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夏@下鴨神社①

※コロナがなかったときの世界線を想像して書きます。


京都の夏は暑い。
人間が住むところちゃうやろってぐらい暑い。
盆地の京都市街は、東、西、北の三方を山に囲まれ、街に溜まったむあっとした熱気がなかなか入れ替わらず、夜でも暑い。
夏まっさかりのときは最低気温が29度ぐらいのときもあるらしい。
ひええ。
冷房つけんと寝られへんやん。


とはいえ、それでも夏に京都に行きたいときはある。
人に会うときだ。
京都はお祭りが多くて、定期的に会う口実がある。
夏は特に多い。
京都でお祭りといえば祇園祭だけれど、あんな人が密集するところは私はニガテ。
ということで祇園祭はやめて、下鴨神社の御手洗祭に行くことに。


京都駅から17号系統の市バスに乗って、出町柳駅へ。
河原町通りを行くバスの車窓から見える景色は、なかなかに退屈だ。
よその街とそんなに変わらないであろう空間が広がっている。
コンビニ、飲食チェーン、雑居ビル…
何回か乗ったことがあるバスの路線というのもあって、私は早々に地元民の日常を切り取るのをやめ、少しばかりの乗車時間を、小説を読むのに充てることにした。


待ち合わせ場所の近くの出町柳駅前にて、冷房がかかった車内に別れを告げ、降車。
やっぱり暑い。
もう夕方だが、32度ぐらいはありそうだ。
こんな暑い中でも、鴨川デルタからは子どもたちが元気に遊んでいる声が聞こえてくる。
若いなぁ。
車内で読み進めたぶんの小説の内容は、ほとんど覚えていない。
この後のことを考えて、わくわくしていたからだ。
むかしは市バスは絶叫系アトラクションだったらしいけど、近年だいぶ穏やかになったと聞いていた通り、私が乗ったときは穏やかだったな、なんてこれ以上ないぐらい充実していないバスの時間を振り返りながら、200 mばかりバス停から離れた待ち合わせ場所まで歩いた。


カレはデルタの西側で、日陰に隠れながら廣松渉の本を読んでいた。
この暑い中、さすがの変人っぷりだ。
いや、暑い中待たせたのは私なんだけど。
お待たせ~。ごめんね暑い中待たせて。おう、ひさしぶり。元気だった?元気だったよ~。テストどうやってん?余裕。言うと思った(笑)。それじゃいこっか。


二人並んで、下鴨神社の境内がある糺の森のほうへ歩を進める。
私もカレもドライなほうで、外で手はつないだことはない。
共通の趣味の話をしながら、やや大きめの家が立ち並ぶ幅の広い道を行く。
二人とも理系だけれど、暇な時間は人文系の、いわゆる“役に立たない”本を読むのが好きだ。
私たちにとっては十分に役に立っているけれど。


私は下鴨神社についても御手洗祭についてもよく知らない。
とある理由から、私の出身地はこの系列の荘園だっただろうなぁ、なんて、神社とさして関係ないことはぼんやり予想してたりするだけで、語る上で大事な歴史の知識は仕入れるたびに忘れていく。
しょうみ、私にとっては会うための口実に過ぎないので、あんまり興味がなかったりする。
かたちだけでも知っておこうかな、と思ってなにかしら調べるけど、やっぱりそういうのは頭に残らない。
興味ある分野と興味ない分野がはっきりしているのか、はたまた何事にも時間を費やせば興味は出てくる質なんだけど時間を費やしてこなかったかどうかの違いに過ぎないのか、自分でもよくわかっていない。
まあともかく、私にとってお祭りは非日常感を高めてくれるスパイスみたいなもので、さして重要でもない。
ただ、御手洗祭では御手洗川に入って神さまにロウソクを供えることができるらしく、それはちょっとやってみたい気持ちはあった。


糺の森の前の鳥居の前に着いた。
少し、あらたまった気持ちになる。
と同時に、自分でも思いがけなく、言おうかどうか迷っていたことが口から出る。
「ちょっと進路について悩んでてね」
しまった、と反射的に思った。
自分でもまったく考えがまとまってないからだ。
「うん。それは初耳だね」
カレはまったく話を進めることを急かさない。
だいたい私たちの会話は話し始めたほうが、自分のペースで自分の話したいことを話すようにしているし、聞き手のほうは相手のペースに合わせる。
ゆっくりでいいって、そのぶん相手は自分なりにしっかり考えて表現してるって、お互いにわかっているから、会話のペースはやたらと遅く、相手が言葉を発してから自分が話し始めるまでの時間がけっこう空いたりする。
高学歴の男って素早く早口でレスポンスすることによって「頭の回転が速い」「地頭がいい」ってほめられたいものだと思っていたけど、この人はまったく自分を大きく見せないな。
私なんかよりずっとずっと賢いんだから、二人のときはもうちょっと威張ってもいいのに。
やっぱりたくさんいい本読んで、自分でもの考えてる人は違うな、など思いながら、私は自分の中でまとまっていないことについて話すことにした。
「大学院行くつもりだったけど、それはやめてさ、就職しようかなって思ってる。もちろん、まだ3回生の夏だから、いまのところは大学院入試の勉強しながら就活するつもりではあるけれど」
「うん」
「なんかな、研究で自分の限界が見える気がするっていうのもあるんやけど、それよりもな、もっと直接、人のためになりたいし、早く社会に出ればそのぶんたくさんの人を助けられるなって思って」
「うん。たとえその選択をしたとして、それがよかったかどうかは誰にもわからないだろうけど、とてもまっとうな考えだと思う。研究で自分の限界が見える気がするってのは、僕にはよくわからないけどね。だって、サクラさん(仮名)は研究続けるだけのスタミナあるし、考え始めたときに考え得ることってほんとうに限られていること知ってるじゃん?」
「うん、その、結果の納得感についてはわからへんねん。でも、過程に納得しないことは、なんとなく想像つく」
「仮に結果が出たとしても、もっと研究に集中していればもっといいものができたのにって自分を責めてしまうだろう、ってことかな?」
「そう」
やっぱりこの人は、他人の痛みがわかる。
私が自分の過去をよく思っていないひとつの要因をちゃんと知っている。
彼も私と同じく受験競争がないに等しいところから大学進学しているためか、人が、特に子どもががんばれない原因や人間の弱さみたいなものに対して、現実的な想像力がある。
「研究室でね、研究のことばっかり考えてられる気がしないと思ったんだ。どうしてもね、別のことがちらついてくる時間があるというか」
「うん」
「そもそも興味が移りやすいのもあるけど、私は倫理とか、もっと人が生きる上で大事なことについて考える時間を増やしたくなったんだ。もちろん、専門も十分おもしろいけど、でも、そればっかりに集中していいのかって、最近考えてる。それを抱えたまま、大学院に進んで研究やっていいのかなって」
「うーん、いったん社会人になって、専門分野への愛着が深ければ、大学院に戻ってもいいかもしれないね。もちろん専門分野に限らなくてもいいだろうし、いま勉強してる内容はけっこう忘れてしまうかもしれないけど。でも、ものの見方、見るセンス自体はそんなに劣化しないだろうし、またそのときどきでセンスを磨けばいいのかも」
「そうだね」
この4文字に、私は強い肯定の意をこめた。
実際、この時点でとるべき選択肢は決まった。
あとは、なにを考えながら行動していくかが大事だ。


しばらく話すのをやめて、境内までの長い砂利道を歩く。
小さい子供からご年配の方までと年齢層は広いが、大学生と思しき学生が多い。
やっぱり学生の街だな。
浴衣を着ている学生、中学生ぐらいの坊主の少年団、砂利道の中をベビーカーを押して歩く子連れの方。
どこを見ても、微笑ましい。
来てよかったな。
高揚感と、各々が各々の時間を大切な人と一緒に過ごしている光景を見て湧き上がる幸福感とで、私はちょっと、泣きそうにもなった。


境内には、御手洗川に入る人の行列ができていた。
私たちは参拝をすませてから、その行列に並んだ。
列は長く、しばらくかかりそうだ。
この進む速さだと、30分ぐらいだろうか。
日が落ちてずいぶん周りが暗くなり、ふっと寂しさを感じて、私はまた脈絡もなく話し始めた。
「やっぱりいつまでもね、大学生のままでいたいなって」
「たぶん、ほとんどの人がそう思ってる」
「でも、大人になりたいっていう想いもあって…大人にはなりたいんだけど、なんで大人になりたいかっていうと、それは、他人に貢献できるからとか、いまよりお金を稼げるからとか、そういう理由なんよ。やっぱり大学生っていうと、失敗が許されてるいうか、大人としての責任もあるけど、やっぱりどこか逃げ場があるわけじゃんか。私は、そういう逃げ場がないってのを自覚する意味でも、他人に私は逃げませんって示す意味でも、大人になりたい、社会人になりたいっていう気持ちはあるな」
「君らしいね」
「でも、やっぱり怖いって気持ちもある。責任がいまより格段に大きくなるし、それ以外にも、なにかよくわからない不安はたくさんある。不安なことがこれからたくさん出てきそうなことに対する不安、かな」
「うん」
「たぶん、なんだけど、大人が子どもみたいだったら、もっと私は社会人になることに対して前向きに捉えられたと思うんよ。私はね。でも、そうじゃないじゃん。大半の大人ってさ、子どもよりも、子ども時代に思い描いてた大人のイメージよりも、ずっと汚いじゃん」
「そう、かもしれない」
「大人ってさ、理不尽なことや、理屈が通らないことに対してさ、我慢することが美徳だと思っていて、いざ自分に特権が与えられると、その理不尽なことをなくそうとはしないじゃん。もちろんなくそうとする人も見るけど、でもそれは少数派であって」
「たぶん傾向としてはそうだよね。なにがそうさせているのかな?」
「問題意識の欠如か、もしくは変えるべきものはわかっていてもどう変えればいいかはわかってないか、かな?」
「組織レベルではわからないけど、個人レベルで見るとそれが大きな要因かもしれない」
「なんでこんなに、非対称な世界なんだろう」
「うん」
「大事なことを一方的に隠したまま、いや、大事なことなんてなにひとつないのかもしれないけれど、持たざるものに押し付けて」
「気に障るよね」
「大人と子どもだって一緒だよ。学校の勉強とかさ、学校道徳、校則もそうだけどさ、私たちが押し付けられたもののうちでほんとうに人生に重要なことって、そんなにあったかな?」
「あんまりなかった気はするね(笑)」
「勉強の仕方にはよるけど」
「そう」
「っていうことに、大学生になると誰しも、気づいた気になるよね。傲慢かもしれないけど」
「うん、もちろん気づいてない視点はあるだろうね。でも、そこには、正当化には十中八九、政治的なものが絡んでいて、そしてそれはさほど重要じゃないし、政治的主張の押し付け合いだったら子どもは不利だよね…いまは、わかった気になっているだけでもいいから、それについて考えるだけでいいんだと思う」
「うん」
「やっぱり、政治的立場にとらわれない主張でちゃんと合理化しないとね。学校なんて少しも立場が均衡してないから」
「うん」
「それで、大人と子どもの関係についてだったね?」
「そう、そういう環境で、信頼関係なんか築けないだろうなって、大人が社会に出るときになにか暗黙のルールを認めることを要請されるところがあって、たぶんそれは、大人が子どもを理解できなくなる要因でもあるだろうし、子どもが大人をリスペクトできなくなる臨界点がある気がする。学生のいまは片側からでしか言えないけど」
「まあ労働者の倫理なんていまの僕らからすればわかりようがないからね。権威側も、きっと自分の優位性に甘んじて合理性の追求を怠ることは、きっとあるんだろうね。組織によっては。どうやったらうまく大人側の立場に想像力を働かせられるかってことについては…僕もいまのところ、いい案がないな…」
10秒もなかったであろうが、私にとってはかなり長く感じられる時間押し黙り、言うか言うまいか迷っていた、まだ極めて漠然としか考えていないことを口にすることにした。
「それで私、塾の先生になろうかな、と思ってて…」
私は自分がぼんやりとやりたいこと、それに対する気持ちを、なかばカレに引き出してもらいたいと思いながら、ゆっくりと想いを切り出し始めた。

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