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「すべてのチャンスを利用し、決して後悔しない」季節労働者的キャリアの生き方

『ノマドランド』との共通点

一定期間ごとに職業を変わる「季節労働者」というと遠い話に聞こえるが、特定の会社に籍を置かないフリーランスやフリーター、今は留まっていても転職を繰り返す人は、長い目で見れば場所や職を転々としている。広く言えば、進路選択の度に県を跨いでいる私も季節労働者のようなものかもしれない。

季節労働者といえば、現在公開中の映画『ノマドランド』の主人公が思い出される。しかし時を同じくしてエリック・ホッファーの自伝を読んでいたため、私の季節労働者のイメージは『ノマドランド』の登場人物とホッファーによって構成されている。

『ノマドランド』の中で、主人公の姉が「開拓者と放浪者は似ている」といった発言をするが、それはホッファーの著書に書かれている言葉だ。同じアメリカが舞台の季節労働者として、映画と合わせてホッファーを読むと、共通点に気づくはず。

エリック・ホッファーが生きることを決めるまで

エリック・ホッファーは、幼い頃の失明により正規の学校教育を一切受けないまま大人になり、季節労働者や港湾労働者として働きながら独学のみで大学教授になった。大学に所属しない在野研究者の話になれば、必ず名前が挙がる人物だ。

その出自から、定職に就けなくて季節労働者になったように思われているし、若い頃はそうだった。しかしある時をきっかけに、彼は自らの意志で季節労働者という生き方を選択していく。

ホッファーはいわゆるコミュ強であり、一箇所に留まるチャンスも何回かあった。しかし「本能的にまだ落ち着くべきときではない」と感じ、何度も放浪生活に戻る。しかし目的地はない。

ホッファーは、独学と季節労働を行き来する存在だった。労働の合間に勉強し、一瞬休んでも金が尽きればまた労働する。死ぬまでその繰り返しなら、今年死んでも10年後に死んでも変わらないと思っていた。しかし、自殺を決行する当日にある考えが浮かぶ。

「一本の道――どこへいくのか何をもたらすのかもわからない、曲がりくねった終わりのない道としての人生という考えが、再び頭に浮かんできた。これこそ、いままで思いもよらなかった、都市労働者の死んだような日常生活に代わるものだ。町から町へと続く曲がりくねった道に出なければならない。それぞれの町には特徴があり目新しく、それぞれが最高の町だと主張して、チャンスを与えてくれるだろう。私は、それをすべて利用し、決して後悔しないだろう。

私は自殺しなかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生したのである。」(p.46-47)

人生は単に勉強と労働の繰り返しではなく、季節労働で訪れる場所、出会う人、仕事の内容、全てが「チャンス」だと気づいたのだと思う。ここにあるチャンスと次なるチャンスは常に別物だと分かれば、人生は決して同じことの繰り返しではない。

その証拠に、ホッファーは他の季節労働者の「気質」と「精神状態」を仔細に見つめ、後年の作家人生の地盤を築いたのは「放浪者」だった時代だ。

ゴールが定まっていない人生は季節労働者的になる

おそらく季節労働者的キャリア組が目指すべきは、道を真っ直ぐに歩けるよう尽力することではない。ゴールが何か分かっていないのだから真っ直ぐ歩けるわけがない、と私も最近気づいた。後悔したところで、どこまで遡れば真っ直ぐな道に路線変更できるのかも分からない。

理由は色々あるが、10年後には全く違う仕事をしているだろうと常に思っている。その時その時で、当時できることをしてきただけの人生だったので、なろうとも思っていなかった姿に今なっているからだ。

一直線に辿り着きたいような目的地がないのなら、つまり「こうなれたら私の人生はアガリ」と思えるゴールが今ないのなら、働き方はやはり季節労働者的になりうる。逆に言えば、死ぬまでに特定の職業に就けなくても「あれが達成できなかった」とは後悔しない気がする。

特に現代は、企業が単一の事業だけを延々こなしていても生き残れない。ひいては個人レベルでも、若い人が老いるまでずっと同じ仕事をしていられる確率はもう低い。仮に理想の職業に就けたあとだって、社会が変わっていけば、きっと職業か理想のどちらかも変わる。

自分で目標を立てて到達するような生き方ができない限り、何度でも仕事を変え、真っ直ぐ生きていればしなくて済んだ経験を何度でもするはずだ。
でもどうせ紆余曲折するのなら、一つ一つの経由地点を最大限に利用することに力を注ぎたい。そうやって生きた先にあるものなら、全部正しいと思って後悔せずにいたい。

きっと季節労働者的な人生は「どこに到達したか」ではなく「訪れた場所で何を学んだか」で語られるだろうから。


ちなみに、ホッファーの自伝は生まれてから40歳頃までの記録。著述家人生の始まりとなる初の著書はその10年後に刊行されているので、社会の最底辺にいた頃の話だけが自伝に書かれているとも言える。その割には他人への穏やかな眼差しに溢れた書き振りだ。

人生がぶつ切りであることを嘆くより、人生のどの期間が自伝になっても面白いような、そんな人間でいることを目指したらよいのだろうか。


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