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浜通りと林住期と再生とHAPPY

十年近く前に自転車で、福島市から峠道を越えて浜通りの南相馬市に行った時のこと。

その峠からさらに山道を登ると霊山という修験道の山がありました。

そこに行ってみたいとフラフラの低速でどうにか登山口まで自転車で登り、駐車場に置いて、登山口まで来ました。

結界のような雰囲気。登山道に一歩足を踏み入れると「お前は思い上がっていないか?」と突然声が聞こえたような気がしました。

東日本大震災が起きるまで、福島はただ通り過ぎる県でしたが、それ以降は行かずにはいられない県になりました、

何かすごいエネルギーを感じるのです。もちろん自分の中にあるバイアス、メディアから流れる情報、現地にしかない様々な放射線の測定値の表示や、議員のポスターの何気ないスローガン。

日本中、世界中が恐れた事故でありながら、故郷を愛して住み続け、良くしていこうとしている人達の暮らし、営み。

それらが自分の中で合わさると、何かが壊れて生まれるのです。

しかしコロナで3年行けなくなった。

この間に「もう自分自身、関心がなくなっているかな」と思うこともあったが、今は明日からの3日間が楽しみでしょうがない。

今回は思いがけないことで、ただでは帰れないんじゃないか、と変な予感がする。

死ぬかもしれない。

でも、「死」にも、色々ある。

肉体の死もあるが、今までの自分の頭の中の何かが死んで、新しい自分が生まれる、という死もある。

ロマンチックなので、そんなことを考えてワクワクしている。

ところで、今日は林住期という言葉が頭の中を行ったり来たりしていた。

古代のインド人の生き方。

人生を4つに分けている。

簡単に言うと、勉強する時期、仕事を覚える時期、仕事をし家族を養いながら時に旅に出て自分を見つめ帰ってくる時期、家族や仕事また社会的な役割を終え、すべてを放棄して旅を棲家とする時期。

この年齢の旅はまさに林住期だなと思う。

古代のインドでは48歳までとなっているが、現代人は幼いから、もう少し林住期でいさせてもらいます。

この古代のインドの時期の分け方で、ちょうどいいリンクを探しましたが、なんか余計な文章が多いので困り、GPTにまとめてもらいました。

こんな感じです。

興味があったら深く調べてみてください、

自分からの質問
学生期、家住期、林住期、遊行期、それぞれに、ついて、昔のインド人は、これらの時期をどう過ごしていたのでしょうか?

ChatGPT
昔のインド人にとって、これらの期間はそれぞれ異なる役割と目的がありました。

「学生期」は、ヴェーダの教えを学ぶための期間でした。この期間は通常、8歳から12歳までの男の子に与えられ、グルクラ(教師の家)で暮らし、ヴェーダの聖典を習得しました。

「家住期」は、結婚して家庭を持つ前の期間であり、職業を学び、社会的な役割を果たすための期間でした。この期間は通常、12歳から24歳までの男性に与えられました。

「林住期」は、精神的な探求と内省の期間であり、仕事と家庭生活から離れて森林に入り、自己啓発を追求するための期間でした。この期間は通常、24歳から48歳までの男性に与えられました。

最後に、「遊行期」は、老後の期間であり、家族や社会的義務を放棄し、露天修行を行うために旅に出る期間でした。この期間は通常、48歳以上の男性に与えられました。これらの期間は、ヴェーダ文化において非常に重要であり、個人の精神的な成長と社会的な役割の両方を促進することを目的としていました。

面白い人生の区分ですよね。

古代のインドであっても、勉強も仕事も子育ても大事だった。

でも、一区切りついたら、世間や家族と少しずつ離れ、自分と対話しろと言っているように思えます。執着してはいけないのですね。

自分を研鑽し、旅に出て、最後は旅の中で自然に溶け込んで死を迎えるのでしょうか。

老害とは違う生き方ですね。

ところで、話を現実的なことに戻します。

気になっていたこと。イノシシとサルを気をつけなければいけないそうで、イノシシに出会ったらゆっくり後ろに下がる、サルは目を見合わせない、が大事だそうです。

共生は共死だ、と宗教学者の山折哲雄さんは言っていましたが、私はそれらの動物と今回共生できるでしょうか。

それでは行ってきます。

出発前のお別れの曲は、福島浜通りバージョンで、HAPPY。