50年を50億?

最近よく、人間関係で悩む。久々にnoteに戻ってきた大学生のてあです。
高校生の時は悩めるほど交友もなかったし、恋愛感情も皆無だったけど、大学に入りサークルの人と出会って人間味を取り戻しました。振り返れば、自分の良い行いは記憶には薄くて、失敗と嫌な経験ばかりが焼きつく脳ですが、ネガティブすぎて逆にポジティブみたいな、そんな考え方をできるようになりました。
おおまかに説明すると、好きな人と嫌いな人の両極が共存する派閥に入ってしまっている。好きな人がここにいる限り、投げ出したくはないけど嫌いな人から離れたいと切に願うばかり。
私が嫌いな人の何を気嫌いしているのか、わからない。ただ全てを気持ち悪いと解釈してしまう。そんな奴とも、大人しく我慢して受け入れるのが自分にとって大人になるということだと最近気づいて、うざいと思うことすら子どもな自分が出てしまったと反省中。好きな人は何もわかっていない。電車に揺られながらこぼしたあの言葉の意味は深くはないのだろう。もう、執着もしてないから良いんだけどね。他力本願であった私のツケが回ってきた、それだけ。
新しく仲良くなった先輩との共通点に、高校時代の記憶を消しているというのがあった。自殺するほどの勇気はないけど、今事故に巻き込まれて死んでしまったら都合いいな。この考え方をしていたあの頃が、ドンピシャで一緒だった。先輩は、今はもうそうは思っていないだろうか。私は好きな人たちに出会ってからは一切思わなく、今は死ねない、この一心で生きてきた。絶対につかみ取れる幸せがあると思ってたし信じるようにしていた。推しと好きな人の区別がつかなくなってから2ヶ月くらい。今はもう生きるの終わってもいいなって思い始めた。人を好きになることも、人を嫌いになることも、面倒くさいんだ。好きな人とはうまくいかないし嫌いな人とは関係を断てない。そんな不条理なこの世界に、自分の人生の期待ができない。生きてるなって感じてた時は、せわしなく人との交流が楽しかった時。孤独にいられないけど交流もめんどくさい今、1番楽しくない。てか1番ってなんなの。1番仲良い。言うなよそんなの。
私は今後うまく笑えるのだろうか、純粋に楽しい時間をすごせるのだろうか。あの人たちといて。離れたいわけではない。嫌いな人がただただ嫌いだし、嫌いな人と仲良くしてる好きな人も嫌いだ。自己中な私も嫌い。
長々と書いたところで、なんの意味もないし何も進展しないけど、今残しとくことで後々笑ってやりたい、病みすぎだろって。
大人になる大人しくなる、これだけを心に構えて生きてみよう、左右されない自分の人生を。

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