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第21回 村長散歩日記【日常編】 230715(週末配信)

 (島田啓介マインドフルネス・ビレッジ村長による村長日記です♪)
夏本番と言っていいほどの暑さの地方もあれば、雨続きで災害に見舞われているところもあります。それぞれの場所で年々予想がつきにくい気候になってきました。それでもなお、心地よく幸せに暮らしていこうとする努力や工夫はできます。マインドフルネスはどこにいてもできる工夫のひとつですね。
 ビレッジは村外向けの参加自由のイベントもあります。興味を持ったらぜひいらしてくださいね。
 
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【第21回:火もおのずと涼し~思いを引きずらない】



*今年はまだ梅雨のさなかだというのに暑い晴天が続き、体力も失われがち。ぼくが注意しているのは冷たいものの取りすぎだ。秋に疲れがどっとやってくる。むしろ熱いお茶などを適度にとる方がいい。長年の経験からお勧めだ。


写真は全て島田啓介村長提供

 季節がら「心頭滅却すれば火もおのづと涼し」という昔の禅語を紹介することが多い。感覚を麻痺させてやせ我慢をすることと取られがちだが、まったく違う。むしろ暑さをありのままに感じれば「余計に暑がらずにすむ」ということなのだ。
 暑い暑いと言ってばかりいると、かえって暑さが増す。「暑いという思い」が暑いのだ。周囲の気温に応じて暑く感じるのは自然な感覚だが、それが苦に変わるのは暑さに対する嫌悪感のなせる業である。
 

  感覚と感情は違う。この区別ができないと身体的な不快感が精神的苦痛に直結する。「心頭」とはこの場合“Thinking Mind”と言っていいだろう。心の思考の部分だ。心頭、つまり思考を静めれば、暑さを嫌だと思う心は静まり平静さが得られる。涼しいとまで言えなくても、暑く感じながらも暑さがそれほど苦にならなくなる。こうして「暑さの感覚」と「暑いと考える」ことを分けると嫌悪感に巻き込まれにくくなる。
 名色分離智(みょうしきぶんりち)は、心(名)と現象(色)を分ける気づきの洞察である。ここでは暑いという思いと、暑さ自体やそれによって引き起こされる身体感覚を分けるということだ。ごちゃまぜにしないことだろう。怒りの原因と怒り、見る対象と感情、気温と心の反応・・・こうしたきわめて日常的な体験の範囲に瞑想はある。
 じつは、暑い暑いと言ってばかりいる人は本当には暑さを感じていない。暑さを感じきれ(味わえ)ば、不快感を引きずらずに済むのである。むしろ、「暑いのは嫌だ」「早く涼しくなればいいのに」とこだわってばかりいると、嫌な感覚をいつまでも引きずってしまう。ゆったり呼吸しながら感じてみよう。
 ブッダはこう説いた。一の矢と二の矢がある。最初に当たった矢は当然感じる苦痛である(たとえば暑さ)。しかし二の矢を同じ個所に当てれば(思考)、その苦痛は何倍にもなると。二の矢を当てないこと、それが不用意に苦を増長させないことになる
 子どもたちはこの点で先生だ。嫌な思いをしても、大人が変に介入しなければ忘れて次に切り替えやすい。けんかしてもすぐに仲良く遊んでいたり。その瞬間思い切り感じ、泣いたり叫んだりして十分発散するからだ。後に禍根を残さない。
 大人になった私たちは同じような態度はとれないが、引きずらない工夫はできる。それがマインドフルネスだ。

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 *毎月のスケジュールはこちら(ときおり変更もあるので、必ず以下から確認してください)
https://mindfulness-village.mystrikingly.com/schedule
 


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