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7*沖縄ひとり旅〜ひめゆり編

お久しぶりです。
少し前に沖縄に行ってきました!

初めての沖縄でしたが、着いて早々「もっと日数確保すればよかった・・・」と後悔するほど、すぐに沖縄が好きになりました^^

友人に紹介してもらった占いに行ってみたり、目の前が海のカフェでぼーっとしたり、急いで走っていたらバスの運転手さんに「間に合わねえよ!無料で乗せてやるから乗りな!」なんて優しすぎる親切をいただいたり・・(おじちゃん、ありがとうございました!)

毎日2万歩は歩いたので、帰宅後はしばらく筋肉痛でした。

前置きはこんな感じで。
今回は特に印象的だった場所『ひめゆり平和祈念資料館』での出来事をお話しようと思います。

ひめゆり平和祈念資料館とは?

沖縄が太平洋戦争の戦場となったのは有名な話ですが、その史実を記録している資料館が県南に2つあります。1つが沖縄県平和祈念資料館、もう一つがひめゆり平和祈念資料館です。
(どちらも行きたかったのですが、前者は4/30まで改修工事で休館と知り・・次は絶対に行こうと思います!)

ひめゆり平和祈念資料館は、戦場で働いたひめゆり学徒隊を焦点にしている資料館です。
ひめゆり学徒隊の仕事は、兵士の傷の治療、炊事の手伝い、遺体の埋葬など多岐に渡ります。忘れてはならないのは、これらの仕事を10代の少女が行っていたこと、そして衛生的にも安全性的に劣悪な戦場で行っていたということです。

戦争が始まる前のひめゆり学徒隊は、県で唯一プールを構えるそれは立派な学校で、生徒たちはいわば“普通”の学校生活を楽しんでいました。

悲惨な戦場にて

印象的だったことの1つが、『(今思い返すとゾッとしますが)当時は水も貴重でしたので、おにぎりを握るのも、食事をするのも、兵士の排便を手伝った手でそのまま行っていました。』という体験者の証言です。
経験した人にしか話せないことのように思いました。

その他にも集団自決の話など、残酷なことは尽きませんが・・。展示されているものにはすべてに向き合う気持ちでいましたが、申し訳ありません。麻酔無しで行われた腕の切断手術の話だけは、どうしても耐えられず背けてしまいました。

今の時代にも通じること

資料館の最後に、来場者から寄せられた感想がいくつか展示されていました。
そのひとつに、

ひめゆり学徒隊の生徒たちは、短い人生で残酷な目に遭ったまま亡くなり、まさに犬死にだ!

50代男性より

という感想がありました。
これに対し、ガイドさんらしき女性が、

沖縄の方が必死に日本を守ってくれたおかげで今があるのに、犬死にとはなんだ!もともと米軍は2週間で沖縄を陥落させる予定が、奮闘の末3か月もかかったから九州上陸作戦は中止になった。沖縄で留めてくれたから日本を守ることができたのに、犬死にという表現はあまりにも失礼だし、この感想を展示する資料館もおかしい。

と言っていました。

この件で私は色々と考えましたが、一つ言えることは、史実も時間が経てば経つほど、伝える者・受け取る者の主観が(無意識にでも)入り、やがてその主観でさえも、事実のように伝えられていくということです。

同じ展示内容を見た者でも、ひめゆり学徒隊を“犬死に”と表現する人もいれば、それを真っ向否定する人もいます。
その違いは、その人の立場によるものであれば、個々の知識量の差や、そもそもの人間性の違いかもしれません。

今後何かしら歴史や芸術を後世に継承していく仕事に携わりたいと考えている身からすると、考えさせられる出来事でした。

命あることを当たり前と思ってはなりません。
正解などないのかもしれませんが、戦争経験者の世代が消えていく今、新しい時代が始まっていると思います。

極東の小さな国日本をここまで成長させ守ってくれた先人に感謝すること。そして自分自身、日本人であることの誇りを忘れずに生きていきたいです。

次は占い編にしようかな💭

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