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卒業式を終えて

本当は前日の3月10日にも、前日の心境を書き残したかったのだけれど、生徒一人一人にメッセージを書いていたらとてもそんな気力は残っておらず、現在に至ります。昨日は疲労困憊で、今日も合格発表やら明日締め切りの要録やらでくたくたでした。でもやっと1年間をゆっくりと振り返る時間と気力が戻って来たのでつらつらと脈絡もなく、自分のクラスへの思いを書いていこう。


浮かんだ言葉

卒業式が終わり、誰もいない教室でぼーっとしているとこの言葉が浮かんできました。

夏草や兵どもが夢の跡

松尾芭蕉が読んだ句として有名ですが、おおよそまとめると現代では夏草が省略されてこのように解釈されているのではないでしょうか?

あるできごとのあった現場のようすが、すっかり変わってしまっていることのたとえ。また、過去から現在へのものごとの移り変わりに、深い感慨をもよおす場合にいう。

つわものどもが夢の跡(つわものどもがゆめのあと)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

 卒業式当日、いや県立受験が終わり卒業へのカウントダウンが始まった3月1日あたりから、このクラスでの物語は終盤に入り、大きなトラブルもなく、ちゃんとピークを迎えることが出来ました。
 とにかく今年は、卒業式に向けてなんとしても生徒の気持ちを揺さぶってやろうと画策していました。教室の掲示は1年間の軌跡を振り返れるように工夫したつもりだし、今年は睡眠時間を削ってでもちゃんと個別にメッセージを書こうと決めていました。卒業ムービーも前日、当日朝、卒業式後と3段階構成で締めました。評判はどうだったか知らないけれど。自分がやれる演出をすることは自分の気持ちを盛り上げる意味で大切だったと思うし、やってよかったと思う。
 個別にメッセージを書いたら、まさかの全員から手紙を貰い(色紙とかメッセージボールとかだと思ってた)やられたなと思ったのはここだけの話し。

 エモーショナルの極みだった教室を一緒に出て、昇降口を出たら一緒に写真を撮りまくり(撮られまくり)、卒業式の第2部。そして2部にも出席することが難しかった子には校長室で卒業証書を渡す。あまりにも慌ただしく、教室にちゃんと戻ってこれたのはもう16時とか。片付けは明日の自分と合格通知を受け取りに来た生徒に期待するとして。
 やっと教室で1人になったとき、冒頭の芭蕉の句が思い出されました。

教室にいると

 既にこのクラスでの物語には終止符が打たれ、再開を果たすことはない。過去のものになったこのクラスでのエピソードを懐かしく思うには、あまりにも時間がたってなさすぎて。卒業式後の熱気が残っているように感じる教室は、生徒たちの余韻をチラつかせながらもこの教室に誰も戻ってこないことを痛烈に見せつけてくる。あの生々しい感覚自分は「兵どもが夢のあと」と表現するしかないのだと思う。この感慨深さと言えるかどうか分からない何かは、未だに慣れることができない。そして今年もGWで新しい物語の第1章が始まったあたりで、今のクラスの卒業を消化できるのだろう。

夏草=教室

 学校とは不思議な場所で、僕が今の学校に来るずっと前から、教室というのは様々な感情に溢れ、そして過ぎ去り、また新しい世代が入ってくるというのを繰り返している。何度も何度も教室は最後の日を迎えている。その事実がまた哀愁を感じさせてくれている。

最後に

 もしかしたら、このnoteを見て、また担任をやりたくなるかもしれない。あまりにも刺激的な日々。過ぎ去った場所を見て、そこで感慨にふける。これは担任の特権なのではないだろうか。一度現場から離れるので色々ゆっくりと考えて、また刺激が欲しくなったら、担任としていられる学校を探すことはありなのかもしれない。


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