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第35回 村長散歩日記【村内散歩編】 231210(週末配信)

 
(島田啓介マインドフルネス・ビレッジ村長による村長日記です♪)
 
 とても暖かい、暑いくらいの日が何日も続く12月です。今日カマキリが道端で見つかりました。さすがに弱った様子でしたが、12月のカマキリはこのあたりでは前代未聞です。数年前にはクリスマスにヒマワリが咲いたことがありますが、冬はすっかり短くなってしまったようです。
 うちの森ではようやく紅葉が真っ盛りになりました。

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写真は全て島田啓介村長による提供です♩

【第35回:親しき声の交わり】


*人の声を聴くだけで、ほっとする。このごろそう感じることが何度もあった。マインドフルネス・ビレッジでは、つねに読書会が開かれているけれど、その中で参加者どうしが本の指定箇所を音読する時間がある。それがとてもいいのだ。ここで出会えているという実感がある。

 久しぶりに聞く人の声でも、違わず覚えているのが不思議である。視覚より聴覚のほうが瞬時にして相手を識別できるようだ。音読はとくにいい。一人ひとりの個性が一続きの文章の中に表れる。顔を見るよりもはっきりと、その人なりが伝わるのはやはり声だ。
 声にはその時々の体調や心理状態、その人と周りの環境の相互作用などが反映している。ビレッジやカレッジの担当講座では、なるべく参加者に声で分かち合ってもらうようお願いしているけれど、一言でも声を聞くことで、その人がまっすぐ伝わってくる。
 お互いに声を聞き合っているうちに、場が出来上がる。沈黙がベースであることには変わりがないが、心身の振動である声には多くが含まれている。万言を尽くすより、声を聞いたほうが伝わることもある。
 自分の声を録音して、それを聞くセラピーがあるという。いつか新聞で読んだ。抵抗を覚える人がいるかもしれないが、自分の声と思わずに聞いてみれば予想外にいいものだ。ふだん内側から響いていた声が外側から聞こえると、(ぼくの場合は)自分というこだわりや境界線がゆるむ感覚がある。
 オンラインでは事情があって「耳だけ参加」の人もいるが、ぼくはもちろんそういった人たちが聞いていることを前提に話す。話すときには自分の声を同時に聞きながら話している。人に話すことは、自分に向かって話すことと同時に起こっている。


 今日は12月にしては驚くほど暖かい快晴日。多くの大人と子どもたちが我が家に訪れた里山の森遊びとたき火の会だった。参加者はばらばらにやって来たが、初めてなのに駅から歩いてくる人が何人もいた。スマホで地図を見ながら辿るのだろう、ある人は谷に響く子どもの声が目当てになったという。どこかに狼煙のようにたき火の煙が昇っていないかと探したとも。
 太古の時代、そうやって人は相手の居所を察知し、会いに行ったのだろう。人の声は、とりわけ子どもの声はびっくりするほど遠くまで響く。目には見えなくても確かにその所在はあり、しかも何をしているのか声から察することもできる。
 古い時代の通信方法は、太鼓の音だったり、口笛だったり、呼び声だったりしたようだ。アルプス地方のヨーデルの発声法は声帯以外の喉も含めて振るわせる独特のものだが、山谷を超えて遠くまで響き渡る。
 丘の斜面で暖かな陽を浴びながら目をとじた。森のほうから子どもたちがはしゃぐ声が響いてくる。至福の時間だ。人が亡くなっていくとき聴覚が最後に残るという。他の感覚は閉じても最後まで残るのが音の世界。目を閉じるとわかる気がする。そして音は、確かに今ここにしか響かない。耳を澄まして聞いてみる。
 すべてがマインドフルネスの鐘のように聞こえてくる。

 
解き放つ
鐘の音を聴けば
苦悩は残らず解き放たれる
心は静まり
悲しみは消え去る
もう何にも縛られない
私は自分の苦しみと人の苦しみに
耳を傾ける者になる
心の中の理解の芽生えが
思いやりを連れてくる
      --ティク・ナット・ハン(島田訳)



 
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