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【SS小説】ニコラス・フラメル

作・絵:橙怠惰


神経質な程に丁寧に砂糖をすり切っている。

かと思えば紙ナプキンをくちゃくちゃに丸めて口を雑に拭く。いつもカウンター、僕の目につく場所に座るガサツなおじさん。サイフォン前の特等席。


「なんか降ってこねぇかな」

「…………例えば?」

「……そうだな、何でもいい。雨でも、金でも」


普段は喋りもせずに時間をかけて1杯のコーヒーを飲み、1人の時間を楽しんで帰られるおじさんの独り言を僕は拾いたくなった。カウンターの向かいで僕はコーヒーカップを磨く。職業病だ。

おじさんはまさか言葉が返ってくるとは思ってなかった、と驚きの1拍を置いてからぽつぽつと喋りだした。


「アイデアやネタなんかでもいい」


僕も答えが帰ってくると思ってなかった。ほぼ無意識に拾っていたからだ。返ってくるとも期待してなかった言葉を掴んだ僕に丁寧に絡んでくださる。特にその次を思い浮かべていなかった僕は新入りのように同じ言葉を繰り返す。


「例えば、何の?」

「何でも。今からのこと、それに新しい挑戦でもいい」


いつもコーヒーですので紅茶など如何ですか。おすすめはレモンティーですよ。

……僕だって店員だ。日々崩さず積み重ねたすり切り1杯の砂糖入りブラックコーヒーのルーティンを僕からは崩したくない。このおすすめは悪手だ。そのまま言葉を飲み込んでいると、おじさんは言葉を続けた。


「ずっと行き詰まってんだ」


そう笑う彼の髭には先程拭いた紙ナプキンの残骸がぶら下がっている。

何に、と聞く前に僕は思い出す。このおじさんはずっとこのダイナーを訪れているが、彼が一体何をしているか全く知らないこと。そりゃあそうだ。今まで通っていたとはいえ、一言も喋らずにコーヒーを啜り、飲み終えればきっちり値段通りの小銭を置いてスっと店を出るのだから。

ずっと寡黙なおじさんだと思っていたが、彼は会話が上手い。一方的に喋ることなく、僕に質問のきっかけを何個も放り投げる。きっと僕が拾わなければ、特に僕に話すことなくコーヒーを啜るのだろう。なんと罪なおじさんだろうか。


「何に行き詰まっているんです?」

「これからの事さ。どうも納得いかなくてな」


結局、彼は髭に付いた紙ナプキンの残骸に気付くことなく、コーヒーを飲み始めた。僕の知りたい具体的な核心をはぐらかされている。そして、僕から質問を投げかけるのをこのおじさんは待っているのだ。きっと僕から何も話さなければこの関係は終わってしまう。カップを口から離す頃には紙ナプキンは消えていた。考えるよりも先に、僕の口は動いていた。


「これからの事?ずっとここに通われているのに何もお聞きしていませんでしたね。普段、何をされているんですか?」

「…………不老不死を大成する為に働いている」


不老不死。老いることなく、死ぬことなく。

おじさんなりのジョークなのだろうか。もしかするとヒントかも?

結局僕は何一つ分からない。漠然とした回答しか返ってこないことにもどかしさを感じながら、日常生活で聞き慣れない言葉を僕は噛み砕く。理解できるのに酷く時間がかかった。


「……職業は科学者ですか?」


いや、きっとどれだけ時間をかけようが僕はこれっぽっちも理解は出来ていない。このおじさんが科学者の風格をしているかと言われれば僕はすぐさま「NO」と唱えるだろう。砂糖の量の厳格さはきっと科学者のそれかもしれないが、それ以外が如何せん雑なのだ。失礼ながら、この調子で研究していてもきっと何の成果も生み出せないだろう。例えば、紙ナプキンがろ紙だったら?コーヒーと共に消えていった、紙ナプキンの破片のようにろ紙もきっと薬品の中に溺れて、どこかに流されてしまうのかもしれない。


「だったらもっと明瞭だったろうにな。物理的に老いて死ぬことは誰にも避けれない」


現実問題、冷凍保存が良いとこだろうさ。当分はな……とコーヒーを飲む仕草は酒を飲むそれと大差ない。愚痴にも聞こえる言葉に、僕の頭は余計に混乱した。不老不死を追い求めてる、しかし科学者では無いと言う。更に、老衰は避けれないと矛盾めいたことを言ってのけている。一体何に従事しているのか、僕には皆目見当もつかなかった。


「当ててみるかい。俺の職業」

「ええ……教授?」

「それじゃ科学者と変わらんだろうが」

「じゃあ、考古学者……?」

「まあ面白い観点だな」

「じゃあ、あなたは錬金術師で……ニコラス・フラメルだったり?」


お手上げだった。不老不死と言えばの連想ゲームで思い浮かんだ単語を僕は並べた。その僕のトンチキな回答を彼は豪快に笑い飛ばした。幼い頃に読んだ、ファンタジー小説に出てきたその名前は酷く印象的だった。好奇心で調べた彼の名は、現実世界でも不老不死の錬金術で伝説となっている男の名前だったのだ。魔法使いはいると信じてやまなかったあの少年時代にその名は鮮明に刻み込まれていた。

結局、何が彼のお眼鏡に叶ったのか僕には何一つ分からなかった。それでも彼なりの大喜利で座布団を獲得出来た事に僕は一種の満足感を覚えたものだ。


「あんた、ガキの頃の夢ってなんだった?」


また少し核心から離れておじさんが問いかける。彼は僕を気にもかけず、数口飲んだコーヒーにミルクを足していく。少しずつ淡い茶色へと斑になっていく表面を、おじさんとじっと見守ってから過去を思い返す。


「なんだろう……、ヒーローになること、ですかね?」

「いいね。その夢、叶ったかい?」

「まさか、そんな、叶うわけないじゃないですか。フィクションですよ?」

「それが老いの始まりさ」


へらりへらりと笑い飛ばした僕を分かるかい?とスプーンを摘み、教師のようにそれを十分に振り回してからおじさんはスプーンの切っ先をコーヒーに突っ込んだ。ちゃぽんと音を立てて飛沫が飛ぶかとヒヤヒヤしたが、跳ねたコーヒーはカップの中に収まった。


「馬鹿らしくてガキ臭い夢を、有り得ないだの現実を見ろだのと一蹴する時、老いが始まる」


彼は自論を話しているだけ。そうだと分かっているけれど、「お前は老いている」と明確に突きつけられた気がしてたまらない。

僕は老いているのだろうか。きっとこのおじさんより二回りは僕の方が肉体的には若いはずなのに。


「俺はまだガキの頃の夢を諦めちゃいない」


その目はキラキラと輝いていた。

サンタが送ってきたと信じてやまないプレゼントを開けるその瞬間のように、お小遣いを貰う時のように、ヒーローの特撮を見ていた昔の僕みたいに。過去や栄光を並べ立てて自分語りをしているおじさんのように見える彼は、自分の話を聞いて欲しい少年より純粋だ。


「俺は昔から空想が好きだった。……こんなことあればいいなって頭の中でストーリーを立てるんだ。それを何とか実現させようとしてる。もちろん、ヒーローもな」

「素敵ですね。……でも、死は避けれないでしょう?」

「そうだな。さっきも言ったが、今の技術じゃ冷凍されて未来の技術に期待することが関の山だ」


だから、これが今できる最大限の方法だ、と僕を見つめる。メガネの奥から覗く薄い青は酷く無邪気だ。その中に一体どんな世界が渦巻いているのだろう。心無しかその青にヒーローのマントがはためいているのが見える。

ダイナーのカウンターでカップを磨き、注文を受けて、会計をして、モップをかける。そして給料を貰い、その日その日を生きていく。そのローテーションの生活を至極当たり前だと思っていた僕はきっと、なにも面白みのない浅煎りのブラックコーヒーなんだろう。

僕は唐突に、交通事故にあって入院した過去のことを思い出した。動くことが出来ず、1日中同じベッドの上で、何も出来ずに夜が明けるのを待っている。その日々以上に心が死んだ日は無いと思った。何かしら意思を持って動いている時こそ、心の老いを止めることが出来るのだろうか。


「俺は、この世に生きている人間全員から忘れられた時が死ぬ時だと思ってる」


思いを巡らせているうちに下がっていた頭をあげる。おじさんが背を向けるダイナーの窓は雲ひとつ見えない青い空だった。逆光の中、おじさんは笑ってコーヒーのカップを再びつまみ上げて、僕が今まで読んできた漫画のヒーローよりも勇ましく、挑戦的な笑顔を浮かべた。


「人の心にずっと俺を留めておけることが出来たなら、それは不死であると言えるのさ」

「……なんか、とんちみたいですね」

「それが俺の思う不老不死って訳だ」

「僕はそれ、好きですよ」


まだこれから僕の人生は上手く行けば何十年と続くはずだ。まだ先行き長いはずの人生の中で、僕がこのダイナーで働いているのなんて一瞬のことなのだろう。それでもその一瞬に押しかけてきたこのおじさんは強烈な何かを僕に見せてくれた気がする。


「ニコラス・フラメルっていうのも案外嘘じゃないのかも」

「さあ、どうだろうな。老けないように夢見て動いて、死なないために、人の記憶に残るように働く。……まあそんなことをやってるのさ」


結局核心ははぐらかされたままだった。結局、何をしているのか、と口を開くより先に、ダイナーの扉が開いてしまった。暑い日差しから逃げてくるように転がり込んできた彼は僕より少し年上のようだ。「いらっしゃいませ」と声をかければ、彼は僕を見て小さく頭を下げ、おじさんに近づいた。


「やはり、ここでしたか。もうミーティングの時間を過ぎてますよ」

「ああ、もうそんな時間か。……ありがとう、お釣りは君が取っておいてくれ」


差し出されたその紙幣はコーヒー1杯にしては高額だ。いつもは貰い慣れているはずのチップ。どうしても受け取れない。彼はずっとここの常連だったが、僕に話しかけてくれたのも初めてであったし、心付けを渡してくれたのも初めてだ。なんだか、別れのように感じられたのだ。


「……こんなに、いいんですか?」

「今からのことを考えればこれでも安い」

「僕、まだあなたのことが分かりません。あなたの職業も結局聞けずじまいですし」

「俺のこの後の仕事が上手く行けば、きっといつか分かるはずだ」


自分に言い聞かせてるようにも聞こえた。きっと行き詰まっていた何かが彼の中で動き出したのだろう。僕の手にくしゃくしゃとお札をもう一度握りしめさせた彼は、颯爽とダイナーを後にした。

その日を境に、おじさんはぱったりと来なくなってしまった。僕から彼の沙汰を知ることは出来ない。どうか、不老不死を大成しててくれ、と僕はサイフォンでコーヒーを落としながら常々願っていた。

おじさんが居なくなったダイナーは酷く、酷く退屈だ。


それから、2年過ぎただろうか。もうきっちり僕も覚えていない。忘れかけようとしていた頃に、僕が新しく職を探そうかと腰を上げた頃に、彼は現れた。……いや、正確にはダイナーのテレビに彼が映っていたのだ。


『ニック・フリードマン監督の最新映画、『レッド・アライブ』がロングラン。まだまだ興行収入の伸びを見せています。今年の興行収入ランキングにも食い込み、期待が集まっていますね。しかし、その過程は決して楽では無かったと伺いました』

『実はシナリオの進行で行き詰まっていた時期があったんだが、その時に素晴らしい出会いをしてね。多分、その出会いがなければ…………』


ダイナーの扉が開いて、外の涼しい風がカウンターを通り抜けていく。爽やかな風に思わず目を細めてみた。ダイナーの窓からは一切雲が見えない晴天の昼。


「いらっしゃいませ。夢にまた近づいたみたいですね」

「おや、バレてしまったな」


僕の頭上にあるテレビを見やりながら、大きく笑い、不老不死に1歩近づいたおじさんはいつものコーヒーを注文した。もちろんシュガーポットも忘れずに用意をする。



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