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5分でわかるフランスクラシック音楽の作曲家:シャルル・ケクラン

シャルル・ケクラン(Charles Koechlin 1867-1950)は近現代のフランスに生まれ、ドビュッシーよりは5歳年上、ラヴェルよりは8歳若い作曲家です。今では西洋音楽史の中で言及されることはまれな存在ではありますが、フランスにおいて、その独創性と博学さが非常に評価されている作曲家です。その生涯や作風を解説します。

ケクランの生涯

ケクランの音楽家としてのキャリアはかなり遅いものでした。ケクランは親の希望で軍人になることを目指していたものの、病気によりこれを断念することになり、その後パリ音楽院に入学します。これは1890年のことであり、すでに23歳になっていました。

パリ音楽院では、アンドレ・ジェダルジュの元で対位法を学び、そこで生涯関心を持った作曲家であるバッハの音楽に触れます。作曲については、はじめはジュール・マスネに師事しますが、のちにガブリエル・フォーレの元で学び、そこで大きな影響を受けたといいます。当時のフォーレは自由な教育を施しており、幅広い音楽を素材として扱っていました。 

ケクランの名前がしばしば言及されるのは、国民音楽協会の保守化に対して作られた「独立音楽協会」の発足に関してです。彼は同級生のモーリス・ラヴェルやフロラン・シュミットとともその協会の設立に尽力しました。

1918年には、サティの構想した「新青年」というグループに勧誘されたもののケクランはこれを断っています。ちなみにこのグループはのちに6人組という形で実現されています。(ただし六人組、というのはサティが命名したものではありません)

ケクランは1920年代の頃から、音楽家以外に批評家としての活動や執筆活動も行っていました。雑誌への寄稿や、和声、対位法、管弦楽法などの教科書を残しており、彼の名は理論家として広まっていきました。

ケクランはドビュッシーのバレエ音楽の「カンマ」やフォーレの劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」のオーケストラ化を託されたことで知られ、またそのドビュッシーやフォーレの評伝も残しています。

ケクランは、1937年にはスコラ・カントルムの教授に就任し、フランスはもちろん国外でも教鞭を取っており、アメリカには講演や講義などで度々訪問しています。

ケクランの評価

ケクランは音楽家や評論家としての活動を続け、民衆音楽連盟の理事長、また国際現代音楽協会のフランス支部長なども務めるなど、音楽文化普及のために大きな貢献をしました。

ケクランは教育者としての側面が強く、彼の生徒にはフランシス・プーランク、ジェルメーヌ・タイユフェール、アンリ・ソーゲなどがいました。プーランクは後年のインタビューの中でも教育者としてケクランに対する賛辞を述べています。

ちなみに、彼への賛辞は枚挙にいとまがありません。いろいろな文献の中から主なコメントを紹介します。

  • 「今日のもっとも偉大な理論家であるばかりでなく、もっとも独創的な作曲家として後世に名を残すであろう」(デュフルク 「フランス音楽史」より)

  • 「素晴らしい教師であり素晴らしい音楽家であったが不当にも無視され続けている」(アンリ・エル 「フランシス・プーランク」より)

  • 「アンドレ・ジェダルジュにつぐ、フランス最高の対位法の教師」(プーランク 「プーランクは語る」より)

  • 「彼の個性は私たちの同時代の音楽世界において支配的である」(アンリ・ソーゲ 「Modern French music」より)

上記の「Modern French Music」という著書ではケクランに関する紹介が載っていますが、最後には、「20世紀のフランス音楽の発展における重要人物」という言葉で結ばれています。

ケクランの作風

「Modern French Music」の著書にて作者のMyersが指摘するように、ケクランは極めて折衷主義であり、「○○主義」のように、その時代で複数分かれていた特定の流派に作風が影響されることはありませんでした。ケクランは自分が表現しようと思ったものに応じて音楽語法を使い分けて作曲していました。

もちろん先進的な音楽語法は積極的に取り入れており、「フランス音楽史」の作者であるデュフルクによれば、ケクランは、「無調性や多調性、古い旋法に立ち返るのに、20世紀の夜明けを待っていなかった」のです。

一部の作品にて全音音階の使用が見られるように、同時代のドビュッシーのような作風を思わせる音楽もありますが、これはあくまで作風の一部分に過ぎません。

ケクランを評論した著書「Charles Koechlin」の著者であるロバート・オーリッジが彼の音楽を特徴づける重要な要素として指摘するのは、「多調性音楽」です。これはMyersも指摘しており、ケクランは多調性音楽を最も早く取り入れた作曲家の一人として知られます。

これはダリウス・ミヨーの音楽に影響を与えたことも示唆されています。何よりプーランクに教師としてケクランを勧めたのはミヨーであり、ミヨーのケクランに対する直接のコメントは文献で確認できていませんが、彼もケクランに対する尊敬の念を頂いたのは間違いないでしょう。

細かい技法の面では、ケクランは、4度5度を積み重ねる和音を愛用していたといいます。対位法に強い関心を持っていたケクランは、それを強く意識した作品を書いており、ピアノ作品においてもしばしば複数の声部が入り混じった複雑な対位法的な音楽が見られます。

それゆえに、彼の複雑な着想を再現するのに一番適していたのは管弦楽曲などの大規模なジャンルです。複雑な対位法や複雑なリズムを用いた彼の音楽は、『静的な音楽』という表現で語られることがあります。

壮大な作品づくりに適した作風ではありますが、一方でケクランはピアノのためのソナチネや2つの楽器のためのソナタなど小規模な作品も多く残されています。しかも、オーリッジはここに彼の個性が非常に表れていると言及しています。

ケクランはあらゆるジャンルにわたって作曲し、中でも管弦楽において成功を収め、作品番号としては220を超えるほどの多作家でした。しかし、現状ではそのうちの多くが未出版であるといいます。

ケクランの知名度の低さについて、オーリッジは「世渡りが下手で妥協を許さない性格」が原因であったと推測していますが、しかし、その知識の広さと知的な作品、独創性は、音楽史上特異な存在だったといえるでしょう。

主要参考文献

  • ロバート・オーリッジ “シャルル・ケクラン”『ニューグローブ世界音楽大辞典8巻』柴田南雄 遠山一行総監修 東京 講談社 1994年

  • ノルベール・デュフルク『フランス音楽史』遠山一行、平島正郎、戸口幸策翻訳 東京 白水社 1972年

  • Myers, Rollo. “Modern French music: its evolution and cultural background from 1900 to the present day.” Oxford: Blackwell. 1971

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