HSPが客室乗務員になったら...その1〜CAを目指したわけ〜
この回は、どうして客室乗務員に転職することになったのか、という話です。
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私はHSS型HSPです。
HSS型の人にありがちと言われているのが、
海外志向
私も、物心ついた時から外国や英語に漠然とした憧れがありました。
小学校の卒業文集には、「私の夢はスチュワーデス!」
と意気揚々と書いたのを覚えています。
(20年前は、まだ、スチュワーデスと呼ぶのが主流だったと思います)
時は流れ、小学校の頃の漠然とした夢を現実にしようと思ったのは、25歳の時でした。
私は、当時働いていた会社に馴染むことができず、もがき苦しんでいました。
社員が20名程度の小規模の会社だったので、「事務所」よばれるオフィスでも、一人一人の席がとなりあっていて、誰が何をしているか、すぐわかる。
HSPの私にとっては、一番やりづらい環境。
特に、直属の上司となった10歳年上の女性との相性が悪く、ものすごくストレスを感じていました。
持ち前のHSPの特性を遺憾なく発揮し、
・上司の目が気になってメール一つ帰るのに何十分もかかる
・あれこれ考えすぎてなかなか質問できず仕事が進まない
・周りの人の作業の音や話し声が気になって、自分の仕事に集中できない
・急なお願いや仕事が入ると優先順位がわからなくなってパニック→上司に怒られる
こんなことが日常でした。
さらに、それとは別に、特殊な社員構成の中の人間関係にも苦戦していました。
自分で選んだ会社のはずなのに、なぜこの会社にいるのか、こんなに辛いなら早く辞めて他に転職した方がいいんじゃないか、
そんなことばかり考えるようになりました。
そんな時ふと、昔の夢を思い出したのです。
「客室乗務員になりたい」
会社での居心地の悪さと反比例するように、長年忘れられていたその夢は、どんどん大きく、輝きを増していきました。
そして、ある日、会社からまさかの退職勧告を受けたのです。
(なぜこうなったのかの説明はここでは割愛します)
今となっては、勧告してくれたのはある種の優しさだったと理解できます。
ですが、当時は、まさか自分が、会社から「辞めてくれ」なんて言われる日が来るなんて、
信じられませんでした。
今まで頑張ってきたこと、プライド、自分という人間、全てが否定された気持ちになりました。
もう生きていてもしょうがない
私は、こんな小さな会社からもいらないと言われるほど、価値がない人間なんだと深く深く落ち込みました。
いっそ死んでこの人生を終えてしまいたい
と、この頃は毎日考えていました。
それでも、そうならなかったのは、
「夢」
があったから。
もう、この道に進むしかないと、
後はないんだと、
自分の中で決心するしかなかった。
そこから、当時の貯金60万をほぼ全て客室乗務員になるための転職資金に費やし、
転職活動を始めてから3ヶ月ほど、受けた会社は3社のうち、中東の航空会社に内定しました。
失ったものが大きかったのか、あまりにもあっさりと客室乗務員としての道を開くことができたのです。
私が働くことになったのは、
中東の航空会社(今年、ワールドカップが開催される国です)
本当は、第一志望は、中東の別の航空会社でした。
ですが、身長が159センチであまり高くないため、試験の初期段階を通過できませんでした。
一刻も早く転職をしたかった私は、第一志望の会社の面接練習のつもりで受けた会社に、勢いで入社することにしたのです。
早く自信を取り戻したくて、
早く今いる環境から抜け出したくて、
早く「夢」を叶えたくて、
私は、内定の知らせを受けてからほんの1ヶ月余りで、中東に移住することにしました。
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なんだか、ただの日記のようになってしまいましたが、読んでくださった方、ありがとうございました。
中東の航空会社の社風、制度、人種などは、世界中にある航空会社と比べると、特殊です。
それがHSPの自分にとってすごく良かった面もあれば良くない面もありました。
次回は、そんなことを書こうと思います。
少しは、誰かの役に立つかもしれないです。
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