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すずらんをもらってから

5月1日はスズランの日。この日、フランスでは大切な人にスズランの花束を贈る習慣がある。贈られた人には幸運が訪れるのだそう。

実家にスズランの鉢植えがある。白くて小さな花を咲かせて毎年楽しませてくれる。

スズランはその可憐な見た目の割に丈夫な多年草。冬の間は姿が見えなくなるが春先、気がつくとプランターはいっぱいになっている。いっぱいになると株分けしてプランターに植えなおす。すると数年でまたいっぱいになっている。(もっともこの作業は実家の父の楽しみのひとつで私は手出ししない)

実家のスズランは私が植物に興味をもったきっかけのひとつ。

ご近所に園芸好きなおばさんがいて、いつも庭で花の手入れをしていた。私はそのおばさんの真似をしてお花を育てようと思って近所のスーパーで白いプランターを買った。

今でも覚えているが四角いプランターが主流の品揃えの中、楕円形で手頃な大きさのそれは子供心にとても素敵なものに思えた。

おこづかいで買ったはじめてのプランター。手に入れて嬉しくて自分も園芸家の仲間入りができるようなちょっと誇らしい気持ちで私はそれをおばさんにみせた。

「素敵なプランターね」とか「いいのみつけたね」とか、プランターを誉めて欲しかったのだと思う。

ところがおばさんはプランターをみるとちょっと考えて自分の庭からすずらんを掘りあげプランターにいれてくれたのだ。

すずらん、あるいは他の花でも、何かもらおうとは欠片も思っていなかった私はおばさんが入れてくれたすずらんに何か悪いことをしたような、ねだったことになったのかもしれないと子供心に申し訳ない気持ちになった。

(もっとも当時の私はけっこうちゃっかりしてたのですぐにラッキー!すずらんの花とプランターの白が合うからだと考え直したのも覚えている。)

大人になって「すずらんの日」の話、すずらんを贈るという習慣の話を知ったとき贈られると幸運が訪れるというのが感覚的によく理解できたのもこの経験からかもしれない。

大切な人にすずらんを贈る日。なんて素敵な習慣だろう!と半ば感動さえ覚えたのだ。

カレンダーをみると5月1日。ふとスズランのカップを思い出してお茶をいれてみる。

今でも私はスズランをみるとおばさんからもらったプランターのやりとりを思い出しちょっぴりしあわせな気持ちになる。

子供の頃、すずらんをもらったその日が何日だったかは覚えていないけれどスズランは時がくると花を咲かせ、たしかに私にしあわせな気持ちを思い出させてくれている。








読んでいただきありがとうございます。 暮らしの中の一杯のお茶の時間のようになれたら…そんな気持ちで書いています。よろしくお願いいたします。