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1人で服を買いに行けないのは"ヤバいやつ"かどうか


僕は3月に大学院を卒業していよいよ社会人になろうとしている男なのですが、いまだに一人で服をお店に買いに行くことができません。「お店に」というとまるで通販では買えるみたいな言い草に聞こえるかもしれないけど、推しのグッズであるフリースやロンTならギリ買える程度で通販でも基本的には買えない。

じゃあ服はどうしてるのかというと親が買ってきてくれるものを着るか、友達と流れで(あくまで流れで)お店に行ったときに買うか。でもそれも年に一回くらい。なので基本的には親が買ってきてくれたものを身にまとっている。高校生くらいから来てる服も溶融でタンスの中にたくさんある。「これ高校の時くらいから着てる」って周りにいうと「物持ちいいね」って言われる。服って1,2年で着なくなったりするらしいね。最近知りました。そんな発想全くなかったのでびっくりした。


就活が終わってからのここ半年くらいで、色んなきっかけで自分と、人と、社会について考える時間が多くなってた。その半年間に考えた色んなことのほんの一部だけど、自分がなぜ服を1人で買いにいけないかについても考えていて、その答えは自分でもわかってる。

理由は一言で言うと「自意識過剰」なんだけど、その発端は中学・高校時代にあって。この頃、自分は部活一本の生活だった。あの頃の自分なりに一生懸命部活と向き合っていたし、何より仲間と過ごす時間がとにかく楽しかった。男子校だったんだけど、休み時間もずーっと一緒にいて、放課後は必死で練習に取り組んで、顧問の先生に毎日のように怒鳴られ、部室で無駄にだべって過ごして帰る。そんな日々がものすごく楽しかったし、充実してた。すごく弱いチームで結果も残せなかったけど、命をなげうってもこのチームを少しでも勝利に近づけたいって本気で思ってた。

その一方で、オシャレとかそういうものには一切興味がなかった。服とか、髪型とか、ホントの無頓着。男子校だったから誰に見せるわけでもないっていうのもあったし、「オシャレなんかに気を取られてる暇があるならどうやったらチームが勝てるか考えろ」っていうのも本気で思ってた。今だったら、髪型を気にするくらいのことで勝敗には影響しないってことはわかるけど、当時は本気で思ってた。

そんな自分と違って周りの皆は少しずつ、オシャレをし始めた。一般的には「オシャレをし始めた」ともいえないくらいの変化なんだろうけど。髪をワックスで整えたり、私服でオシャレなサンダルをはいたり。その程度のもんだけど、人の変化に敏感な自分は、友達がオシャレをしてゆくのを感じていた。会話の中には「アバクロ」とか「ラルフローレン」とかそういう単語も出始めたけど、自分は一切その話には入っていけなかったし、入っていく気もなかった。「おしゃれする暇があるなら~」だし、単純に興味が湧かなかった。(ちなみに「アバクロ」とか「ラルフローレン」が高校生の会話で出てくることがどういう印象になって読まれるのかということも分からない。こういうブランドが世間的にどういうイメージかわからないから。こういうとこは今でも変わっていない。)


そうして時は流れ高校を卒業し、僕は大学でも部活を続けた。大学に入っても自分のスタンスは変わらずに、「おしゃれする暇があるなら~」だし、ホントにオシャレには興味も湧かなかった。人に言われて酷い寝ぐせは直すようになったけど。

すると周りからは、「オシャレに興味がないやつ」というイメージを持たれることになる。当時の自分はそれでいいと思ってるし、別に悪い気は特にしてなかった。車で友達と出かけるようになってアウトレットとかに行くようになっても、「オシャレに興味ないやつ」だからなんか気使われるし、次第に誘われなくなる。(と思う)

でも大学3年生の後半あたりから自分の中でも何かが変わってきた。試合の日に入念に髪型を整えている同期を見て、「自分も絶対に髪型を整えた方がいいな」と思ったり。女の子とご飯に行ってきたという友達のピシッとした服着てる姿を見て、自分が女の子とご飯行ったときはテロテロのTシャツ着ていたことを思い出したり。

今考えると、この頃ぐらいから自分はめちゃくちゃオシャレしたがってた。おそらくみんなが高校生くらいで迎える時期を、僕は大学生の後半くらいでで迎えていた。いろんな要素が重なって、いわゆる思春期が遅れてやってきた。でもその自覚はなかった。


ここから自分好みの服を買いに行って、髪型を整えるようになれば話は早いんだけどそうはいかない。「オシャレに興味がないやつ」イメージを周りから持たれている、という思い込みが自分の中で強すぎた。それを崩して、嘲笑されるのが怖かったし、恥ずかしかった。

まず服を買って帰れば、親に「あ~、ついにオシャレしたくなったのね」って思われるのが恥ずかしかったから、服を買えない。(まさに思春期)仮に買ったとしても、それを着ていったときに友達に「どうしたん?急に(笑)」っていう反応をされるのが怖かった。想像しただけで恥ずかしかった。それに加えて「オシャレなんかに気を取られてる暇があるならどうやったらチームが勝てるか考えろ」っていう自分はまだいて、その自分がオシャレをしない自分を肯定してしまっていた。都合よく言い訳にしていたっていうのかな。

そんなことを無意識に思いながら過ごしていると、それがだんだん自分に劣等感を形成させていった。

「髪型も一切整えないだらしないやつ」

「女の子とご飯に行くときにTシャツ短パンで現れるダサいやつ」

「未だに親が買ってきてくれる服しか着てないヤバいやつ」

自分のことをこんな風に思う気持ちだけが大きくなっていった。しまいには、周りからもそんな風に思われていると勝手に思い込んでしまって、さらにさらに、行動できなくなっていった。こうして自分の劣等感が重なっていって、自意識まみれで、何も行動できず、変われず、「自分はヤバいやつで、周りの皆もそう思ってる」っていう思い込みだけが大きくなっていってたなあ、と今なら思う。もっと言うと、劣等感を形成させたのはこういうオシャレに関することだけじゃない。友達が少ないとか、彼女がいないとか、身長が低くて足が短いとか、お酒が弱いとか、休日にアクティブに動かないとか。いろんな要素が、自分の劣等感を形成させた。でも部活さえがんばっていれば、その面で褒めてもらえるし、社会の一員として認めてもらえた。そんな構造的には当時考えていなかったけど、とにかく目の前の部活を頑張ることしかできなかった。(ここに書いてることと全く関係なく、もちろん部活はすごく楽しかったしやりがいがあったけど)


大学の時まではずーっと無意識にこんなことを考えていて、勝手に息苦しさを感じていた。生きづらさともいうべきか。でも進学して、まるっきり環境が変わって、いろんな人の話を聞いたり、(すべてじゃないけど)似た境遇を持った人の考えを読んだりすることで色々と考えが変わってきた。特に去年の夏以降。そもそも自分が自意識過剰なんだって気づいて、あの時のこういう息苦しさの原因はこれだったんだって知って、じゃあこういう風に考えれば楽になれるかなって言って、少しでも生きやすくなるように。面倒くさい自分の思い込みをなくせるように、今は頑張って生きている。

その成果として、大学院生活の間に髪の毛もセットするようになったし、この人にはよく見られたいなっていう人と会うときは、自分なりの精いっぱいのオシャレをするようにできている。おかげで劣等感もほんの少しずつなくなってきているし、自意識も軽く考えることができるようになった。「意外と他人って自分のこと気にしてないよな」とか「多少ダサいくらいで避けられたりはしないよな」っていうことも、ようやく気付いた。自分の自意識と、社会の意識のズレを少なくできるようになってきた。

部分的に人の言葉を借りると、自分に都合よく思い込ませることが、少しだけできるようになった。


でもいまだに自意識や劣等感が邪魔して出来ないこともある。序盤にも書いたように、いまだに1人で服を買いに行けない。やっぱり未だに自分のことを"ヤバいやつ"だと思ってて、なんかそのヤバいやつのオーラが街行く人々に伝わっててすれ違う人全員から「あ、ヤバいやつだ」って思われてる、みたいな感覚はずっとある。だからお店に入ったら「ヤバいやつがいっちょ前に服選んでる(笑)」とか「あんな格好してるヤバいやつが服なんか買いに来てんじゃねーよ」って周りから思われてるって、思い込んでる。なんでだろう、服屋ってそういう感覚がすごく強くなるんだよね。たとえユニクロでも。


こういう劣等感ばかり抱えてるやつはモテないし人間的に魅力的な部分が見えにくいっていうのも、ここ半年で分かった。だからこそこんな自分を少しずつ変えたいと思うし、少しでも生きづらさが軽減できればなと思う。実際、生きるうえでストレスが減ってきているという実感もある。

ここ数カ月、こういう自分の弱さを何でも話せる唯一の女友達に恥を忍んでお願いして、一緒に服を買いに行ってくれないかと頼めないかと悩んでる。そこに至るまでの発送が全部キショいって思われるんじゃないかとか、そもそもお前と一緒に買い物行くとかありえないわって思われるんじゃないかとか。そもそも絶対「一人で行けよ」って思われるだろとか。でもそんなことくらいで案外嫌われたりはしないってことも実感してきてる。だからこれは実行に移したいな。


自己紹介のつもりで書いてみました。伝わる人にだけ伝わればいいな。伝わらなくても、書いていて自分が楽しいし、スッキリすればそれでいいか。

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