【1話完結小説】ろくな事にならない
俺は母親の顔を知らない。俺が1歳の時、男と駆け落ちして出て行った。だから俺はずっと親父と祖母の3人暮らしだった。
高校の時、祖母が死んだ。母親代わりに優しく見守ってくれた存在がいなくなったのだ。俺は表向き気丈に振る舞ったが、心中は散々だった。そんな俺を気づかってか、それとも逆に1ミリも気づかっていないからか、ほどなく親父は会社の部下だった若い女と再婚した。
10歳ほどしか歳の変わらぬ新しい母親に対し、俺は敵意をむき出しにした。若いだけが取り柄で、大して美人でもなくむしろブサイクなところが1番癪に触った。後で冷静に考えると、言うほどブサイクでもなかったが、何でもいいからムカつく理由を探してこじつけたかったのだ。
とにかく俺はブサイクな後妻が我が物顔で台所に立ったり、ソファで寛いでドラマを見たり、挙げ句の果てにカーテンを自分好みのナチュラルテイストに模様替えしたりするのが無性に腹立たしかった。
こうして実家は俺にとってすっかり居心地の悪い場所となり、当然の如く寄り付かなくなる。そのうち学校にも行かなくなり、街で出会った悪い仲間と付き合うようになった。
それまでの人生、どちらかというと真面目な部類だったのに、急にぷつりと何かが切れたのだ。人間って案外簡単に堕ちるもんだな、とどこか他人事のようにそう思った。
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月日は経ち、20歳の冬。当時の俺は売れないホステスのヒモとしてその日暮らしをしていた。成人式なんてものに興味もなく、相変わらず仲間と連んで下らない悪事で小遣い稼ぎをする日々だ。こんな事を永遠に続けて死んでいくのかと思うと時々空恐ろしくもなったが、そうやって死んでいくのは、やはり自分ではない他人のような気もしていた。
ある日、仲間のアツシがどこからか特殊詐欺の受け子の仕事を持ってきた。
「そんなのに引っかかるヤツ、今時いねーだろ。ろくな事になんねーよ。」
俺が言うと、アツシが得意げに話しだす。
「おう、でもこんだけみんなが警戒してる中で引っかかるバカがまだいるんだって!逆にそういう単純バカさえ見つければ、家に行くだけで簡単にミッションコンプリートだ。俺らは楽な受け取り役するだけで分け前が貰えるってこと!」
確かに金は欲しいがそう上手くいくものだろうか。俺が黙っていると、
「な!お前見た目がシュッとしてるからさ!スーツ着て七三にすりゃ立派なリーマンに見えんだよ!俺だとどうしても胡散臭くてよ。」
アツシは顔の前で手を合わせ、大袈裟に拝む真似をした。にかっと笑ったその口元から、ガタガタの前歯が覗いた。
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最初の仕事は呆気ないくらい上手くいった。
…といってもターゲットがボケの入った爺さんで、大した金は持っていなかったのだが。
その時は銀行員のふりをして爺さん宅にキャッシュカードを取りに行った。爺さんは渡す気満々なのに肝心のしまい場所を忘れたらしい。引き出しや本棚を30分ほど引っ掻き回し、やっと見つけ出したカードを最高の笑顔で渡してくれた。
アツシが外を見張ってくれていたものの、玄関に座って爺さんを待つ間、ドアから警察や近所の人間が乗り込んで来やしないか気が気ではなかった。
この時の稼ぎは2人で10,000円にもならず、ろくなもんじゃなかった。
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これで俺は火がついた。わざわざ量販店でスーツまで用意したのだ。もう少しは稼がせて貰わねば。
数週間後、アツシから連絡が入った。次のターゲットが決まったのだ。
アパート暮らしの50代オバサン(独身)。宗教にのめり込んでいて、流されやすいタイプらしい。水道工事を偽ってアポを取り、工事代金として50万円用意させるそうだ。俺は蛇口の辺りで適当にガチャガチャやって50万貰って帰る。
工員役ならスーツは使えないな、と少しガッカリした。
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水道工事(しないが)当日、俺は年季の入ったアパートのコンクリート階段を上る。工具箱に適当な工具をいくつか入れて来たが、中身が少な過ぎた。一歩歩くたびにドライバーがカラカラ音を立てて転がる。
アツシはアパート1階に停めたバンで待機中だ。今日は早起きして、隣の県からドライブ気分で連れ立ってやって来ていた。
アパート2階、突き当たりがターゲットの部屋だった。約束の10時きっかりにチャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いて中肉中背のオバサンが出てきた。
髪を後ろでひとつに束ね、化粧気のない顔。地味な灰色のセーターを着ている。いかにも流されやすそうな、頼りない雰囲気が漂う。
このオバサンの人生もセーターの色みたいにパッとしないんだろうな、50万なんてどうやって工面したんだろう…と思いながら俺は用意してきた台詞をにこやかに発する。
「水道工事で参りました、よろしくお願いします。作業は30分ほどで終了予定です。」
「はい、お世話になります。お願いします。」
オバサンは会釈をして、俺を1DKの部屋へ招き入れた。
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部屋の中も地味だった。綺麗に整頓されているが、面白みのないシンプルな家具や必要最低限の低スペック家電。そして、のめり込んでいるという宗教のものだろうか。扉が閉じていて中は見えないが、小さな仏壇らしき物が窓辺の文机に乗っていた。
文机の上には写真立ても置いてあった。写真立ては2つあり、1つはおくるみに包まれた赤ん坊のドアップ。もう1つはその赤ん坊を抱いた女(恐らく若かりしオバサン)が家の前で立っている写真。
写真を見た瞬間、俺は何か引っかかる気がしたが、とりあえず台所の蛇口めがけて移動する。工具箱を開け、ガチャガチャと無意味に音を立ててみる。
オバサンはここから死角になるちゃぶ台前の座布団でTVを見始めた。水道工事なんてさっぱり分からないので、見られずに済みそうで胸を撫で下ろす。
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肌寒い台所には、2月の頼りない光がうっすら差し込んでいる。蛇口を弄びながら、俺はさっきの写真の事を考えていた。
まず赤ん坊のおくるみ、あれに見覚えがあるのだ。…そう、あれは俺が小さい頃ずっと愛用していたバスタオルと同じ柄じゃないか?
特別可愛くもないゾウとライオンが散りばめられ、所々に「PAO〜N‼︎」「GAOO〜‼︎」と鳴き声が書かれたバスタオル。昼寝の時や風呂上がりに好んで使っていたが、小学校中学年頃、ローマ字と「〜」の組み合わせがダセェな、と急に気がついた。愛用の品に対しそんな事を考えてしまう自分になんだか後ろめたさを感じた記憶がある。
しかしおくるみだけならまぁ、あんな物は類似品が沢山あるだろうから偶然で片付けられる。問題はもう1つの写真。あの背景、俺の実家じゃないだろうか。
写真の母子はステンドグラス風のやたらカラフルな玄関扉の前に立っていた。あんな趣味の悪い扉、そう簡単に見つからないだろう。目立ちたがりの親父が、金持ちでもないのに特注で作った唯一無二のシロモノだ。
…考えているうちに俺の心臓はドキドキ、いやワクワクしてきた。こんな漫画みたいな展開あるかよ?まさか…いや、でも…もしかして。とにかくあの写真をもう一度よく見たい。
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作業(の演技)開始からまだ10分も経っていなかったが、俺は母親かもしれないオバサンのいる部屋へ移動した。とにかくこの問題を早くスッキリさせたい、その一心だった。
「すみません!えーと…、一応ここにサインを頂けますか」
作業完了後に貰う設定で用意してきた偽の確認用紙を出し、座っているオバサンに近づく。
オバサンは言われるままに俺が差し出したボールペンを受け取り、名前を書いた。この時初めて、オバサンの名前が“牧野早苗”だと知る。
俺は母の名前を聞かされていないので、全くピンとこなかった。親父も祖母も、母の事を尋ねると
「あんな最低な駆け落ち女の事は知らなくていい!」
と険しい顔をして何一つ教えてくれなかったし、俺も、俺より男を選んだ母親に興味などない…と強がってそれ以上深掘りしなかったのだ。それにしても、目の前のこのオバサンは駆け落ちしそうなタイプには見えず、むしろそんな女とは対局にいるような印象だが。
「あちらの写真はお子さんですか?」
俺は唐突に質問をぶつけた。いきなりこんな事を聞いて不自然かもしれないが、気弱なこのオバサンなら素直に答える…そんな気がしていた。
「え?ええ、そうなんです。私の息子です。1歳の時離れ離れになってしまって…。」
オバサンは困ったような笑顔で答えた。
やっぱりビンゴか…?いや、しかしまだだ。まだこれだけでは俺の母親だと言い切れない。写真に写る若い頃のオバサンが、俺かもしれない赤ん坊を大事そうに抱え、こちらを向いてニコニコと微笑んでいる。
「離れ離れですか…今どこに住んでいるかもわからないんですか?」
「この写真の家にいるのか、もう引っ越してしまったのか…。この家は隣の県なんですけど。私が精神的に不安定でね。婚家を追い出されてしまったんですよ。主人と姑に『お前が関わるとこの子がろくな事にならないから二度と顔を見せるな』と言われて…。もう20年近く前の事です。」
「………会ってあげれば、喜ぶんじゃないですか?」
「いいえいいえ!あの子には幸せになって欲しいから。…私みたいな駄目な母親が関わると、本当にあの子にとってろくな事にやりません。だからもういいんです。もう昔の事です。」
なんだコイツ…何がもういいんだよ。俺の為とか口では綺麗事を言いながら、結局責任放棄して逃げてただけじゃねぇのか。駆け落ちしてぱーっと幸せに暮らして、それで俺の事なんて忘れちまった、会いたくもない…ってパターンの方がまだマシな気がした。俺の性格上、結局どっちのパターンでも気に食わないのかもしれないが。とにかく胸糞わりぃ。
俺は、目の前にいるオバサンは間違いなく自分の母親であると結論づけたが、心の中には苛立ちだけが広がっていた。
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母親だったら。俺を手放した事を泣いて悔やむ姿でも見られたら。こんな詐欺などせずに見逃して、何なら手に手をとって感動の再会となったのかもしれないが。なぜこの女は心穏やかにこんなところで一人のうのうと暮らしているのか。息子の俺はこんな下らない特殊詐欺にまで落ちぶれて投げやりな人生を過ごしていると言うのに。ドキドキワクワクなどど甘っちょろい事を考えていた少し前の自分を、俺は心の中で殴り飛ばした。
もう全てがどうでもよかった。さっさと金を巻き上げてこの澱んだ場所から立ち去りたい。
「…色々大変なんですね。すみません、では工事代金50万円を頂きます。」
俺がそう言った瞬間、
「警察だ!特殊詐欺現行犯で逮捕する!」
いきなりベランダと押し入れがそれぞれ開いて、男が2人、飛び出してきた。
「…は?」
オバサンの方を見ると、下を向き手を合わせながら
「ごめんなさいね、ごめんなさいね…」
とぶつぶつ言っている。
___この母親が俺に関わるとマジでろくな事になんねぇな。
警察が文机にぶつかり、写真立てと仏壇がガタガタと床に落ちた。オバサンは真っ先に仏壇の方を引き寄せ、大事に抱きかかえる。
それを見た俺は警察に抵抗する振りをして、オバサンの手から仏壇を叩き落とし、思い切り踏みつけた。安っぽい木の箱は、いとも簡単にバラバラと砕けて散った。
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俺はアパートの外に連行され、パトカーに押し込まれる。別のパトカーの中にアツシの姿がちらりと見えた。余談だが、その後の取り調べ中にアツシの本名がタカヒロだと知る。…まったく、どいつもこいつもろくでもねぇのな。
end
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