エンターテイメントは、長沼と長沼の間にあった。
若いお兄さんが天ぷらを買いに来た。
アフターコロナで天ぷらを買ってくれる留学生が増えたので、ひょっとしたらそうかなと思いながらも普通に「いらっしゃい」と言った。
彼は野菜の天ぷらを2つ頼んだ。
彼は天ぷらを受け取りながらこう聞いた。
「長沼さんですよね?」
長沼とは私の名前だ。
誰だろう。見覚えがない。いつも行く飲み屋にいそうな顔でもないし、だいたいの人は私のことを「天ふじさん」と呼ぶ。
「僕も長沼っていうんです。」
彼は、今月末にうちの店の周辺で初めて行われる「芸術祭」の出演者だった。ある地元の小冊子で私の名前を知ったそうだ。
芸術祭と言っても、商店街や自治体が後援するような大がかりなものではない。
うちの商店街エリアの小さな空き店舗を稽古場にしている、若い演劇のグループが手弁当で初めて行なうイベントだ。
このイベントのことを考えていた時に、参加する人が来店してくれるとは。
話が飛びます。
コロナが流行し始めて、非常事態宣言が出ました。
学校も会社も自宅待機になって、驚いたことにうちの商店街に人があふれました。
非常事態宣言で許されることといえば、生活必需品を買いに外出することくらい。
その中で地元の人は、少しでもエンターテイメントを探していたんだと思います。
普段は買いに行かなかった個人店に行ったり、飲み屋さんがテイクアウトを始めればそれを買って家飲みしたり、少し遠回りして、散歩をして帰ったり。
それくらいしかなかったけど、みんな何かを探していた。
若い世代の人が溢れているのを見て、今まで、どれくらい地元にエンターテイメントを期待されていなかったか、というのを痛感した瞬間でもありました。
もう少し、コロナが終わって日常生活の中でも、エンターテイメントを楽しめる街にならないだろうか。
そんな中、この商店街に、若い劇団の人が稽古場を持ったと聞いた時にはびっくりした上に嬉しかった。
この街と演劇の接点ができるなんて。
そして今回、芸術祭が行われると。
3日間、いろんな人が、いろんな表現方法を、この街の三か所でされます。
すごいことが起きるもんだ、と、うちの店でもポスターを貼らせてもらいました。
西尾久の人は、チケットがなんと二千円引きの千円!
ところで今日考えていたのは、自分の中のモヤモヤです。
この街で楽しめるエンターテイメントが増えたらいい、と願っていたのですが、イベントを企画した人とは、ちらしをもらって店頭に貼ったくらいのやり取りしかない。
出演者やグループの名前だけでは、内容が想像つかない。
これで、観に行きたいと自分は思うだろうか。
自分がコロナ時代に期待していたことが起きたのに、その日を楽しみにする気持ちが湧かない。
その矛盾した気持ちがどこから来るのか考えていた時に、長沼くんは来た。
彼は、天ぷらを受け取った後に言った。
「天ふじさんは、演劇が好きだと聞きました。
さらに私と同じ長沼で…。 私もこのイベントに参加するんです(と、店頭に貼ってあるポスターを指さして)。いま稽古していたんです。」
そう教えてくれた。
その時に分かった。
やっぱり自分にとっては、日常で知っている人が関わっていたほうが、断然演劇に興味が湧く。
そういう動機が演劇界的に良いのかどうか、分からない。
作品だけの良し悪しで見て欲しい、と思う人もいるだろう。
でも自分は、当日に知っている人が目の前で、全く別の人として動いていたり、当日までの制作過程を追っかけてから見るのが好きなのだ。
彼のおかげで、がぜん芸術祭が楽しみになった。
そして気づいたことがある。
エンターテイメントってなんだろう、とも今日はずっと考えていた。
例えば、感染症や戦争、極度の貧困等で、歓楽としてのエンターテイメントができなくなっても、人はそれを求めている。
あらゆる自由や余暇がなくなっても、人が必要とする、可能な範囲での幸せを感じるエンターテイメントとは何だろう。
私は、今日来店してくれた長沼君に、それを教わった。
何気ない挨拶や会話によって、初めて会った人とも、いつも会っている人とも、自分と他人がつながる瞬間、お互いがお互いをささやかに敬意を払って出会う瞬間こそ、自分が人との関わりの中で生きている、という小さな喜びこそ、根本的なエンターテイメントではないかと。
ずっと考えていた事が、一つ前に進んだ気がします。
ありがとう長沼くん。
興味のある方は是非、荒川区西尾久へお越しください。
イベントHPはこちらです↓
下記は、極限での人間を観察されることになった人の名著です。エンターテイメントとは何かを考える上で、これも影響されています。