絆という言葉

むかしばなし

中三の秋のある日、国語教師だった担任に「みんなは『絆』の語源って知ってる?」と尋ねられた。その時に担任が黒板に大きく書いた「絆す」という二文字は、文化祭準備や合唱コンなどで団結を意識し始めたジュブナイルに鋭く突きつけられた。
そのまま担任が言う。
「絆(ほだ)す。元々は馬とか牛を繋ぎ止めて束縛すること。自由を奪うこと。でも今は『友情』みたいな意味でしかみんな使わないよね。」

そらそうよ。こちとら14のガキよ?マジで知らんわ、と。
でも厨二病真っ盛りな僕はなんとなくその話に膝を打った。
イレギュラーな考え方を盲信してしまうのだ。

そのまま担任の話を聞いていれば、どうやら「本当の言葉の成り立ちを知った上で言葉選びをしてほしい。」と言うような内容だった。

わかります、先生。「悩ましい」も昔は「エッチに誘惑されてこまる」って意味でしたもんね!

今回はそんな話です。あ!!「絆の語源の話ね。常識でしょ?だから絆って言葉はあまり好きじゃないんだよねぇ。」って思った人、ブラウザバックしないで〜!そう言う人にこそ読んでいただきたい。
言葉の意味と時代の話です。今持っている意味の言葉を使うことの話。


言葉と時代

みなさんは突然「貴様!」って言われたら「は?」ってなりますよね。え?ファインモーション(ウマ娘)に言われるなら許せる?それはそう。
でも「貴様」って字面からめっちゃ敬語ですよね。そう、実際敬語でした。

だって「貴方様」から「方」抜いたら貴様ですもの。そんな感じの使われ方をしていたとされます。でもとりわけ現代では、罵って言う時に使う場合が多いですよね。
どこかの時代のタイミングで、どうやら言葉の持つ意味が変わってしまったのです。そしてさらに、元には戻れないところまで来ている……。

実を言うと日本語にはそんな感じで語源から乖離した意味を持つ言葉がたくさんあるらしいのです。冒頭の「悩ましい」もそう。

そしてタイトルの「絆」もその一つです。

僕は、語源を担任から聞いた時からここ数年まで絆という言葉を忌避しておりまして、もっと言い方あるんじゃないかと思考を巡らせていました。

ですが、もう絆という漢字自体からは、「家畜をつなぐ紐」の意味は強く感じられません。束縛して自由を制限するというマイナスなイメージは、すっかり消えているのです。

友情?団結?愛?繋がり?縁?

そんな感じのとにかくポジティブなイメージになっています。

でも、今我々が持っている「絆」の概念って上に書いてある言葉じゃ言い換えが効かない気がするんですよね。なんか、もっと複雑でぼんやりしてて。

もっというと、言い換えが効かないからこそ「絆」という言葉に着地しているんじゃないかな?と感じるようになりました。

だから、語源はどうあれ、絆は絆でいいんじゃないかな?って。

言葉と歩こう

時代が変われば言葉も変わる。言葉が変われば、それが持つ意味も変わる。生物もそうやって形を変えて今の時代まで生き継いで来ていますからね。

進化といえば進化ですが、許容しすぎると所謂日本語レベルというものが危機的な状況になってしまっているのも事実。ウオッシュレットに慣れすぎた現代人の肛門が弱いように。そこのバランスは大事。正しい言葉は使い続けようね。ら抜き言葉とか、気をつけようね。

脱線してしまいましたが、そんな感じのお話でした。

語源や言葉の成り立ちはとても興味深く、大切です。しかし、そればかりに囚われてしまい、現代人として一般的ではない原初の日本語に拘りすぎてしまうのも良くない。


絆のことを、絆と呼べないのは少し窮屈ではありませんか?


言葉の意味の変化を観測し、楽しみながら生きていけるのも我ら現代人の特権です。

言葉が持つ本来の意味だけに絆されるのは、勿体無い。


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