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SF小説を読んで自分がエイリアンだと気付く

ピーターワッツの「巨星」というSF短編を読み始めた。SF小説は言葉が難しくてよくわからんので同じ作者のやつでも短編が一番面白かったりする。
あと文庫本の普通の厚みで1200円とかする。
表紙がカッコいいかどうかで読むかどうかを決める。
the islandを巨星と翻訳するの大胆でかっこいいな。SF小説の翻訳はとても大事だ。

中に、一つパロディというのか変わった短編が載っていた。

・遊星からの物体Xの回想

というタイトルで、「遊星からの物体X」という有名な映画があるのだがそれに出てくるモンスター視点の話。吾輩は猫であるエイリアン版みたいな感じ。
寄生獣はあの映画から着想を得てるらしいので話が小難しいミギーの日記というのが一番近いかも。
人間とは違う価値観の文化圏から来ているので、取り込む肉体のことをバイオマスって呼んでたり気持ち悪さがあって良い。途中は何の話をしているのか表現が難しくてわかりづらいところもあるが、人間のことを皮膚に囚われた不自由で孤独な生命であると見ているのが面白い。人間が爬虫類人間に羨ましがられる「幼年期の終わり」とは逆の視点だと思う。
元の映画を見てないとキャラの名前がわからないと思うが俺も全然覚えていなかった。面白いので元の映画ぜひ見てください。ジョンカーペンター版です。白黒の古いやつとか最近の派生作品とかあるから注意。


それで思ったのだが、俺も産まれてすぐ赤ちゃんの時にエイリアンに同化されたのではないだろうか?
最初はふざけた思いつきだったが、屁理屈を考えようと記憶を辿れば辿るほど「もしかして現実なのでは?」と疑わざるを得なくなってきた。
例えば俺は幼少期、何でも口に入れる子供だった。それは誰でもそうだろうと言われるだろうが、俺は上履きも乾電池も鉄棒もシートベルトも全部味を知っている。乾電池については昔ネットニュースで「味で残量がわかる」と言うやばいやつを見たことがあるので割とスタンダードかもしれない。感覚器官で物質の組成を調べるのはエイリアンがよくやることである。

それから中学時代、ガラケーのメールを俺は全文半角カタカナで書いていた。なぜそんなことをするのかというとパケット量が減るからである。当時通信料はパケット量で決まり、メールについても何十文字までは何パケット、と決まっていた。そして、通信制限があった。
つまり今で言うTwitterの文字数制限のようなことをメールでやっていたのである。そんなことをしているやつは同級生には誰もいなかったので俺は気味悪がられ、嘲笑された。「なんでTくんのメールってカタカナなん?怖いんやけど」と言われた。まあ怖いよな。だがそのへんの常識が俺には欠落していた。地球人の常識がわからないのはエイリアンあるあるだ。そして何より恐ろしいのは指摘されても意に介さず直さなかったことである。

今はある程度、空気が読めるようになった、と思う。人の話を前よりは素直に聞くようになった。なるべくguの無地のTシャツを着るようになったのも個性を没した方がなにかと都合が良いことが分かったからである。たまにキングギドラのでっかい絵が描いてあるTシャツが欲しくなるが「着ている間は本人には絵が見えない」というTシャツ最大の欠点を指摘して買わないようにしている。キングギドラもエイリアンなので欲しくなってしまうのも仕方がない。
人間をやることに少しずつ慣れてきたのだ。それでも、まだまだわからないことが多い。


もしかして俺以外にもエイリアンがいるのかな、とふと思う。乾電池を舐め、ガラケーで半角カタカナの日記を書き、派手な柄のTシャツを着て場違いなところを歩く。alienはよそ者という意味だ。
いつか背中から触腕が出るまで、とりあえず皆の真似をしてカフェにコーヒーを飲みに行ったりしたい。あとパフェを食ってみたい。孤独なエイリアンの望みである。

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