しつけの理由

私は厳しいタイプの母親だと思う。

根本的に心が狭いので、すぐにイライラしてしまう。息子たちには申し訳ないと思うこともあるし、こんな私を慕ってくれることには感謝しかない。

勉強の習慣、習い事の家での練習、食べ方、挨拶…言い出したらキリがない。そして「脱いだ服を表向きにしてほしい」「パジャマは自分で洗濯機に入れて欲しい」など、「言うよりやったほうが早い」が勝ってしまうものの、まだまだ言いたいことは山のようにあるのが現実だ。

私が子どもにしつけをするのは、2つの理由があるからだ。

比重が大きいのは「本人のため」。当たり前だが、息子たちもいつまでも小さいわけではなく、私にとってはいつまでも可愛すぎる子どもたちだが、世間一般でいえばその時期はすでに終えている。
行儀が悪い、挨拶ができない、周りが見えていないとなれば、他人は「なんだこいつ」と思うだろう。ちなみに、私はそういう子どもを見て「なんだこいつ」と思うタイプだ。

私が息子たちを叱るのはいいが、腹を痛めて生んだ我が子が他人様に注意されるのは、あまり気分のよいものではない。
もちろん、言ってくれることはありがたいし「うちの子を叱らないで!」とは思わない。むしろありがたいが、やはり私が心を鬼にしていちいちガミガミ言うほうがいいのだ。

これはママ友や地域の人だけでなく、夫やその他家族にも当てはまることで、もちろん私だけが悪者みたいになるのはいやだししつけをしてほしいが、子どもたちが私以外の人間に叱られているのを見ると、苦しくなってしまう。
というのも、「私が言おう」と思う理由の1つなのかもしれない。

本人のためというのはもちろん、私含めたその他家族が快適に生活するためにも、しつけは必要だ。これが、2つ目の理由だといえる。

自宅には夫と息子2人、私の4人が住んでいるが、夕飯時にはほぼ実家に行くので、私はもちろん、その他の大人たちが子どもの素行で不愉快になるのは避けたい。
集団で生活するというのは、そういうことだと思っている。

子ども特有のにぎやかさや失敗まで「許さん」とは思わないが、食べ方が汚ければ食卓を囲む人間の気分はよくないだろうし、何かをしてもらってもお礼を言わず当たり前といった態度を取れば、「またやってあげよう」と思ってもらえなくなる。
そして、家のなかでのそういった言動は気をつけていても外でも出てしまう可能性があるので、「まずは身近な人に不快感を与えないこと」が大事だと思っている。

息子たちはかわいい。だからちょっといやな顔をされるぐらいベッタベタにくっついたり、「今日は特別だぞ~」とお菓子を多めにしたりゲームの時間を延長したりすることはあるが、こちらが芯をしっかり持っていないと、子どもも何を信じていいのかわからなくなってしまう気がする。

できれば嫌われたくないが、いま「うるさい」「うざい」と思われても、将来「あのときうるさく言ってもらってよかった」と、気づいてくれればいい。

そう思って、頑張るしかないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?