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「日向坂46」と「藤井風」と。


中学生の頃に「おニャン子クラブ」にドハマりして以降、私がアイドルに興味を持つことはなかった。正直言って、大人になって以降は心のどこかで「アイドルなんて・・・」と思っていた。

モーニング娘やAKB、ももいろクローバーZなど、さまざまなアイドルが誕生し活躍しているのを見て、純粋に「凄い」「頑張ってるんだな」と思いながらも「欲深い大人たちに搾取されてしまう女の子たち」とも思っていた。

そんな私が今、「日向坂46」を推している。

おニャン子クラブ以降、どんなアイドルにもときめくことなく、心動かされることもなかった、アラフィフの私が、である。

自分でも自分が信じられない。しかし、これが「人間」であり、それが「人間」の面白さなのかもしれない、と今はそう思っている。

心のおもむくまま、心に正直に生きることで見えてくるものがある。

そして
「日向坂46」を好きになったから、私はあるアーティストと出会えた。それは───

「藤井風」である。

アイドル「日向坂46」と、今や世界的アーティストとなった「藤井風」。

一見、何の関係性もないであろう二組が持つ「あるもの」に私は気づいた。そして、その「あるもの」に私は救われている。

これは私だけが知る、「日向坂46と藤井風」についての話。いや、アラフィフおじさんのただの独り言、なのかもしれない。


今はもう終了してしまったのだが、日曜日午後11時30分から「SUPER GTプラス」というテレビ東京の番組が放送されていた。

おもにスーパーGTという日本最高峰の自動車レースについて紹介する番組で、レースの模様だったり、ドライバー情報やインタビュー、ドライバーの愛車を紹介したりしていた。

実は、私は車にさほど興味はない。しかし、なんとなくつい見てしまう、そんな不思議な番組だった。

当時、完全な夜型だった私は「SUPER GTプラス」が終わってもそのまま起きていることが多かったので、チャンネルはそのままに、ながら見を続けていたのだが、「SUPER GTプラス」のあとに放送されていたのが、現在も放送が続いている「乃木坂工事中」であり、そのあとにけやきって書けない?」そして「ひらがな推し」だった。

この3番組はいわゆる「坂道グループ」の冠番組であり、それぞれ「乃木坂46」「欅坂46(通称・漢字けやき)」「けやき坂46(通称・ひらがなけやき)」が出演している「アイドル番組」だった。

アイドルのバラエティ番組───それだけでもう「ファン以外は、見ても面白くないだろう」と思われがちだが、実際私もそう思っていた。

ただ、私の場合は見たくて見ていたわけではなく、単にチャンネルを変えたところで他に気になる番組がなかったので「たまたまついていた」だけ。

真夜中に無音状態でいるのもなんとなく落ち着かない、みたいな感じで見るともなしにつけていただけなので、興味のない番組でも構わなかったし、むしろそのほうが居心地がよかったのだろう。

とはいえ、毎週その番組がついていれば、意識的に見ていなくても何となくわかってくることはある。それに、いくらアイドルに興味がなくても、乃木坂46の名前はもちろん、人気メンバーの顔と名前ぐらいは把握できていたので、乃木坂工事中はたまに手を止めて見ていたのだが・・・

「ただテレビをつけてるだけ」な状態で数か月が過ぎようとしていた頃、私に「ある変化」が起こった。それは───

「ひらがな推し」だけは欠かさず見るようになっていた。

最初は本当に「テレビがついているだけ」だったのが、少しして「ひらがな推し、なんか面白いかも」と思い、その後しばらくして「面白い」、そして「凄く面白い」となり、いよいよ私はテレビの前で爆笑していた。

メンバーのことなど誰一人として知らない。もちろん、メンバーに何の思い入れもない。知っているのはMCを担当するオードリーだけ。なのに、この面白さは何だろう?

乃木坂46や欅坂46の番組にはない、「独特」な面白さ。

番組の面白さに気づき始めたタイミングで「けやき坂46」は「日向坂46」に改名し、番組名の「ひらがな推し」は「日向坂で会いましょう」になった。そこから日向坂46は快進撃を続け、その年の紅白に出場、今や他の坂道グループにも引けを取らない人気アイドルグループへと成長を遂げた。

興味を持ち始めた途端、あれよあれよという間にアイドルの坂道を駆け上がっていった彼女たち。その時はまだ、彼女たちが実は、大変な苦労と苦難を乗り越えた人たちだったことなど知らなかった。

「どうせ、最初から成功を約束されたグループなんでしょ?」と思っていた。

しかし、それが大きな勘違いであったことを、私はそののち公開される「3年目のデビュー」という日向坂46のドキュメンタリー映画を紹介するために作られた「46分の予告編」で思い知ることになる───

衝撃だった。
予告編が始まって数分で私は引き込まれ、そして気づいた時には泣いていた。

もともと、彼女たちは「とある事情」で集められた「誕生するはずのないグループ」だった。しかも、グループ誕生当初から「欅坂46」のアンダーグループ(いわば二軍)扱いであり、デビューを約束されたグループではなかったのである。

ただ、当初は頑張れば「欅坂46」入りの可能性もあったようだが、さまざまな事情によってその道は断たれてしまう。つまり、いくら頑張ってもその努力が報われることはない、グループ自体の存在理由すらはっきりしないという、まさに「希望など全くない」立ち位置のままで、彼女たち「けやき坂46」は活動をしなければならなかったのだ。

さらにその当時、彼女たちに対するネットの心無い書き込みも多く、その内容は年端もいかない少女たちの心を打ち砕くに余りある酷さ。世間がすべて敵に見えたであろう彼女たちにとって、メンバーだけが唯一の味方だったことは容易に想像できる。

彼女たちはその小さな肩を寄せ合い、仲間とともに暗闇の中でもがき続けた。その期間、

なんと3年間。

もし最初から「3年頑張ればデビューできる」なら頑張れるかもしれない。しかし彼女たちはその未来に何の約束もないまま「先の見えない暗闇の中」で3年間を過ごしたのである。

どんなに頑張っても欅坂46に入れることはない、そして単独デビューもない。それを知った上での3年間である。普通だったら、その状況に絶望するだろう。しかし───

彼女たちは違った。

そんな絶望しかない状況の中にあって、「今の自分たちが出来ること」をただひたすらに、愚直に続けた。そして、その一つが唯一自分たちのことをアピールできるであろう深夜番組「ひらがな推し」だったのだ。

番組の中で、彼女たちは常に「本気」だったし「必死」だった。ほとんどのメンバーがバラエティなどよくわかっていなかった中で、それでも毎回少しでも番組を面白くしよう、爪痕を残そうと全力で取り組んでいた。

今思えば、そうしたひたむきさや一生懸命さを私は画面越しに感じ取っていたのかもしれない。そして、それが実を結び、けやき坂46から日向坂46への改名そして、単独デビューに繋がったのである。

「見た目が可愛いから」とか「もともとアイドル好きだから」ではなく、私は彼女たちを「人として」好きになり、「人として」尊敬している。

そんな彼女たち、日向坂46としてのデビュー後はまさに破竹の勢いで人気を獲得していくのだが、その年の「MTV VMAJ 2020」において、彼女たちの楽曲「青春の馬」のMVがBest Choreography(最優秀振付け賞)に選ばれた。

「青春の馬」のMVが披露されるということで、私はすべての部門のMV作品を紹介する番組を録画し、そして見た。どの作品もその年を代表する曲でありMVである。聞いたことのある作品がほとんどだ。

もちろん、初めて聴く曲もあったのだけれど、その中で異彩を放っていた一曲、それが───

藤井風のデビュー曲「何なんw」だったのである。

そう。
もし私が日向坂46に興味を持っていなければ、MTVの「MTV VMAJ 2020」は見ていないし、見ていなかったらその時、藤井風を知ることはなかったのである。

もちろん、今や世界的なアーティストとなった藤井風なので、知るのが早いか遅いかだけだったのかもしれないが、果たしてファンになったかどうかはわからない。

今、大ファンなのだから、知るのが遅かったとしてもファンのはず、と言いたいたいところだが、少なくとも私は違うと思っている。

物事には「タイミング」というものがある。

特に曲は「いつ」「どこで」「誰と」聴いたかといった人間の行動に大きく影響すると私は思っている。そして、それ以上に、その時の自分の心身の状態に左右される。

逆に言えば、曲というのはそれほど人の心に響き、そして癒し、そして勇気を与えてくれるもの、なのかもしれない。

その曲を聴くだけで「あの日」のことを、「あの時」のことを、「あの人のこと」を、一瞬にして思い出す・・・そんな一曲を心に秘めている人は少なくないと思う。

今思えば、私が日向坂46、そして藤井風を好きになったのは、私にとって「二つの出来事」が重なるその「タイミング」にあった。

それは、私自身の「人間関係に大きな変化があった」時であり、そして「コロナ」前夜だったことである。

その時期、私は人間関係で大きな決断をしている。いわゆる人間関係の大きな断捨離である。強い絆だと思っていたものが、ただの腐れ縁だったことに改めて気づき、大きな痛みをもって断ち切った。きっと私の心はとても疲弊していたのだと思う。そして、時を置かずしてやってきたコロナ。

人間関係の断捨離をし、世の中ではコロナが蔓延する、心に大きな穴があき、心が乾いていたそのタイミングで、私は何かに導かれるように、日向坂46と藤井風にハマっていった。

そんな日向坂46と藤井風だが、実はある「共通点」がある。それは───

「優しさ」と「思いやり」である。

日向坂46を、そして藤井風を好きな人ならきっとわかると思う。彼女たち、そして彼は優しさと思いやりに溢れている。

コロナによって、人々の心が殺伐とし、心のゆとりを無くし、相手を思いやれない人が溢れてしまったそんな世の中にあって、彼女たちのその笑顔や頑張る姿、そして彼の曲は私にとって「救い」であり「希望」だった。

「日向坂46」の仲間を思う気持ち、「藤井風」の人を大切にするその思い。

だから私は彼女たち、そして彼に強く惹かれたのだと思う。

「誰も傷つけない、その優しさとハッピーオーラ」を、そして「すべての人を癒そうとする、強くてしなやかな曲」を、私は日々、見て感じ、そして聴いた。その結果、私は日向坂46と藤井風に背中を押されるようにしてnoteを始めた。

まず、自分を癒すために記事を書いた。自分を救いたくて、私は私のために記事を書いた。書いていたら私の中で変化が起こり、そして今は、私の記事を読んで誰かが「笑顔になってくれたらいいな」と思って記事を書いている。

「人生で起きることのすべてに意味がある」

前回の記事にも私はそう書いたけれど、自分にとっていいことも、そしてそうでないことも、それを前向きに捉え、受け止めるマインドさえあれば、意外と物事はよい方向へと進んでいくのでは、そんな気がするし、そう信じている。

あなたには「推したい人」がいますか?
「推しているモノ」はありますか?

今、誰かを、何かを推している人はきっとわかっているはず。

誰かを「推し」たり、何かを「推し」ていることで、実はあなたも「推し」から、その背中を「推し」てもらっていることを。

「推し活」でみんなの心が癒され、元気になり、そして豊かになりますように。

「推しは推せるときに推せ」

人生はきっと、思うほど長くはないのだから。

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