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うつ病とわたし2 〜不真面目大学生〜

どうもです。ttです。
今回は第2回ということで、
色々と狂った大学時代の話を。


↓自分のうつ病についてのマガジンです。前回まではこちらを。


高校3年生のわたし

と、その前に。
高校3年生のとき、
周りは志望大学があって塾に行って
って感じでしたが、
自分はというとぽけーっとしてました。

将来やりたいこともなく、
勉強もしたくない。
だけれど今すぐ働く気にもならない。

色んな人の話だったりSNSで
みんながみんな人生設計があって
大学に入る訳じゃないことは分かっていたけど、
ここまで何もしないし何も考えてないのは
自分くらいかなと思ってました。
いや、厳密にいうと考えてはいた。悩んでもいた。
けど結論は出なかった。

そんなこんなで塾にも行かず、
学校の図書室で本を読んでから帰っていたら、
あっという間に受験シーズン。

こんなやる気がない奴が受かるわけもなく、
もうどこでもいいやとどんどん偏差値を下げて受験。

卒業式も済んだ3月。
なんとか受かって、
高校最後の思い出もまともに作れないまま
大学生活がスタートするのでした。


クズ大学生

大学生活が始まった…は良いものの、
1時間を超える通学や満員電車、
高校時代の倍近い90分の講義、
慣れないアルバイトなど、
新しい環境に適応できず大学はサボりがちに。

失恋や両親の不仲も重なり、
なかなか寝付けない日が続きました。

結果として、大学1年の秋頃から

5:00 就寝

13:00 起床

パチ屋で時間潰す

ゲーセンorカラオケ

24:00 ラーメン屋で夜ご飯

3:00 ゲームしつつ夜食

5:00 就寝

(以下ループ)

というクソみたいな生活リズムになりました。

あ、ひとつ訂正します。
さっき「適応できずに〜」「失恋が〜」「両親が〜」とか書きましたがすべて言い訳です。
全面的に自分のせいです。
行きたいのに行けない、って
本気で思ってないから何もしませんでした。



あと、
よくそんな毎日パチ屋に行くお金あるなぁ
と思われるかもしれません。

当時バイトは週2〜3で、
給料は月3〜6万くらい。
年間だと50万前後でした。
パチ屋に行けば一瞬で溶ける金額です。

だから当時の自分は
何とかして勝とうと必死でした。
まだなんとかハイエナで戦える時代だったので、
分からないなりに色々調べて
大学時代は年間30〜60万のプラス収支でした。

自分が大学時代に得たものは
このしょーもないプラス収支くらいです。
あと日商簿記3級。

さすがに4年次になると
卒業単位が怪しくなってきます。

なるべく朝は講義を入れず
なんとか大学に行くようになるのですが、
友人達は単位をほぼ取り終えていたので
ぼっち講義ばかりでした。

最後まで卒業できるか怪しかったのですが、
なんとか卒業することができ、
4月から会社で働くことになりました。


ここまで振り返ってみましたが、
ほんとだらしないですね。

こういう人がいるから
「うつ病は甘え」
とか言われるんでしょうね。すみません。

次回は社会人になってからを振り返ります。
気が向いたらね。

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