「石」の巻 魯曼停スピンオフ➁
その後、私は彼女と結婚し、2人の子供の親となった。
父のガン手術入院を期に私が仕事のメインをやるようになり、その後私が結婚することで完全に父は店から引退した。
結婚してすぐに、妊娠し、出産、子育て、家兼店舗の建て替え等が続いた。忙しい毎日だった。
2011年3月11日、午後2時過ぎ。
昼休み明けの天ぷらを揚げようかと鍋の前に立って火をつけるとまもなく経験したことのないような地震が来た。
鍋の中の油が揺れてこぼれた。
火を消してテレビをつける。
大変なことが起きた。
そして津波。
テレビでは津波の映像が何度も流れている。
一番先に頭に浮かんだのは、あの石巻の魯曼停さんのことだった。
津波は来てしまったか、店は大丈夫だったろうか、マスターは…
あんな楽しい思いをさせてくれたお店が…
心配しても、何もすることができない。
今は、ボランティアに行ける人が行って、私はしっかり稼いで、自分が出番の時になったら、と思っていると2ヶ月後の5月の連休初日に私は脳梗塞になってしまった。
ICUに2日、その後一般病棟3週間で退院したが、後遺症と鬱的な気持ちの落ち込みは続いていた。それでも少しずつ営業を再開し時間を伸ばして、どうにか通常営業が出来るまでになった。
ずっと気になっていた石巻に行きたい。
冬の休みを利用して、石巻に向かった。
まだその頃は確か、松島から先はバスの代替運行だった。寒い日で氷点下。
交通機関を利用すれば石巻まで行けるが、ソレでは駄目だ。なるべく歩き切れるギリギリの距離から歩いていこう、と石巻まで15キロ位の野蒜から歩き出した。
その頃はまだ、津波で流されたり破壊された建物がたくさんあり、家の基礎だけが残っている更地も多かった。
野蒜から少し歩くと大きな川を渡る橋がある。
新しい橋だった。
小雪が舞い出し、遮るもののない川の上は耐えきれないほどの強い風と寒さだった。
どうにか橋を越え、一歩一歩石巻が近づいてくる。
仮設商店街のようなものができていて、若い人達も頑張っていた。
そしてついに魯曼停さんのあったエリアへ。
確かこの辺だ。目の前に旧北上川が見える。
ない。更地ばかり、まるでその区画が巨大な手入れのされていない雑草だらけの駐車場のようだ。
でも、自分の位置が間違えているだけかも知れない。ほんのひとブロック位離れているだけで建物が残っていて、営業している店もある。
グルグル、辺りを回る。
(ここじゃないよな)と思って、何度か通り過ぎた飲食店。かかっている音楽が違うし店の雰囲気も違う。あれっ、ちょっと待てよハートランドの看板があるじゃないか!
どうしようか、聞こうか、聞くまいか。
よそ者が震災関係のことを突然聞くなんて失礼ではないか。とか、どうせ無理に決まっている、とか。
事実が辛いものだったら、聞かないほうが良かったのではないか、とか。
頭の中でグルグル回り、遠くからそのお店を見て考える。
いや、何をためらっているのだ、行け。
聞かないのが一番悲しい結末だろ。
ほとんどガラス張りのそのお店に入り、若いお兄ちゃんに聞く。
「あの~、この近所に魯曼停ってお店があってお世話になった事があるんですけど、この辺でしたよね。ご存知ですか?」
と聞くと、彼は店名では思い出せなかった。
うーん、うーん、と力なく唸っている。
「あっ、そうだ。そのお店、ハートランドビールを出していたんです。それも生で。」
あっ!ああ、あのお店か!
あの人なら、今グランドホテルの一階でお店やってますよ。
えっ!
もう腰が抜けるほど驚き脱力し、そして嬉しくなった。
生きていたんだ、そしてお店まで。
それも自分の泊まるビジネスホテルの目の前のホテルに!こんな事あるのか。
オープンの時間になり、緊張で心臓がバクバクする。
ドアを開ける。
オープン時間なのでまだ誰もお客さんはいない。
カウンターに座ると、マスターの年齢よりも若い女性が立っている。(あれっ、今日は来ないのかな)と一気に緊張がなくなりジントニックを頼む。
飲んでいると、男の人がカウンター内に入ってきた。
あの時の奥田民生の雰囲気はない。白くなったあごひげを立派にはやし、憂いを秘めた表情は宮崎駿の映画に出てくるカモシカのようだった。
どのタイミングで切り出そうかと考えながらチビチビとジントニックを飲んでいると、
「ボランティアさんですか?」と聞かれた。
もう今しかない。
堰を切ったように、前回忘れられないほどお店での時間が楽しかったこと、お世話になったこと、常連さんに良くしてもらったこと、なごやかな雰囲気、美味しいホヤ…そして震災が起きてから、いつかはあの場所の今をこの目で見たいと思っていたこと、人生すべてを諦めて石巻から家に帰ってきたら、結婚したいと言ってくれた人がいた事、結婚したこと。
すると、マスターからも、震災直後からのたくさんの話を聞かせてもらうことが出来た。きっと他所から来た人間にはなかなか話さないだろうことも聞かせてもらい、深く沢山のことを学ぶことが出来た。
そのバーは日本酒がたくさん揃っていて、たくさん飲んでしまった。(息子さんは伯楽星で酒造りをされていた)
せっかくだからとサービスで頂いたクジラがこれまた、すごく美味しかった。
そろそろお暇する時間。
お店を出ようとすると、大きな手でしっかりと握手をしてくださった。
翌日、二日酔いで、多分に酔った状態で目がさめた。
ふと言葉が天から降ってきた。
「この世に働ける程の贅沢は、なし」
脳梗塞の後で、漠然とした自信喪失感があったが、家に帰ったら、この言葉を胸に仕事を頑張ろう、そう思えたのだった。来てよかった。
石巻マジック。
ようやく次投稿から、今回の旅の話に戻ります。