かわいさの理由

「なんでそんなにかわいいの?」

鬼のような私だが、べらぼうに親バカでべろんべろんに子どもを愛しているので、口癖のようにいってしまう。赤ん坊の頃は「かわいい」を連呼し、義母に呆れられたものだ。
とはいえ、謙遜文化の激しい地域の生まれなので、他人様に息子たちを褒められると「そんなそんないやいやいやいやいやいや」といってしまうのも事実。その後「~って褒められたよ、さすがだねぇ」とニタニタと褒めちぎるのだが。

長男は私のコピーのようだといったが、それは幼い頃の話。今はすっかりおばさんと化した私は、美しさの権化(と、勝手に思っている)の長男が「私さんにそっくりね」といわれると、申し訳ないような、「いや~私ってこんな美しいんすか、サーセンサーセン」という気分になる。

そんな長男に「なんでそんなに…」と投げかけると、「知らない」「かわいいよりかっこいいのほうがいい」といわれる。が、帰宅すると仕事部屋に直行して元気に「ただいま」とハグしてくれる長男は、私にとってはまだまだかわいい赤ちゃんだ。

次男に質問すると、「ママがかわいいから」「ママから生まれたから」と、赤ちゃんのような口調でニコニコと答えてくれる。新生児の頃から周囲にマイナスイオンをまき散らしてきた次男のご尊顔は、私に似ても似つかぬ塩顔で、黒木華のような、鶴瓶師匠のような、つるんとした愛嬌のあるタイプだ。
「ママの要素とは」と思わなくもないが、そんな次男の忖度たっぷりの発言がかわいく、私はさらにデレデレになってしまう。

息子たちはいい感じにマザコン、だと思う。私は鬼だしいい加減だし、夕飯は実家で食べるタイプで決していい母親ではないが、主たる養育者というのはこんなにも無条件に子どもからの愛情を受け取れるのかと思うと、生きているだけで幸せだ。

「男の子のかわいさは『つ』がつくまで」と聞いたことがある。つまり、9歳(ここのつ)までの男子は可愛いのだが、10歳を超えると「そこにいたかともいわなくなり、口を開けば『金をくれ』だ」と、人生の先輩が教えてくれた。
時代の流れとともに親子の関係や反抗期の在り方も変化しつつあるが、やはり異性である息子たちは、私とは間もなくお風呂に入ることはなくなるだろうし、子どもができる仕組みをすれば軽蔑するかもしれないし、老いていく私にお世辞でも「かわいい」といってくれることはなくなるだろう。

私を見て呆れていた義母も「子どもが小さい頃がいちばん幸せだった」といった。2歳差育児はいいようのない大変さもあったが、少しだけ楽になったいま振り返ると、毎日が喜びと発見の連続で、私はこの数年、息子たちのおかげで「母親」というものに少し近づけたのではないかと感じる。

「ママのおかげでかわいい」「ママがいると楽しい」などとヨイショヨイショされるのもあと数年。私のような人間にも、自信を与えてくれる息子たちには感謝しかない。だからそんな言葉に応えられるよう、私なりに内面も外見も磨いていきたいと、未熟ながらに思うのだった。

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