私に、戦う理由はあった。
2020年になってようやく瀧本哲史さんの本を読んだのは、今の彼氏が瀧本さんと編集者の柿内さんの信者だったからだ。2012年に瀧本さんの講義が行われていた頃は、その彼氏の存在を微塵も知らず、ひいては講義のことも知らなかった。
2012年というと、茶道に出会って1年ほどしか経っていなかった。その頃は茶道楽しいなぁと思っていたのだが、その後の茶道人生は全て「なぜ茶道を好きと言い切れないのか」とモヤモヤしていた。そうして28歳現在、気付いたら人生の3分の1を「好きと言い切れないもの」に費やしている。
瀧本さんは「何か自分で、これはちょっと自分ができそうだなっていうことを見つける」と言っていた。その意味でいえば、好き嫌いに関係なくしていたこと(=「できそう」だし「できた」こと)を続けた結果、私の携わった分野は茶道周辺だったらしい。
ただの茶道部員が茶道の論文を書き、色々あって茶人とカテゴライズされる仕事に就いた今、私も「ただ好きなことより、まずできそうなことをした方が、何かが起こる確率は高い」と思っている。
私がいた「茶道」という世界
ざっくりいうと茶道とは、その世界の中でのみ適用される絶対的なルールに従うゲームだ。そのルールは、しばしば「お茶はそういうものだから」とボンヤリ説明され、折に触れて月謝以外のお金を払うことになっていたりする。
(※あくまで茶道教室や先生によります。ある一例を知りたい方はこちら...)
もちろんそのルールに囲われた世界には美点があり、数十年茶道を習う人がいて、仕事として茶道を教えたり茶会をしたりする人がいる。
しかしいざ仕事で茶会をする側になってみると、「お茶で食っていけるのか?」と多々言われ、茶道界内外の温度差を感じた。
茶道界内部で、茶道に携わる自分に誇りを持っている人。「お茶とはそういうものだから」と、奥ゆかしく伝統を継承する人。それを伝統として受け取りお金を納める人。
これら一つひとつは、全く悪いことではない。私が茶道教室で体験したことだって、茶道を習ってる人に話せば「よくあること」と言われるはずだ。
ただし、それら全てすべてが、私の進みたい方向から150度ぐらいズレていた。
上記は理由のほんの一部だが、私は諸手を振って「茶道大好きです」とは言えなかった。だからこそ「好き」以外の感情も伴いながら茶道に執着してきた。
もし大好きなだけなら、もしくは、大嫌いならだけなら、茶道で論文など書き続けていられない。執着だけでは、頼まれてもないのにお茶の写真ばかり撮ってもいないだろう。
原理主義に馴染めない人
流派(茶道界内部)のやり方に折り合いがつけられない人にかけられる言葉は、必ず「自分の流派を作れ」だ。これを聞くたび、茶道をしている人はどこまでも原理主義なんだなと思っていた。
というのも、茶道教室とは家元の教えを原理(ゲームの例えでいう「ルール」)として、それを唯一の正解として学んでいく場である。
それに対抗するために新しい流派を打ち立てろというのは、また似たような構造で別の原理を主張するということだ。それは単に、自分こそが唯一の正解だと言い換えただけではないか。
それは全くもって私のしたいことではない。
私がここでいう「原理」を嫌うのは、ある唯一の正解を定めることは、それ以外が全て間違いであると見なすことだからだ。
茶道を習っている/いないといった区分は狭い世界の例だが、女である男である、結婚してるしてない、家族である家族でない等々、この世には二項対立がいくらでも存在する。
肌の色が白いか黄色いか黒いか、二項どころではない対立はさらに多い。
そうした一方的に分断を生むだけの境界線は、誰かを不幸にする。
どちらかだけが正しい世界なんて、本当はない。
私が今まで違和感があったのは、全てこの分断に対してだった。
この分断の「あちら側」にいる人は、この境界線は見えていない。基本的に、境界線はマイノリティ側からしか見えない。
新しい原理を打ち立てるのではなく、違う場所で同時代的に生きる。
それが、ある原理が絶対的に正しいとするのでもなく、私だけが正しいのだと主張するでもない、理想に近い生き方だと思っている。
だから茶道云々が苦手というより、納得していないのに原理に従ったりするのが、肌に合わなかっただけだった。既存のやり方に馴染めない自分が、浮いてただけなのだ。
それに気づいてから段々と、茶道への「執着」がなくなり、抹茶を撮る回数も減り、茶会への関心もフェードアウトした。それはおそらく望ましいことで、茶道と適切な距離を取れるようになった気がした。
なぜ「これもお茶だ」と言っているのか
誰かの原理が間違っていると言いたいのではない。
誰かの原理が間違っていないのと同様に、私「も」間違っていないと言いたいだけ。
私は自分の合理性に基づき正誤を判断しているだけで、何か自分と違う原理主義の劣化版ではないと思っている。そもそも原理や価値観の異なる人に優劣を付けられる覚えはない。
私が誰かと違うからといって、どちらか片方だけが正解だとジャッジしていたら、世界には常に「間違ってると思われてる人」がいることになる。それは一般にマイノリティと呼ばれている。
「自分と違う生き方をするある人の存在」によって、自分を否定されることは(本当は)ない。どちらかが攻撃されたり貶められたり、不快になったりしなくていい。
茶道の文脈でいうと、「茶道教室に習っていない人がするお茶もお茶」で、教室に通っていなくても肩身の狭い思いや生きづらさを感じなくていい、むしろこういう楽しみ方もある、というのが主張である。
だから茶道に出会ってから今まで、「私のしていることこそがお茶だ」なんて一度たりとも言うことなく、「これ『も』お茶だ」と言い続けてきた。
私のお茶こそが〜と言わずに自分なりのお茶を続けていくには、そして自分のお茶を主張することで誰かのお茶を否定せずに済むには、「これもお茶だ」と言うしかないように思っていた。
「君に、戦う理由はあるか?」
私は将来に期待するのが上手ではなく、自分がどうなるかのビジョンは全然描けていない。
でも、とにかく目の前のこととして毎日できたのは、「これもお茶だと言い続ける」ことだった。論文で、写真で、料理で、余暇でも仕事でも自粛中も、それしかしてなかった。
現代では「茶道」と「私がやっていること」の摩擦や解離が多少あるけれど、瀧本さんが言うように、パラダイムシフトは50年かかる世代交代だ。
誰か一人がねじ曲げて変わるのではなく、新しい世界を信じた人だけが残ったときに変わるもの。
一晩で変わらないからこそ、「言い続ける」必要があるのだ。
私が生きている間には変わらないかもしれない。
でも、何も変わってない50年後を生きるぐらいなら、今日できることをして明日にでも死んだほうが、今日生きている甲斐がある。
好き嫌いはともかく、茶道やお茶の分野で宿題を出そうとしてきた8年だった。でも、お茶の宿題ばかり出し続けていていいのだろうか、と最近思っている。
既に人生を費やしてしまったが、変えたくてたまらないのは茶道界ではないことにも気づいている。
私が本当に根に持っているのは、馴染めない世界の裏にある分断であり、一部の人間を除外する境界線だった。
8年かかってこの結論に達して、また8年後も同じことを言っているつもりはない。
いずれは茶道よりさらに大きな分断について切り込むことが、残りの人生の宿題だ。
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