバカな人間代表だったな」

女は、少しだけ、嬉しそうに、グラスのウォッカを飲み干した。

「私たちの手で、この地球を住みよい星に、戻そう」


来る日も来る日も外の状況は変わらない。
地球上の表面に充満しているであろう毒ガス。室内にある酸素放出機は静かな音を立てながら二人に酸素を供給する。この機械が止まれば、地球上の生命体はいなくなる。

「先生、今日は絶対に検査をしていただきますよ」

「頼む、勘弁してくれ、私はあの白い機械を見るだけで最近吐き気がするようになったんだ、見逃してくれ。もしくはアリッサ、君が新しい機械を開発してくれ。人間の体に針を刺さなくていいような」

「無茶言わないでください、そんなことに割く時間はありません、さあ、ベッドから早く出て」

そう言ってアリッサが無理やり剥がしたベッドシーツの下から、ひどく顔色の悪い人間の姿があった。

「・・・!?先生、どうし、」

「触るな!」

今までに聞いたことのない怒号に、思わずアリッサは怯む。

「体調が悪い、おそらく熱がある」

「そんなのなおさら、」

「・・・嫌な予感がする」

最後に呟いた彼女の言葉を、まるで聞こえなかったかのように、アリッサは、声を出す。

「きっとウォッカの飲み過ぎです。先生にも禁酒するタイミングがとうとうやってきたんですよ、良かったですね。白い、貴方にとっての殺人機械は私が持ってきてあげますから、そこを決して動かないように。」

虚ろな目で、エミリーはアリッサの方を見ている。

「私より先に、貴方を殺人ウイルスが殺せるはずがありません。私という人間、貴方の弟子をなめないでください!」

最後の言葉に、嗚咽が混じっていたことがバレないように、アリッサは部屋を飛び出した。

「なぁ、アリッサ」

心拍数を告げる無機質な機械音が、静かな部屋にリズムを刻む。

「私はやはり禁酒か」

「気にするところが酒飲みのそれですね、本当に。禁酒です、膵臓と肝臓が悲鳴をあげている」

「君は私を放っておいてはくれないのか」

「残念ですが、私は貴方を置いていくつもりも、突き放す気もありません。貴方とウォッカの距離は、遠く離しますが」

「そうか、いや・・・ウォッカ以外なら飲んでもいいのか?確かほら、私の棚に、最後に家から盗んできたテキーラがあったろう、あれでいいから・・・」

「揚げ足を取らないで。やめなさい、お酒は今の貴方にとって猛毒です」

アリッサのその言葉に、少しエミリーはしゅんとなる。

「私の人生の辞書に我慢なんて言葉はない」

「往生際が悪いですね?先生」

エミリーの血液の状態を数値で確認しているアリッサは、そのデータから目を離さず、呟く。

「そうですね、一週間後、私がお酒を用意します。我慢できたら、ご褒美に」

「・・・本当か?」

「私が嘘をつくように見えますか?」

「・・・いや、見えないね、君のようなクソ真面目な人間は」

「ご名答、さあ治療を始めますよ。この地球の唯一の生命体を守り抜くことも、私たちの責務ですから」

3
その夜は、満月の夜だった。時折流れる雲だけが、この地球がまだ生きていると感じさせてくれるようであった。

「ああ、夜まで待たせるなんて、君はなんて私を焦らすんだ・・・」

真っ白なシーツ、無機質なベッドの上に横たわるエミリーは、ブツブツと先ほどから文句を言っている。

「もう少しでできますから、待ってください」

「ウォッカを注げばいいだけなんだ、なあ、そのままロックでいい、そいつを私は欲しがっているし、そいつも私に欲しがられている」

「はいはい、もうできますから・・・全く、本当にキャンディーを欲しがって駄々をこねる子どものよう」

大きな氷に、透明な液体。ライムが鮮やかな色をし、一際輝いている。

「なんだ、甘いカクテルにでもしたのか」

エイミーは少しがっかりしたような顔をする。

「飲んでみてください」

「・・・!なんだ、えらくスッキリしていて、後味もいい。何が入っている?」

「すべて人工で私が作ったものですが。ホワイトキュラソー風味のアルコール度数の高い液体、そしてライムジュース風味の果糖液をシェイクしています」

「贅沢な味だ。てっきり毒でも飲まされたのかと思ったよ」

「違いますし、貴方は何を飲まされたかなんて知らなくていい」

「好みの味だ、こんな飲み方、知らなかった。」

「これで痛みが誤魔化されるかもしれない。・・・でも、もしかすると肝臓に影響を与えるかもしれない」

「そうだな。君は私を、早く殺したいのか」

「・・・いいえ、その逆です」

「なんだって?」

「飲みたいとおっしゃったのは、貴方です。貴方を殺すつもりも毛頭ありません。私は研究に戻ります。今夜はどうぞゆっくりアルコールをお楽しみくださいね!」

最後は少し怒ったような口調でアリッサはエミリーの部屋を出て行った。

「少し、からかいすぎたかな」

長い金髪をかきあげて、エミリーは一つため息をついた。

「・・・カミカゼ、か」

その夜の、外の景色は心なしか優しいようにエミリーは感じた。

「酒飲みの私が、知らないとでも思ったか。どこで調べてきたのやら」

グラスの表面に雫が落ち、少し溶けた氷が、カラン、と鳴った。

4
死は、すぐ隣にある。

人間はそれを意識しないように必死でもがいている。いや、隣にいると分かっているからこそ足掻くのか。

死にたくなくて、地下へ逃げた。死にたくなくて、宇宙へ逃げた。

でも、実は。

大切な人を死なせたくなくて、逃げたのかもしれないな。

大切な日を死なせたくなくて、誰かを守りたくて、一生懸命になっているのかもしれないな。

なんて、月が綺麗な夜は決まってこんなことを思う。

この研究所にいる特権は、地球の息吹を感じられることだと思う。

生命が、私以外に無くなっても、

朝は太陽が出て、世界を照らす。

夜は月が出て、私たちを導いてくれる。

ねえ、先生。今日もこの星は美しいよ。

何千年もの年数、人間が生き延びようともがいたこの土地は、とても美しい。

もっと知りたかった、この星のこと。

もっと知りたかった、この大自然のことを。

もっと知りたかった、貴方のことを。

さようなら、先生。

貴女がそこで生きている瞬間が私の全てだった。

貴女のどんな表情も見逃したくなかった。愛おしかった。

貴女と二人で過ごした時間は、私にとって、恐れ多く、儚く、そして何よりも美しかった。

私が貴女に贈った約束は、守れなかった。

それならば、私というこの人間がこの世に生きている意味など、今はないように感じるのです。

人類を救う。そんな大義じゃなかった。ただ、愛する貴女を、救いたかった。

うっすらとした乳白色の液体を、口に運ぶ。

グラスの縁の塩化ナトリウムは、ひどくしょっぱく感じる。

普段飲まないテキーラの高いアルコール度数が、喉の奥に、ツンとしみる。

「しょっぱいのに、甘い」

頬に伝う雫を、拳で拭う。

「先生、」

今日もこの星は、変わらず美しい。

「愛していました」

酸素放出機の音が、止まった。

今日もこの星の空は、青く、美しく、そして哀しい。

END

カクテル言葉
【カミカゼ:あなたを救う】
【マルガリータ:無言の愛】

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