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こんなに単純なことにようやく気付かされた ~オールナイトニッポン 55周年記念公演『あの夜を覚えてる』観劇記~


オールナイトニッポン55周年記念公演『あの夜を覚えてる』を今日見ました。
とてもいい舞台だった。いや、舞台というにはあまりにも舞台じゃなくて、佐久間さんが言う通りまさに生放送でやるドラマだった。
話の展開のさせ方とか、カメラワークとかカット割りとか、それ以外の僕が想像もつかないところも全部、死ぬほど工夫して練られて稽古されてあの作品ができたんだろうなと思う。面白い作品だった。

最近は何でも佐久間さんコンテンツに支配されつつある。この舞台も、まだ序盤しか見てないけどトークサバイバーも面白い。あとはあちこちオードリーも毎週楽しみにしてる。さらにオードリーと特番またやるっていうじゃない(しかもなかなか芯食ってそうな企画)。佐久間さんのラジオもゲストラッシュにより割と毎週聞いてるし、ちょっと前まではこのおじさんにこんなに支配されるとは思わなかったなあ。

舞台の話に戻すけど、ハロヲタである身としてはあの曲が流れてきた時はさすがにテンション上がったな...。どぅーが出てるからってことであの選曲だったとは思うんだけど、それ以上のなにか理由とかがあるならぜひ知りたい。だっていくらどぅーが出てるとはいえ脈略なさすぎる。制作陣にハロヲタがいるとしか思えない。
それにしても、ハロプロ関係なく見るような作品にどぅーがこうやって普通に出てくるのがすげー嬉しい。キャスト発表される前からチケット買おうと思ってたからね。余計。その番宣で髙橋ひかるのANN出たり、佐久間さんがANNで名前だした時は感動したなー。


そして何よりこの舞台から感じたのは、「ラジオっていいなー」っていうこと。ドデカい感情として今でも心を覆っている。
特にここ2週間ぐらいはそうだったんだけど、ラジオばっかり聞いてる。しかも何かをしながらとかではなく、よりラジオをちゃんと聞くために散歩にわざわざ出かけて聞いてる。2,3時間の散歩に。もはやそれが日課になってる。自分がこんなにもラジオにハマる人間だとは思いもよらなかった。

ラジオの何がいいかっていわれると難しい。
よくラジオのいいところとして言われるような、内輪ネタの良さももちろんある。でもそうなり過ぎない方がいいというのもある。あとはパーソナリティと1対1で話してる感、そばで話を聞いてる感があるというのも分かる。リスナーに寄り添ってくれるっていうのも分かるけど、でもこっちのことは気にせず好き勝手喋ってるのを聞きたいというのもある。あんまりリアタイしないし、メールも送らない、Twitterで実況もしないから、生でリスナーとコミュニケーションをとって一緒に作り上げていくというのは自分自身の体験としてはない。でもリアクションメールを読んでそれに反応する展開も好きだし、名物ハガキ職人が送るネタを楽しめるのも好き。

どの要素もあるし、分かるし、舞台中でも触れられてた。ラジオに必要な要素だと思う。でも自分が思う、ラジオの一番の良さは「その人(パーソナリティ)の人となりや感情の動き方を知れること」。そしてリスナーが「そこに勝手に共感し、社会の中の"自分"を確認して好きにもなれるし嫌いにもなれること」だと思う。ちょっと言語化難しいな。これが正解かわからないけど、こんな感じ。笑
だから、ありきたりな言葉だけど"その人の素"が聞けるラジオが好き。アイドルのラジオでありがちなんだけど、ほとんど企画ありきのラジオとか、なんかずっと敬語だったり「進行してます」っていう感じが強かったりする番組は(自分の中で)あんまり長続きしない。だから基本は日々の出来事を話すトークだったり、感情の動きが分かる過去の出来事だった理の話を聞きたい。あのコンサートの時こんな気持ちだったとか、あの番組ではこう思ってたとか、コンビニで買い物する時こんな出来事があってこう思っていたとか、そういうのが聞きたい。
フリートークじゃない、何かのコーナーでもその人の素の言葉、感情の動きが分かるコーナーが好き。例えばCreepy nutsの「Hip-Hopニュース」とかはすげーいいコーナーだと思う。めちゃくちゃふざける、笑えるコーナーではあるんだけど、実際の出来事に対する2人の見解を聞けたりすることもある。あとは登場するアーティストに対して2人がどういうところに憧れるのかとか、良さを見出してるのかとか、そういうのが聞ける。すごい好きなコーナー。
で、そうやってパーソナリティの感情の動きが聞けるラジオが好きって書いてきたけど、その感情の動き方に自分が全く共感できない場合もたくさんある。そういう場合は、やっぱり聞かなくなるんだよね。というか、「この人共感できそうだな」って人のラジオを選んで聞くようになった。最近は。
その人と共感したことを日々の暮らしの中の自分と照らし合わせて、自分の好きなところや嫌いなところ(ダメなところ)を認識できる。ラジオを聞くっていうのはその繰り返しなんだな、と最近ようやくわかってきた。自分なりの、ラジオの聞き方ができてきた。


これが観劇記だってことを忘れてしまうほど、ラジオの好きなところについて書いてしまった。まあでも、そんなことを再認識させられる舞台だった。
ラジオってそういうメディアだからこそ、最後のシーンであんなに感動で来たんだろうなと思う。ずっと求めてたものが最後に来たというか。しかもそれを求めてたのは自分だけじゃなくて、リスナーも、あそこにいたスタッフも、みんな結局それを求めてたんだなっていうのが分かってとても感動した。
見れてないという人はぜひ27日の配信を見てほしい。自分ももう一回見ます。

この記事のタイトルに入れた「こんなに単純なことにようやく気付かされた」っていうのなんだけど、これは結論として。
「自分が楽しいと思うことをして生きていく」って事で、結局いいんだなと思えた。難しいことを考えず、それだけをひたすらやり続けて生きることに価値を見出していいんだなって。
自分は4月から社会人になるんだけど、同級生はほとんど就職してるから仕事の話を最近はよく聞く。でも楽しそうに仕事してる人なんて全然いない。同級生だけじゃない。部活の先輩とか、Twitterでフォローさせてもらってる人たちとか、親とか、メディアに出てる人とか。世の中の色んな人たちの感情の動きについて聞く機会があるけど、「仕事は辛いこと」だっていうことがこの世のデフォルトとして設定されちゃってるように感じる。
仕事の楽しさとかも、「辛いことの先に楽しさがある」みたいな感じで苦しみを受ける前提で話が進んでる。おそらく部活制度が長らく教育の中心にあった日本のシステムがもたらすものの一つではあると思うんだけど。「きつい練習を乗り越えることに意味がある。それがやりがい。」みたいな。
そして自分もずーっとガッツリ部活をやっていたから、それに洗脳されてた部分がある。やっぱりキツイことを乗り越えて自分の糧にして成長していかなければならないと思い込んでた。資本主義の中で勝ち進む人を育成するためにはそうやって洗脳させた方が良かったんだろうね。きっと。なんかすごいマイナスな感じで書いてるけど、別にそうじゃなくて。むしろそう思える人が増えた方がいいかも知れないし。ただ、世の中の仕組みはどうやらそうなっていて、自分は実はそこについていけなかったっていうだけ。

この舞台を通してだけじゃなくて、去年の夏以降からいろんな話を聞いて、読んで、何より自分で考えて、こういうことを感じるようになった。社会に貢献するために自分が辛いことをする必要はないなって。というかそうしたくないなって思ってる今は。
だから、「自分が楽しいと思うことをして生きていく」し、この舞台を通して、いつか「ラジオに携わりたい」と思った。自分にどんな可能性があるかわからないけど、パーソナリティ(話し手)としてでも、制作側としてでも、何でもいいから、今すぐにじゃなくて"いつか"でいいから、ラジオに携わりたいって、強く思った。
「自分の話を自由に話して、たくさんの人に聞いてもらってそのリアクションをもらう」ってすげー羨ましいことだなって、今回の藤尾涼太を見て思った。実際の普段聞いてるラジオでも思うけど。
制作側だったら、キュー出しめちゃカッコいいなと思った。何であんなにカッコいいんだろう。100カメの時も思ったんだけどね。あれがとにかくやりたい。それ以外も、いいラジオを成立させようと紛争するすべての人がカッコよかったんだよな。とにかくカッコいい。

就活するときによく言われた。「好き」だけじゃ仕事できないって。確かにそうかもしれないけど、仕事するうえでその仕事の何かが「好き」っていうのは最大の原動力にもなると思うけどな。って今なら思う。毎回ではないかもしれないけど、そこから生まれるパワーは、どんなスキルでも超越しうる価値を持つときがあったりしないのかな。"あの夜"が実際の制作陣にインタビューしてる動画とか、100カメの企画会議とか思い出したら、そんな気するんだけどな。
いまはとりあえず、4月から始まる仕事を頑張るからさ。いつかニッポン放送かミックスゾーンの採用に応募するから。その時はお願いします。
いつか「好き」を原動力にして、「キューを出したい」とか「カフを上げたい」とかそういう単純な楽しさを求めて、仕事がしたいな。




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