第36回 村長散歩日記【村内散歩編】 231217(週末配信)
(島田啓介マインドフルネス・ビレッジ村長による村長日記です♪)
ぐんぐん年末が近づいてきます。でも気にしているのは人間だけ。犬はじゃれるのが好き、猫はマイペース、鶏が朝早くから騒ぎ出すのはいつもの通り。銀杏の葉はすっかり散って、森に金色の絨毯が敷き詰められる12月になりました。そう思うとただうれしくて、日々楽しいことばかりが満ちている気持ちになります。今このとき、すばらしいこのとき。
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【第36回:マイストーリーが語りだすとき~私との再会】
*「マイストーリーを紡ぐ会」の第2期がつい先日終了した。一人ひとりの発表が終わり、大団円という言葉がふさわしい。
簡単に言えば自分史講座なのだが、マインドフルネス・ビレッジで実施するこの書く講座は、自分自身とすべてとのつながりに深く分け入っていく探求の旅だ。
必ずしも完成を目指さない、つねに加えたり、削ったり、書き換えられる。今ここで自分と共に生きているのが、マイストーリーだ。今回は何人か再受講もあり、マイストーリーのその後を読ませてもらうことができた。
一人ひとりが自分の人生に向き合い、その振り返りに付き合えるこの講座は、講師にとっても特別なかかわりと感慨が感じられる。
回を重ねるたびに、一人ひとりの「言葉が立って」くる。生きて動き出す気がしてくる。書くことにスイッチが入った証拠である。そのとき書き手は、かけがえのない自分の人生と、そこにかかわるたくさんの人、モノ、コト、場所につながっている。
出来事は過去であっても、今起こっている自らの身心を通したリアルな体験に降り立つのだ。ティク・ナット・ハンが言うとおり、私たちは私たち以外のものでできている。書き進むほどにそれは、自分自身と他とのつながりを深く省察する瞑想に近づいていく。
小学校の頃の作文は、そう楽しいものではなかった記憶がある。そのさなかにいるとき、書きあぐねる。遠足など体験したばかりの事実と、楽しかったです、くらいしか書くことが思い浮かばない。とりわけ人生が始まったばかりの子どもには無理もないだろう。
大人になって振り返る子ども時代には、多くの楽しみや喜びや苦しみや後悔などが整理されずに詰まっている。その中にいるときには、客観的に見ることなど叶わないが、大人になってから幼い自分はどう見えるのだろうか? その子は今も心の中で生きて気づかれるのを待っている。
書くためには人の助けが必要だ。瞑想がひとりでは行き詰るのと同じく、理知にも気分にも流されないで自分を見つめるには、人の温かい眼差しや聴く耳が必要だ。それからかつて書かれたもの、写されたもの、取っておかれたもの、自分を支えてきた多くの事物の存在が欠かせない。
六か月を書いたり忘れたりしながら自分と過ごす。その間にも生活を続けながら、濃く、薄く自分に付き合う体験はなかなかないかもしれない。講師としてぼくは、ときおり頭の隅で一人ひとりのストーリーのことを考える。一か月ごとの講座の間にメールのやりとりもある。それらすべての時間が文章に入り込んでいる。
終盤には、自分史を書きながら文章に明らかにスタイルができている。そのストーリーは、自分自身に向かって書きながら、想定された誰かに向かって書かれている。その誰かは、本人にさえわからないかもしれない。
言葉は、必ず誰かに向かって話され、書かれるものだ。たとえまわりに誰もいなくても、私という他者はそれを聞いている。言葉は私を疎外し、遠ざけ、そして私をもう一度引き寄せる。
マイストーリーを書くことで人は、一度自分に別れを告げ、もう一度出会い直す。自他という他者の手を借りて。それは骨の折れる作業だけれど、かつて大昔に自分が深く望んだことなのかもしれない。二度と読まれないとしても、記憶のかなたに埋葬される運命であったとしても、一度書いたという事実は消えない。
もし落ち葉のように大地に溶け去るとしても、いつか新しい芽吹きとなるはずだ。その芽は何に向かって伸びるのか? それを目にするのは誰だろう? 言葉は未来に向かって果てしなく変容し、続いていく。
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https://peatix.com/event/3791081/
*毎月のスケジュールはこちら(ときおり変更もあるので、必ず以下から確 認してください)
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