見出し画像

弱くいられるという強さ

存在。あり方。ありのままでいること。
being。presence。

さまざまな言葉で表されるけれど、学生の頃から関心のあるテーマは変わらない。

セラピーにおいて、セラピストとしてそこにいるとき、私はできる限り「純粋」で「一致」していたいと思う。それはカール・ロジャースが著書の中でも語っている。

「セラピスト自身が純粋で一致していること。セラピスト自身が自分の中で起こっていることに受容的に耳を傾けられるほど、また恐れることなくそのものでいられるほど一致の度合いは高まる。」

〜ロジャーズが語る自己実現の道〜より


この文章を読んだとき、雷に打たれたような衝撃だった。

確かにクライエントは何かに困り、助けて欲しくてセラピーの場に来ている。セラピストはクライエントを支援する役目を持っている。

でも、もし自分がクライエントだったら。
ある程度こちらの話を聞いて、その悩みに対してアドバイスや対処法を次々に投げてきたり、
何かを誤魔化しているような不気味な穏やかさがあったりしたら。

このセラピストに悩みを打ち明けたり、この人を信じてプロセスを共にしたい、と思うだろうか。


大学卒業して臨床現場に出て、ちょうど10年。
初めの頃は、「こうせねば」「こうあるべき」が優先したり、日々のしんどさに消耗したり、自分の中で起こっていることに向き合いきれないこともあった。

少しずつ少しずつ、セッションを進行しながらリアルタイムで、その瞬間の自分自身を感じられるようになってきた。
自分自身をごまかさずに純粋で、言動として外に表されるものがそれに一致していると、クライエントがゆるんでいくように感じる。

何かが解決するわけでも、前進するでも後退するでもないときもある。
それでも、クライエント自身が自分でいることをゆるめられると、誤魔化したり、見栄を張ったり、嘘をつく必要がなくなってくる。
余計な装備を外して、じっくりと、クライエント自身と向き合うことに集中できる。


そのためには、セラピストだけが装備をしているわけにはいかない。ロジャースがいう「恐れることなくそのものでいられること」という言い回しもまた考えさせられる。


弱くいられるという、強さ。
弱さを受け止めた先にある、強さ。
自分の弱さを受け止められていないと他人の弱さを受け止めることもできないから。
この学びは一生続いていく。