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北海道日本ハムファイターズ背番号4 谷口雄也選手

どうも、てぃーです。
今日は怒涛の勢いで愛を叫びます。ちなみに明日も怒涛の勢いで今日以上に愛を叫ぶ記事を出す予定なので覚悟してお願いします。

自己紹介にもちらっと書きましたが、野球オタクです。北海道日本ハムファイターズ中心にパリーグを推し、キャッチャーを中心のセリーグと野球を推しています。
北海道日本ハムファイターズ(以下、ファイターズ)の中でも、谷口雄也選手、宮西尚生選手が大好きです。今日は谷口雄也選手に対する愛を叫ぶことにします。(ちなみに同学年の選手もみんな応援してます)

谷口雄也選手について

まずは軽く紹介文載せときます(Wikipedia参照)

1992年6月1日生まれの28歳
三重県四日市市出身 高校は愛工大名電
右投左打の外野手
2010年 ドラフト5位

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(少年にボールをプレゼントする谷口選手)


私が初めて見た谷口選手

私が谷口選手を知ったのは2017年3月頃。当時祖母の影響で野球は好きだったものの軽く話ができる程度だった。そんななかYoutubeのファイターズ2016年ベストプレー集なんて動画があがっていた。前年リーグ優勝、日本一になったファイターズはたくさんそういう動画が出ていた。その中の1つで、ライトからホームにほぼストライク送球で完璧な球をホームに投げ込んだ選手がいた。え、すごい。名前を確認することもなく、動画を巻き戻しては何回も見た。すごい、すごすぎる。なんだこの人。その選手こそ谷口雄也選手だった。

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彼は病院のベッドの上だった

それからすぐにWikipediaへ飛んでって基本情報を取り込んで球団の選手ホームページも見てTwitterで谷口雄也と検索をした。すると谷口選手のTwitterのアカウントがヒット。ほくほくと見た私の目に映ったのは手術が無事終わった報告の投稿。え、どういうこと?すぐさま「谷口雄也 手術」で検索。彼はレギュラーを掴むのではないか、そういわれていた年の春キャンプで右膝十字前靭帯損傷という大怪我を負い、手術をしたばかりだったのだ。

まじか。でも手術したってことは野球続けるってこと、やよね?いやでも普通に日常生活のためかもしれん…いやいやいやとりあえず、野球やめますとか言ってないし、やるやろ。そんな気持ちで一旦は落ち着いていた。けれどどうも気になる。あと三重県出身一緒やし、頑張ってほしい。そう思ってもう一回Twitterを見にいったらベッドに寝たままの写真だった谷口選手がチームの後輩に支えられながらだけれど座っている写真があがった。嬉しかった。そのあとにグラウンドを歩く推しを見て絶対に応援する、そう決めたのだけれども、思い返せばこの時から好きだったんだと思う。


毎日の公示を祈る日々と二軍の情報難民の誕生

そこから2017年、谷口選手が一軍に帰ってくることはなかった。ちなみにこの間に私はもう一人ゆるく応援する選手ができるのだが、この選手も怪我で長期離脱…なんだ?呪いか?そう思って泣きそうになったのは記憶に新しい。

怪我でリハビリ組に入ると当然だが二軍である。公式の情報が少ない。情報難民の誕生である。谷口選手、元気かな…そんなことを思いながら研究室でワインに発生したカビの測定してた。幸いにも谷口選手はファンが多く、毎日二軍施設に行くファンの方の誰かしらが谷口選手の様子をTwitterで伝えてくださっていた。たまには公式の広報さんも写真あげてくださるし。ありがてぇ~って思いながら毎日頑張る谷口選手を見ながら、私もせっせとワインのカビ測ってた。懐かし

すると2018年の春キャンプ。朗報が届く。谷口選手が春キャンプ一軍メンバーに入ったのだ。初日に一軍メンバーの中で野球をする谷口選手を見て泣いた。もうこれで安心だ、このまま開幕も一軍で行けるだろう。実際、開幕当日谷口選手は一軍に帯同していた。しかし、試合に出れるメンバーに登録されることなく、二軍行きとなった。

谷口選手は悔しかったと思う。当たり前だ、悔しくないわけない。私もなんでやねん!って叫んだし、友達に鬼のようにLINEした。でもなんていうか、一番最初に見たリアルな谷口選手の姿がベッドの上だったからか、進歩してる、だから絶対大丈夫、戻ってくるって思うことが出来た。例え二軍にいても谷口選手が野球をする姿がそう思わせてくれた。もちろん確証はないから毎日毎日公示を見ては祈った。友達にももう心配で仕方ない、怖いってめっちゃLINEしてた記憶がある。(あの時に友達、いつも励ましてくれて嬉しかった、ありがとう)
2018年、最後の最後に谷口選手は一軍に登録され代打で出場した。ヒットは出なかった。それでも一軍のバッターボックスに立ってくれたのが嬉しかった。


背番号64から4へ

2018年11月20日、谷口選手の背番号が変わった。球団にどういう意図があったかは分からない。色んな意見を目にした。本人も正直トレードだと思ったって言ったくらいだ。分からない、本当のことは何も分からないけど私は期待されてる。そう思った。2019年、勝負の年になる気がする。でも一番は大好きな野球を一軍でプレーして楽しんでほしい、そう思った。ただ一軍に行くためには、そこでプレーするためには結果がいる。だから結果が欲しかった。谷口選手の努力が認められる結果をただただ祈った。

がしかし、プロの世界は甘くない。2019年春キャンプ、二軍スタートだった。しかも、途中怪我でリハビリ組へ。この時時間があったのと行きたかったのとで春キャンプを見に行った。練習はしてなかったけど、元気そうに歩く谷口選手を見てとりあえず、安心した覚えがある。初めて元気に歩いている姿を見たというのもあると思う。やっぱり自分の目で見るのは何にも代えがたい。安心して帰ってきて2019年開幕。谷口選手は一軍にいた。


2019年、心の底から良かったと思った瞬間

開幕一軍を掴むも三連戦後に二軍へ。公示見た瞬間に死んだの覚えてる。なんでやねん!二回目である。ただ、私は栗山監督のことも大好きなので、見てろよー、今行くからなーと謎に闘志を燃やしていた。

そして毎日祈るようにして見ていた公示の登録者の名前に5/10、谷口雄也の名前が載った。来た、ついにきた。その日は出場なく次の日。

6番レフト、谷口雄也

スタメンである。正直代打だと思っていたけれど、5/11の西武戦。彼はスターティングメンバーに入ったのである。そして3回裏、ファンが待ちに待った瞬間が訪れる。

谷口雄也、レフト前ヒットーーー!

ついについに谷口選手が一軍でヒットを放った。965日ぶりだそうだ。私は分からない。だって初めて一軍でヒットを打った谷口選手を見たから。はじめましてをしてからずっと夢見た嬉しそうにガッツポーズをする谷口選手が一塁上にいた。ベンチがみんな嬉しそうに騒いでいる。たまらない、たまらなく嬉しい。ああ、応援しててよかった。そう思った。残念ながら仕事中でリアルタイムではなかったが、何回も何回も見返したし、普通に仕事の休憩中に初めて見た時叫んだ。本当に嬉しかった。

ただ、この物語はこのまま終わらない。翌日彼はさらに魅せてくれた。
5/12、この日もスタメンで出場した7回、1088日ぶりにホームランを放った。ツーランホームランだった。この時、またしてもリアルタイムで見れていなかった私だが、札幌ドームにいた友達に「今日もヒット頼む~」なんてLINEを送っていたら「ホームラン打った!」って返ってきてて出先の車の中で叫んだ。チームは負けたが幸せな気分に浸っていたのを覚えている。

その後、再び二軍に降格も7月帰ってきてヒーローインタビューに立った谷口選手。私も実際にこの目で一軍で笑顔で野球をする谷口選手を見ることが出来た。一人、ほっともっとフィールドのフィールドシートで試合も始まってないのに、開始1時間前から感極まって泣く変な人がいたと思う。私です、恥ずかしい…笑
でもそれくらい嬉しかった。ずっと写真撮っては見つめて写真撮っては見つめてしてた。正直今日もう帰ってもいいな、片道3時間かけてきて良かったわ、って思った。

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私を生かしてくれた存在

少し自分の話になってしまうが読んでいただければ幸いだ。
2017年5月、人生で初めて死のうとした。包丁を自分のお腹にあてるまでいった。なんとか踏みとどまったもののひたすらに死にたい私に、とりあえず生きようと思わせてくれたのが谷口選手が次はどんなことができるようになるかだった。自分は全く何もできないけれど、谷口選手が何かできるようになるのが嬉しかった。

2018年10月、大学のサークルがたまらなくつらくてあと1か月くらいの任期を放り投げそうだった。けれど、9月末に一軍の打席に立った谷口選手を見ていたから、もう少しだけ頑張ろうと思えた。

2019年7月、マンションの前の側溝に突っ込むという単独事故を起こしてしまい、完璧に精神がまいってしまった私を次の日から仕事にいけるくらい元気にしてくれたのは谷口選手のヒーローインタビューだった。

社会人1年目、必死に頑張れたのは2019年彼が活躍してくれたからだと言っても過言ではない。もちろん谷口選手だけではない。私はファイターズの選手がみんな好きだし、毎日誰かしらから明日頑張る気持ちをもらっている。だけどやっぱり特に応援している選手は特別だと思う。重いと言われてもいい、私は死にそうになっていた人生を、いつ死んでもおかしくなかった人生を、谷口選手を応援するだけで生きてこれたと思う。本当にありがたい話である。


2020年の野球

今年のキャンプも谷口選手は二軍スタートの二軍終わりだったが、練習試合で一軍に昇格すると主に代打、途中出場でオープン戦も結果を残していた。これは今年は一軍にいることが普通になるかな、でも外野手はもちろん代打枠だっていっぱい選手がいるから分からないけどそんな期待が大きかった。

開幕が延期された。何もかもが延期されて楽しみどころかいつもの生活さえ奪っていった。私もまあ案の定というか、世の中の空気に負けて生活がめちゃめちゃになったし、めちゃめちゃなままだ。1つ前の記事でも書いたが、仕事に行けなくなり、あと2週間くらいで無職である。とんでもないことが発生している。次の仕事につけるのか不安で仕方ない。悩むこともある。でも多分大丈夫だ。6/19、待ちに待った野球が開幕する。

世の中のことを考えてしばらくは無観客試合が続くだろうし、今年は全部無観客試合になるかもしれない。けれど、やっと彼らが仕事ができるようになる。野球ができるようになる。それを見ることができる。こんな幸せなことはないと思う。


2020.6.1

野球が始まる。実際に明日から練習試合が始まる。そんな日の前日、私の人生を続けさせてくれた谷口選手が28歳の誕生日を迎えた。移動日になっているのか今日も練習しているのか、休養日ではたまた誰かに祝ってもらっているかもしれない。祝ってもらっててくれ~、ケーキとか買ってもらえ~

私はまた谷口選手を感謝を持って応援しながら、元気と勇気をもらうしかできないけれど。私にあきらめないこと、それが報われること、自分が頑張ることで人に喜びを与えられること、全部全部思い出させて生きる意味を与えてくれた谷口選手。
今年は大好きな谷口選手のことをもっともっと知ってもらって、もっともっと谷口選手が愛されて、谷口選手がもっともっと笑顔でたくさん活躍ができるよう願いをこめたこの文章で28歳の誕生日をお祝いさせていただきます。

谷口雄也選手!お誕生日おめでとうございます!!
今年1年、あなたが思うような野球が出来、この先ずっとずっと幸せに包まれて生活できますように!

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大好きです!

(初めてnoteで5000字近く書きました)
(また成長させてもらった。本当にありがとうございます)
(明日は宮様への愛を叫ぶぞーーー)

私のような人間も幸せに生きていける証明を頑張ります 良ければサポートお願いいたします