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[短編小説]No.741光の先

作:碧風ゆうり 

 夢で誰かと遊んでいた
 陰で誰かはわからない
 楽しかった
 でもいつの間にか
 すべてが真っ暗に
 でも楽しかった
 遠くから光が見つめていた

 雨音に気づいた朝。
 時計を見ると朝の5時だった。いつもなら迷わず二度寝をするが、最近よく見る夢のせいで寝る気にはなれなかった。体を起こして窓を見ると外はほんのり明るく、鳥の鳴き声が聞こえた。テレビをつけると通販番組でよく切れる包丁が紹介されていた。伸びをしながら冷蔵庫を開くが、中身はほとんど空っぽだった。散歩がてらにコンビニにでも行こう。
「ご覧ください。こちらはこの器械で作った温泉卵です!」
温泉に行きたいなぁ。でも皆忙しいだろうな。大学三年目の夏休みが目の前で待っているが、友だちは皆インターンで忙しく自分は院進するつもりなので、予定が全く合いそうになかった。周りが就活を始めている中、自分はこのまま進んでいいのだろうか。7月下旬を向かえるにも関わらず、心の中は相変わらず梅雨真っただ中だった。ため息をつきながら上着を羽織り、外に出た。
 
 ドアを開けると、風が吹いていて少し肌寒く感じた。小雨がまだ降っていたが、気にせずコンビニに向かった。朝だから人通りが少ないかと思ったが、仕事に行く人やランニングをしている人をぽつぽつと見た。よくこんな朝っぱらから活動できるな、自分には無理だ。そうぼやきながら公園の角を曲がる。いつも子どもたちが走り回っている賑やかな公園はそこにはなく、やけに静かさを感じた。自分にも公園を何も考えずに走り回っていた時があったんだろうな。駄目だ、何を見ても悲観的に考えてしまう。頭の中の黒い霧を振り切るためにいつの間にか走り出していた。
 気が付くと神社の階段の前にいた。その神社は下宿先のアパートのある住宅地から少し離れたところにあった。
 少し長めの石階段を上り終えると、まるで自分がいつもの世界から切り離されてしまったようだった。木々に囲まれた境内は太陽が昇っているにもかかわらず薄暗く、空気もひんやりとしていた。一年生の時は悩み事があるとよくここに来ていたが、忙しくなるにつれ最近は足が遠のいてしまっていた。端にあるベンチに座り、木々をぼーっと見つめる。
 最近みる夢は一体何なんだろうか。闇の中で遊んでいる自分と、それを見ている誰か。あれは誰なんだろうか。自分を助けれくれる人なのだろうか。
 時間が風のごとく過ぎ去った。神主さんが掃除をしに来た。軽く会釈をして階段を下り始めた。途中で若い二人組とすれ違った。
 不思議と心が軽くなったような気がして、雨上がりの中軽い足取りでコンビニへ向かった。
 
 店内に入り時計を見ると、既に6時前だった。奥へ進むとスーツを着た人たちがパンを選んでいた。お目当ての温泉卵とおにぎり2つをかごに入れた。それからトマトと焼きそばパンをかごにいれた。
 結局アメリカンドッグも片手にコンビニを出た。高校の部活帰りによく友だちと食べていて、なんだか懐かしくなって思わず買ってしまったのだった。朝から胃に悪いかもしれないがたまにはそんな日があってもいい、自分に言い訳をしてアパートへ向かった。
 アパートの近くの坂に差し掛かるころには、ホットドッグはほとんど食べ終わっていた。残った棒をビニール袋に入れていると、後ろから高校生たちが自転車に乗って坂を駆け上っていた。3人は隣の県の高校名が書かれた大きなカバンを肩から掛けており、野球部の朝練に向かっていることが一目でわかった。心の中でエールを送りつつ顔をあげた先の電柱ではセミが鳴いていた。
 夏が来た。

 アパートについてテレビをつけると、丁度天気予報が始まった。今日はずっと天気がいいらしい。梅雨明け目前だが明日からはまた雨が続くため、今日が絶好の洗濯日和だそうだ。後で洗濯しようと思い、休憩がてらにYouTubeを開いた。今までYouTuberには興味なかったが、最近見つけたチャンネルがあってそれを何となく見ている。自分が好きなクッキーを焼いている動画が好きなのと、何だか見覚えのある顔だったからだ。最新の動画のモーニングルーティーンを見ていると、途中でうとうとしてそのまま寝てしまった。
 目を開けるとテレビでは芸能人が街でかき氷を食べていた。時計を見るともう10時だった。小学生の時はよく学校から帰った後にかき氷を作っていた。ふわふわのかき氷も好きだが、昔ながらのじゃりじゃりとしたかき氷も好きだった。かき氷を見ると夏の訪れを感じる。
 そうだ、洗濯をしないと。立ち上がって洗濯物を洗濯機に入れていく。洗剤を入れて、柔軟剤を入れようとしたとき、柔軟剤が無いことに気づいた。詰め替えなんて買っているはずもなく、仕方なくドラッグストアへ行くことにした。
 
 ドアを開けると朝に感じた涼し気な空気はもうすでになく、初夏を彷彿とさせる太陽が輝いていた。ドラッグストアはコンビニとは逆方向で、坂を上ると小学校がある。側を通ると子どもたちのはしゃぎ声や水を蹴る音が聞こえてきた。丁度プールの授業が行われているようだ。小学生の時は体育が一番好きで、とりわけプールが大好きだった。自由時間にはよく友だちと水中でどれだけ回転できるか競い合っていたっけ。自分は一回転が精一杯だったけど、何回転でもできる友だちがいてよく教えてもらっていたような気がする。でもその子の顔や名前は思い出せなかった。そしてプールで遊べる夏も大好きだった。しかし今はそれほど夏が好きじゃない。むしろ嫌いかもしれない。自分には夏が眩しすぎるからだ。
 そんなことを考えていると目的地に到着した。中は冷房がきいていて心地よかった。
 
 柔軟剤コーナーに行くと、余りの種類の多さに驚いてしまった。さて、自分が今まで使っていたのはどれだろう。折角だから新しいのを買ってみようか。上から見てパッと目に留まったものを選ぼう。
 左上から順番に見ていくと、中段辺りで目に留まったものがあった。容器に見覚えがある。多分前に使ってたのと同じシリーズだ。これにしよう。めんどくさいから詰め替えも一緒に買うことにした。
 他に何か買うものはないかと店内をぐるぐるまわると、クッキングシートが目に入った。小さい時からお菓子作りが好きで、特にクッキーを焼くのが大好きだった。高校生の時は定期考査の度に作っていたし、大学に入りたての時もよく焼いていたけど、今はすっかり焼かなくなってしまった。久しぶりに焼いてみようかな、手に取ってかごへすべらせた。
 
 セミの合唱を耳にしながら家へ着くと、柔軟剤を入れて洗濯機を回した。買って来た柔軟剤は全然同じシリーズでもなんでもなかった。やっぱり詰め替えは一緒に買っておくべきだな、心の中で少し笑いながらテレビをつけた。
 11時からの番組が丁度始まったので、とりあえずおにぎりを食べることにした。番組では熱中症対策が紹介されていた。年々暑くなってくる夏は本当に辛い。自分が小学生の時に夏がこんな暑さだったら、耐えられなかっただろう。涼しい部屋でおにぎりと温泉卵を食べたが、胃は満足してくれなった。何か作ろう。
 作るといってもパスタを茹でるだけで、その間に申し訳程度の野菜としてトマトを切っていく。今朝見た通販番組の綺麗な断面のトマトを思い出して丁寧に切ってみたが、そんなことで切れ味が良くなるわけがなく、まな板は赤く染まった。ミニトマトなんか切らなくてもよかった。後から気づいた。
 電子レンジで温めていたカルボナーラソースを茹で上がったパスタにかける。初めてカルボナーラを食べたのは小学校4年生の時で、姉と一緒に行ったカフェで食べたのを覚えている。
 パスタとサラダを食べながらSNSをチェックする。多分あんまりよくないんだろうけど、一人暮らしを始めてすっかり習慣になってしまった。就活中の友だちの投稿を見ると、どうやら気晴らしにかき氷屋さんに行っているようだった。
 そういえばかき氷といえばプールと言うのが自分の中にはあった。小さいころに家族で毎年のように遊びに行っていた流れるプールで、よくかき氷を買ってもらったからだ。夏の楽しみの一つだった。今はもうそのプールは別の施設になってしまったけど。
 プールもしばらく行ってない。そういえば高校生の時に友だちと行ったっけ。あの頃は楽しかったなぁ。そんなふうにぼやぁっと考えていると、廊下から電子音に呼ばれた。
 大量の洗濯物をハンガーにかけていく。やっぱり梅雨は嫌いだな。たまった洗濯物ほど面倒くさい物はない。気分もじめじめするし。でも夏も来てほしくない。

 ハンガーをベランダに干しに行く。室内に置いていたタオルハンガーをベランダに戻し、タオルをかけていく。いい天気だ。せっかくなのでシーツも洗濯することにした。シーツをベッドから剥ぎ取り、もう一度洗濯機を回した。今更昼食を食べ過ぎたことに気づき、少し横になることにした。
 ぼーっとテレビを見ていると、夏の遊びスポット特集が始まった。世間はどこもかしこも夏で浮足立っている。自分とは正反対だ。どうしてこんなに夏が嫌になったのだろう。
 思えば大学に入ってから素直に夏を楽しめなくなった気がする。もちろんサークルにも参加したり友だちとも旅行に行ったりしていたけど、将来に対する不安が心なしか付きまとっているようだった。しかも今年は全く予定もなく、両親の都合で帰省する予定もなかった。不安だ。周りから取り残されている気がする。
 なんだか居ても立っても居られなくなり、勢いよく体を起こした。袋の中のクッキングシートと目が合ったような気がした。そうだ、クッキーを焼こう。
 
 レシピを見ながら材料を量る。これは小さいころにお母さんに教えてもらったもので、自分のお気に入りのレシピの一つだった。自慢じゃないけど高校生の時にはこのクッキーのファンもいた。会ったことはないけど。そういえば小学生の時に友だちが家に遊びに来て、よく一緒に作っていた気がする。でも誰か思い出せない。記憶力は良いつもりだが、クッキーを一緒に作った友だちとプールで一緒に遊んだ友だちはどうしても思い出せなかった。
 丁度生地を冷蔵庫で入れた時にシーツの洗濯も終わった。ベランダで物干し竿にシーツを広げると、柔軟剤のいい香りがした。初めて使った柔軟剤のはずなのに、なんだか懐かしい匂いがする。記憶をたどると、なぜだか小学校の時のプールの授業を思い出した。誰かが使っていたのだろうか。
 「今日の占いです!この5つの動物の中から1つを直感で選んでくださいね。」
テレビの声が聞こえた。よくお母さんと一緒に見ていた占いで、選ぶ動物はいつも決まっている。
「ウォンバットを選んだあなた。最近心の中に出てくる懐かしい友人と旧交を温めましょう。そうすればその友人が目の前の不安を助けてくれるでしょう。」
世の中にはこんなにドンピシャな占いがあるのか。しかもこの占いは評判がそこそこ良い。心の中に出てくる懐かしい友だちと言えば、プールとクッキーの友だちしかいない。仲が良かったはずなのに二人も記憶にないなんて、もしかしたら同一人物じゃないのだろうか。
 

 興味本位で本棚から小学校のアルバムを取り出した。元々持ってくるつもりはなかったが、母がこっそりと荷物に入れたものだった。
 ケースから取り出して表紙をめくり、ひとりひとりの顔を見ていく。しかし特にピンとくる人物はおらず、さらにページをめくると3年生の校外学習の集合写真を見つけた。念のために確認すると、いかにも活発そうな子が目に入った。この子だ。直感でそう感じた。もう一度個人写真のページに戻り、一人ずつ見比べていく。しかし同一と思われる人物はいなかった。念のために去年の同窓会の集合写真とも比べてみたが、やはりそれらしい人はいなかった。幹事曰くめでたく全員出席だったそうなので、となるとこの子は引っ越してしまったに違いない。これで自分が覚えていなかったのにも合点がいく。さて、どうしたものか。先ずは母に聞いてみよう。返信を待っている間にクッキーの型を抜くことにした。
 

 生地をオーブンに入れて洗い物をしているときに返事が来た。名前は覚えてないけど苗字はたしか『山本』で、小学5年生の時に京都府へ引っ越したそうだ。なるほど。もしかしたらSNSで見つけられるかもしれない。
 とりあえずTwitterで調べてみることにした。しかし一体どこから探していけばいいのだろう。見当もつかず画面をスクロールしていると、ある会話が目に留まった。なんと小学校の友だちと高校の友だちが会話をしていたのだ。調べてみると、どうやら二人は同じ大学でバスケ部に所属しているようだ。こんなところで繋がるなんて。念のためそのバスケ部のアカウントをチェックすると、おすすめユーザーで関西のアカペラのインカレのアカウントが出てきた。もし山本さんがまだ関西圏にいるなら、インカレに所属してるかも。試しにアップされている画像をチェックしていくが、あまりにも人数が多くて全員を確認するのは余りにもバカバカしかった。
  オーブンの焼けた音がした。鉄板を取り出してクッキーを食べてみるが、想像していた味とはほど遠いものだった。どうやら焼き過ぎてしまったようだ。こんなミスをしてしまうなんて。何か背中に重いものを感じた。駄目だ。やる気を失ってしまった。そもそもなんでこんなことをしているのだろうか。占いなんて普段は信じないくせに。そんなものにすがって何がしたいのだろう。
 

 とても明るい小学生だった。今でも自分でそう思う。元気で明るくて誰とでも仲良くできる。よくできた小学生。でも中学校に入って一変した。環境が変わったのがどうやら駄目だったらしい。高校に入ると、周りに溶け込むことを覚えた。もちろん誰とでも仲良くすることができる。相手の顔を見れば考えてることがすぐにわかった。大学に入ってからもそう。そうやって自分は生きてきた。
 でも、今考えるとそれすら危ういことに気づいた。自分はいつも崖をなぞるように生きていたことに気づいた。心から楽しく遊べた相手は、山本さんだったのかもしれない。もちろん小学校の記憶なんて当てにならないし、仮に会えたとしても、もう成長してしまってあの時と同じように接することなんてできないに決まっている。
 とりあえず洗濯物を取り込もう。そうしたら今日はもう何もしなくていい。文字通りとぼとぼとベランダに行き、タオルとハンガーを取り込んだ。クローゼットにかけた後、再びシーツを取りに戻る。すっかり乾いたシーツの香りを確かめると、やはり小学校のプールを思い出した。一緒にプールで遊んだりクッキーを焼いたりしてくれた山本さん。どこにいるのだろう。シーツをベッドに敷いているとき、また母からメッセージが来た。

 そういえば山本さんから、しばらくの間手紙が来てたことを思い出して、
あなたの部屋の引き出しを見てみたら、名前はなおさんだって。山本なおさん。
それから、仕事の予定が上手く調節できたので、お盆はぜひ帰って来てね。

 山本なおさんか。ここまでわかったら会ってみたい。そしてお盆も帰れることになったことで少し安心することができた。
 しかしどうしたものか。一応Facebookで検索してみたものの、世の中のありとあらゆる山本なおさんがヒットした。やっぱりここまでか。気づいたら焼き過ぎたクッキーを食べながら意味もなくTwitterのフォロー欄をスクロールしていた。こんなところで見つけられるわけないよなぁ。さらにクッキーを食べすすめる。口の中がパサパサになってた。心もパサパサになってきた。すると突然、Naoというアカウントが目に入った。
 恐る恐るタップすると、『京都⇒大阪⇒京都』という文字とInstagramのURLが貼られていて、最後のツイートは一年前のものだった。これで最後だ。そう思いInstagramのリンクを開く。
 画面には後ろ姿がアイコンの鍵がかかったアカウントのページが表示された。ここでフォロリクを送ったら気持ち悪いだろうか。でもTwitterではフォローもされていたので大丈夫なはず。少し葛藤した後、ついにフォローボタンを押してしまった。
 急にそわそわして来た。心臓の音がやけに速くなる。手汗をかいているような気もする。深呼吸をするが、心臓の音はそう簡単には収まってくれない。気分転換にシャワーを浴びることにした。
 

 丁度泡を流し終わった後、外においてあるスマホから音がした。急いで確認すると、Instagramの通知だったので慌ててスマホを開く。しかし自分をフォローしてくれたのは山本なおさんではなく、なんといつも見ているYouTuberだった。意味が分からない。本当なら嬉しいはずなんだけど、何だか拍子抜けしてしまった。念のため例のアカウントをのぞいてみるが、フォローどころかリクエストも許可されていなかった。
 どっと疲れてしまった。もう忘れてしまおう。だってもう会えるわけないし。会ったからって何か変わるわけでもない。急に気が抜けたからか、お腹が空いてしまった。そういえば晩御飯をまだ食べてなかった。でも作る気力もないしな... そういえば今朝パンも買ったんだっけ。ビニール袋から焼きそばパン取り出した。
 今日も新しい動画上がってるかな。YouTubeを開いてアップロード動画の一覧を見ると新しい動画が上がっていることがわかったが、それよりも今日見た動画のサムネイルに目が行ってしまった。それは丁度洗濯機に柔軟剤をいれる場面で、左手に持っていた柔軟剤は今日買った柔軟剤と同じものだったのだ。はぁ、この動画の影響であの柔軟剤を買ったのか。してやられたというかなんというか。
 

 気を取り直して最新の動画を見ることにした。今日の動画はコラボ動画で、『近所のパン屋さんの商品全部食べてみた』というものだった。パンだなんてこれまたタイミングが良すぎる。焼きそばパンをほおばりながら動画をぼーっと見始めた。
「そういえば今回の企画はパン屋さんの商品を食べるって感じやけど、なんでここにクッキーがあるん。」
「めっちゃクッキー好きなんですよ。あ、これちゃんと同じパン屋さんの商品ですからセーフですよ。」
「この人店に入った瞬間にクッキーへまっしぐらって感じで。なんならクッキー全商品詰め放題やってみたとかの方がよかったんちゃうかって思うくらい。」
「ほんとにクッキーに目が無くて。」
「ちょくちょくクッキー作る動画あげてるよな。どのクッキーが一番好きなん?」
そうそう、クッキーの動画見てチャンネル登録したんだった。
「うーん、割と好き嫌いせずに全てのクッキーを平等に愛しているんですけど、昔に食べた忘れられないクッキーがあって。」
「え、何その淡い恋の話!聞かせてや!」
「全然そんなのじゃないんですよ。私小学校5年の時に引っ越ししてるんですけど、それまで仲の良かった子がめちゃくちゃお菓子作るのが上手で。よくおうちに遊びに行って一緒にクッキー焼いてたんですよ。」
何か聞いたことある話だなぁ。
「いい思い出!でも小学校で引っ越してしまったってことはもう会ってない感じ?」
「それがですね、たまたま高校が同じだったんですよ。でも学科が違ったから同じクラスになることはなくって。何で気づいたかっていうと、友だちがクッキーを分けてくれたんですけど、なんとそのクッキーはその小学校の時の友だちが作ってたんです。よく部活の友だちに配ってたみたいで。食べた瞬間すぐにわかって、その子の話をしたら友だちは一緒に貰いに行こうって誘ってくれたんですけど、忘れられてたらショックだなって思って一度も行けなくて。だって小学生の時に引っ越した友だちのことなんて覚えてるわけないって思いましたし、しかも突然クッキー食べてもしかしたらと思ってきました!って言われたらめっちゃ怖いじゃないですか。だから結局友だちが自分の友だちにファンがいるからって言って2つ貰ってきてくれてました。2年後の同窓会の時にその友だち経由でちょこっと挨拶してTwitterをフォローして、それっきりです。」
ファン、同窓会、Twitter… まさか。
「いい話と言うかなんというか。クッキーに対する執着がやばい。そのクッキーマスター、もしかしたらこの動画見てるかもやな。」
「え、それはなんか恥ずかしいですね。でも見ていてくれたら嬉しいですよね。クッキーはもちろんですけど、本当に仲良かったので。自分の人生で一番じゃないかって思えるくらい。もちろんもう10年以上前のことですから、お互い成長して、変わったところもたくさんあると思うんですけど、それもまた含めてお話しできたら楽しいですよね。」
「ええ話やわ。友情に勝るものなんてないな。まだまだパン残ってるけどその話でお腹いっぱいやわ。」
「じゃあカメラきって後でゆっくり食べましょ。」
「ということで、終わります!まぁ企画としては全然達成してないけど、いい話聞けたし楽しかった!もしクッキーマスター見てたらコメント頂戴や!!さようなら~」
「さようなら~」
もしかしてこの人が山本なおさん?そんなまさか、あり得ない。小学校の友だちがたまたま見始めたYouTuberだったなんて話があるわけがない。再び心臓の鼓動が早くなり始めた。でもあまりにも話が一致し過ぎている。高校の時のファンも部活の友だちの友だちだった。それに実際にそのファンの子とあったのは高校の同窓会で、しかもその時にTwitterをフォローしあったはず。そして自分の高校は大阪だったが、京都から通学している生徒も多かった。
 とりあえず落ち着くために残りの焼きそばパンを口に詰め込んだ。するとInstagramからまた通知が来た。なんと例のYouTuberからDMが届いたのだ。恐る恐る開くと、次のような文章が表示された。

 こんばんは!
いつも動画を見てくださってありがとうございます!
今日は折り入ってお話が合って、DMをさせていただきました。
本日アップしたパンを食べる動画は見ていただけたでしょうか。
その動画の中で話していた友人がもしかしたらあなたかもしれないと思 い、ご連絡させていただきました。
本日の動画内で話していた友人と思われる方から、
私の個人のInstagramのアカウントにフォロリクがありました。
もしかしてと思ってこちらのアカウントのフォロワーを調べてみると、
フォロリクを送ってくれたアカウントであるあなたのアカウントが既にこのアカウントをフォローしておりました。そしてこちらの顔はわかっていると思いましたので、
あえてこのアカウントでご連絡させていただきました。
もしよろしければご返事ください。

 なんだか怖くなってきた。心のどこかで別人だと願っているぐらい。逃げ出してしまいたい。でもここまで来たのなら、最後まで確かめるしかない。もう一度小学校のアルバムを開く。ごくりとつばを飲み込み、校外学習の写真を見る。
 やっぱりそうだ。同一人物。いつも画面の向こうでクッキーを焼いている人物こそ、山本なおさんだった。クッキーを一緒に作ったり、プールで一緒に遊んだ友だち。深く息を吸い、ゆっくりとはいていく。知らないうちに繋がっていたんだな。なぜか目頭が熱くなり視界がにじんできた。落ち着いた後、スマホを開いて返信をした。
 そして今週の金曜日、大阪で会うことになった。

 雨音に気づいた朝。
 時計を見ると朝の7時だった。いつもなら迷わず二度寝をするが、今日は起きなければならない。体を起こして窓を見ると外はすっかり明るく、鳥の鳴き声が聞こえた。テレビをつけると朝のニュース番組がやっていた。
 伸びをしながら冷蔵庫を開けて納豆を取りだした。冷凍ご飯を温めている間に納豆を混ぜる。付属のタレをかけて混ぜた後、砂糖を小さじ一杯入れてよく混ぜる。ご飯を茶碗に移して納豆を上からかけた。
 テレビを見ながら納豆かけご飯を食べ進めた。一見すると穏やかな朝のような気がするが、心臓は正直でとても大きな音をたてている。今日は約束の金曜日。意識すればするほど心臓の音は速く大きくなる。音をかき消すようにご飯をかきこんだ。
 今日はクッキーを作って持っていくつもりをしているので、クッキーの準備を進めていく。緊張している場合ではない。けれどもいつもの悪い癖で、ついつい悪い方向へ考えがどんどん進んでしまう。クッキーが失敗したらどうしよう。会えなかったらどうしよう。そもそも別人だったらどうしよう。そんな考えが頭の中でひたすら巡っている。
 

 小麦粉をふるいながら自分を慰める。大丈夫。遠くからみて見て違う人だったら行かなければいい。会えなかったら、会わなくて済む。
 生地をゴムベラで混ぜ合わせながら考える。会えたらラッキーぐらいでいいじゃん、と。生地をまとめてラップで包み、冷蔵庫で寝かせる。その間に電車の時刻を確認し、身支度を整えていく。いつの間にかついた悪い癖で、期待が外れた時のことをずっと考えている。そして結局予想通り期待は外れてしまって、一人で落ち込むのがオチだ。心が重い。
「続いては関西の気象情報です。本日関西の梅雨明けが発表されました。現在降っている雨も午前中にはやむでしょう。」
 外を見ると雨は既にやんでいて、梅雨明けを象徴するかのように太陽が輝いていた。心の中は相変わらず土砂降りだった。
 クッキーを型抜きして鉄板に並べていく。そうだ、そもそも行かなければいいじゃないか。無理していく必要はない。体調が悪くなったことにすればいいんだ。オーブンに鉄板を入れて時間をしっかりと確認してスイッチを押した。
 ふと思った。このクッキーは一体誰のために作っているのだろう。それは紛れもなく山本なおさんだった。本人かどうか確証がないのに作っている。でも本当は心の中ではわかってるんじゃないだろうか。いや、心のどこかで願っているかもしれない。どこかで自分が変わることを。一歩前に踏み出して、梅雨が明けることを。
 

 回しておいた洗濯機から洗濯物を取り出して、干していく。やっぱりこの柔軟剤はあの頃の思い出をよみがえらせる。あの頃は楽しかった。素直に夏を楽しんでいた。そんな日がまた来るかもしれない。
 クッキーが焼けた。鉄板を取り出して食べてみると、懐かしい味がした。大丈夫。今日は上手くいく。
粗熱を取っている間にラッピングを準備する。高校の時と同じ透明の袋に赤いリボン、そしてあの時にはなかったメッセージカードを添えた。
 念のためにもう一度電車の時刻を調べると、休日ダイヤになっている気づいた。もう一度検索すると、もう出なければいことがわかった。
 慌てて、でも丁寧にクッキーをラッピングし、玄関前の鏡を見て呟いた。
「自信をもって。」
 意を決してドアを開けた。

 心は目の前の空に負けないぐらい晴れやかだった。
 小学校の横を通る。プールの授業だ。子どもたちの賑やかな声が聞こえてくる。なんだか自分も嬉しくなった。
 駅まではいつもなら徒歩15分程度だが、気持ちがゆったりしていたのか結局最後は電車に間に合うように走らなければいけなかった。
 席は空いていて、海が見えるように進行方向右側の窓側の席に座った。青く穏やかな海は夏の象徴だ。見ていて落ち着いたのか、いつの間にか寝てしまった。
 目を覚ますと大きな川が見えた。淀川だ。少し伸びをして、どんどん近づいてくる大阪の街を見る。InstagramのDMのスクショを確認した。
 
 「放課後によく行ったカフェ」で11時にお会いしましょう。
 もし会えなかったら別人ということですね。
 でもそれは寂しいですし、もしよければ会えなくも連絡をください。

 『放課後によく行ったカフェ』といえばカフェ7番星で、古文の先生の家族がやっているお店だ。ほとんどのお客が同じ高校の生徒ばかりだったので、もしあの人が山本なおさんなら、あそこで会えるはず。
 阪急電車に乗り換えて最寄りの駅へ。カフェは高校から割と近いのでなんだか高校生に戻った気分だった。
 10時55分、カフェのある通りへ着いた。もう中にいるのだろうか、それとも...
 そわそわしていると通りの奥から見覚えのある人が向かってきて、カフェの前で止まった。そして中をのぞいている。間違いない。
 はじけるようになおさんに向かって走り出した。こちらに気づくと、手を振ってくれた。
 夏が、来た。


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