心の保湿を忘れずに
ウイルスは目に見えない。顕微鏡をのぞかない限り、おそらく一生目にすることはないだろう。
人々はその見えない敵に怯え、恐れる。それはまるで自分が暗闇の中にいて、どこに何がいるのか全くわからないという恐怖だ。
もしウイルスが目に見えるものだとしたら、ワクチンや特効薬がなくても人はそれほど怖がらないのではないかと思う。だって、目に見えるならそれに触れないよう、関わらないようにすればいいのだから。
けれど残念ながら、近い将来においてもウイルスが肉眼で可視化される可能性は高くなさそうだ。
しかし、人には他の動物が持ちえない能力が備わっている。
「想像力」だ。
ウイルス感染している恐れのある誰かが咳をすれば、そこにウイルスがいるかもと想像できる。そしてそれは咳をした当事者とて同じ。
なのに時々、自分の都合しか考えない感染者が「熱はないから」とか「ただの咳だから大丈夫だろう」とマスクもせずに電車に乗り、学校や会社に行き、あるいは大型施設へと遊びに行き、そこかしこにウイルスをまき散らす。
姿が見えないばかりに、ウイルスをまいたその犯人の姿さえも見えなくなる。
ほんの少しの想像力があれば、自分が感染している可能性を考えて、誰かに感染させることを防げるのに、
「仕事を休みたくない」
「学校を休みたくない」
「遊びたい」
私利私欲という名の小さな悪魔の囁きにその身を委ねてしまう。
本当に見えていないのは実はウイルスではなく、誰もが心の中に秘める「自分さえよければ」という小さな悪意なのではないのだろうか。
「敵は自らの心にあり」
心が乾いた時に忍び寄るその悪意を、一人ひとりが日々心のうがいや手洗いによって消し去り、相手を思いやる気持ちを保ち続けることが、これからの時代を生き抜くための「清潔習慣」なのではないか、私はそう思っている。
目に見えぬ心の絆がほつれかかっている今だからこそ、その結び目を強くするための加湿を忘れずにいよう。
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