部屋と鼻毛と私
私は今、このnote記事を自宅で書いている。今までの記事も自宅で書いた。そして次に書く記事も自宅で書くだろう。
たまにはスタバとかで書いてみたい。
新幹線とか飛行機とかで書くのも憧れる。
けれど、私にはできそうにない。
なぜなら、外の世界はキケンに溢れているからだ。
外ではいろんなことが起きる。
隣の人がいきなり飲み物をこぼしたり、カップルがいきなりケンカをし始めた挙句に彼氏が泣き出したり、あるいはパソコンのEnterキーだけ親の仇のように激しく叩く音にビックリさせられたり。
そうしたことが起こるたびに集中は途切れて書く気が削がれ、ストレスだけが私の心にしんしんと降り積もっていく。
なのにそんな状況の中、黙々と画面に向かっている人はいったい何なのだろう?
もちろん、そうしたことは常に起きるわけではない。運良く何事も起こらず書くことに集中できる時もあるかもしれない。しかし───
何も起こらない状況がしばらく続くと、今度は私の中に何も起こらないのは変だという猜疑心が生まれ、やがて警戒心が音も立てずに近づいてくる。そして、その無音で無風な状況はきっと嵐の前の静けさだ、と私は怯え始める。
その結果、私に「想像力」が襲いかかる。
例えば、今まさに目の前でコーヒーを飲んでいるお爺ちゃんがもし、いきなり発作を起こして倒れたらどうしよう?
すぐに救急車を呼ぶべきか?いや、この場合まずはお約束の鉄板フレーズ「この中にお医者様はいらっしゃいますか?」だろうか?
現場が飛行機ならいざ知らず、ここはとある街のコーヒーショップ。私は落ち着いて救急車を呼ぶことにする。
そのとき一番近くにいた私は成り行きで一緒に救急車に乗り、病院に付き添うことになる。
実はそのお爺ちゃんはとんでもない大富豪。命の恩人となった私はお礼として10億円を受け取ることになった・・・よし!まずは家を買おう。しかし10億となると税金はいくらかかるんだろう?
「こんな状況」が想像できるなか、そこに居合わせた人たちは、よく目の前の画面に集中できるなと感心する。
スタバに限らず、雰囲気よさげなカフェだったり、あるいは新幹線とか飛行機でもいい、そうしたカオスな空間でパソコンを開いてカチャカチャやっている人を見るたびに、私はそんなことを思い、想像してしまうのだ。
私が外でnote記事を書けない理由、それは───
身の回りで何かが起きればそのことで集中力が途切れて記事に集中できず、運良く何も起こらない時は、内なる想像力に囚われて目の前の記事に集中できないから、だ。
つまり、何かが起きても何も起きなくても、外にいることで私の集中力は無力化してしまうのである。ただ───
今の私は、こうしたリスクやハンデを乗り越えてでも外でnoteを書こうとは思っていない。
理由は二つの「気づき」にある。
一つめの気づき。
それは、家でnoteを書く「快適さ」である。
家はいい。
誰にも邪魔されない。自分でこぼさない限りコーヒーはこぼれないし、自分が招かない限りカップルはいない。そして自分が叩かない限りEnterキーは悲鳴を上げないし、目の前でおじいさんが倒れることもない。最高である。
もちろん、テレビや雑誌、ネットなど、家にもさまざまな誘惑はあるが、それらはこちらから働きかけない限り、基本的にとても静かだ。もしテレビや雑誌が勝手に話しかけてきたら、それはきっと「トイストーリー」の見過ぎだろう。
そして二つめの気づき。
それは、私が外でnoteを書きたい理由があまりにしょーもなさ過ぎたことだ。
自分の心に正直になり、そして恥ずかしがらず、自分の気持ちをさらけ出してみることで見えるものがある。
私は自分の心の声にそっと耳を傾け、訊いてみた。
「どうして外でnoteが書きたいのか」と。
すると、私の中の「リトルまるお」は少しはにかみながら、こう答えた。
「・・・なんとなくカッコいいから」
・・・えっ?
それだけ??
思わず自問自答したが、いくら考えても理由はそれしか出てこなかった。
つまり「スタバでパソコンをカチャカチャやっているのって、なんかカッコいいじゃん?」である。
そんなフワフワした理由で、私は危険が渦巻く外でnoteを書こうとしていたのである。
「なんとなくカッコいいから」、そんな理由でキケンに溢れる外の世界でパソコンをカチャカチャしようとしているなんて、覚悟がなさすぎる。
あまりにシンプルで恥ずかし過ぎる、あまりに中二病な理由ではあるが、物事というのは突き詰めて考えると案外そんなものなのかもしれない。とはいえ「なんとなくカッコいいから」はかなりイタい。
仮にも私はアラフィフの大人なのだから。
切実な理由や特別な思いなど微塵もなかったばかりでなく、あまりにアホっぽいその理由に、私は自分で自分に引いてしまった。
こうして私は自分の中で勝手に紆余曲折を経て、家でnoteを書くことを選んだ。
まだ心のどこかで「外でパソコンをカチャカチャする」ことに憧れを抱きつつも、憧れは憧れとして、私は今日も地に足をつけ、家でnoteを書いている。
改めて言うが、やっぱり家はいい。
家ならヨレヨレのジャージでいても恥ずかしくないし、もし鼻毛が飛び出していたって誰にも迷惑はかからない。
外なら街角から突然、車や自転車が飛び出したりしてキケンがいっぱいだが、家ならどれだけ私の鼻から鼻毛が急に飛び出したところで誰も傷つかない。せいぜい自分の鼻毛を自分で笑うという、平和な時間が訪れるぐらいだ。
そんな鼻毛と戯れながら、私は私らしく、そしてストレスなく集中できる我が家で今日もnoteを書く幸せ。
「部屋と鼻毛と私」
ここが私のアナザースカイ。
想像の翼を広げ、私は創造の空へと高く、高く跳ぶ。
ちなみに、今日は鼻がムズムズしない。
どうやら鼻毛は出ていないようだ。
よかった。
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