大衆と庶民って、何だろう
大衆と庶民の違いって、何だか分かりますか?
私の大好きな「100分de名著」で、それが話題になったことがあり、もう一度観たいな、と記憶を遡りました。
ゲストの先生の難しい表現を、伊集院光さんは軽々と言い換えました。
江戸時代の大工の例えです。
「俺はでえく(大工)だから、」
その一言で、大衆と庶民の違いを分からせてくれました。
江戸時代には、江戸の庶民はいても、江戸の大衆はいない。
その違いを、番組を見た上で私の言葉でいうと、大衆とは「地縁血縁のあった場所を去って都市で生きていく人。自由である反面、なんの裏付け(バックグラウンド)もなく、根無し草のように生き、みんなと同じように生きることに安心するだけでなく、喜びを感じる人達」
庶民とは「田舎でも都市でも、地縁血縁を持ち、不自由は時にあっても、自分の居場所や役割がある人達」のこと。自分達には自分達のルールがあり、他人と違うことが前提になっている。
なんで、こんなことを思い出したかと言うと、ここで表現された「大衆」の人々に対して、日々違和感を感じていて、最近またそれが増してきたから。
何だったかな〜、思い出したいなぁと、これじゃないかと見直してみたら、当たっていました。
百年前の著書です。
当時、世の中の衛生状態が良くなり、人口爆発が起こった。そして都市では工業化が進み、大量の人を必要としていた。
人はどんどん農業などの地方から都市に集まり、必要とされている流れ作業の一部分になっていく。
教育も、半日机に座り、偉い人の話を聞いて、その人の言った通りにできる人を大量に作る教育にシフトしていく。(今の日本もまだ?)
そんな時代が生まれると、政治も徐々に根無し草的な大衆が選ぶ投票によって決められるようになり、それは民主主義ではなくてポピュリズムになってしまう、と。
著者のオルテガは、自国が右派左派で分裂し大変な時に、いちジャーナリストを越えて政治家として立候補したが、両方の立場から糾弾され亡命した。
その部分で、伊集院光さんのアップ。
目が潤んでいる。
どちらかに行ってしまえば楽なものを、自分の正義を貫いて亡命を選択せざるを得なかったオルテガに強く思うところがあったのだろう。
私は何が言いたいのか。
私は大衆が嫌いだ。
大衆が選ぶ独裁者は破滅を呼ぶ。
でも大衆は、物心がついた時から「大衆か庶民か」を選んで大衆を選んでいるわけではない。
私は庶民推しだ。
庶民は、最初に書いたように、地縁血縁の中で不自由があり、自分の職業にもある程度歴史的な決まりがあったりもするが、小さいコミュニティの中であっても、多様な判断を迫られ、自分自身に決定権とリスクを背負っている。
そういう人が増えたほうが良いと思う。
じゃあ、どうするのか。
大衆は根無し草だと言っていた。
であるならば、根無し草から、根を張る庶民に成るには何が必要か。
対話じゃないか。
社会は複雑だ。
誰かを懲らしめれば、世の中が上手くいくわけではない。
対話をするとで、様々な側面があることを知り、そこに当事者意識が生まれる。
面倒くさいけど、今の時代なりの地縁血縁みたいなものが生まれる。令和の庶民へ。
急に終わります。
気になった方は、是非、オンデマンドで見て下さい〜
おやすみなさい