1次情報の重要性

こんにちは。
毎日そこそこちゃんとした記事を書くことは、相当難易度が高いなと感じています。
気付きノートなのでそんな大層なことを毎日書く必要もないのですが、書くならある程度の水準にしたいと思ってしまいますね。
続けることが大事だと思って、ちょっとだけでも続けようと思います。

ということで、今日は最近のコロナウイルスに対する報道と反応を見ていて強く感じた、「1次情報に触れる重要性」について書きます。


●世の中の情報のほとんどは2次情報以下

「1次情報に触れる」とは、「当事者が発信した情報を自分で得る」ことを指します。(自分の五感で体験することも含みます)
プロジェクトの責任者に進捗を聞く、省庁の発表を見る、企業のプレスリリースを見る等です。

当然、1次情報はその当事者にしか発信することが出来ませんから希少性が高く、圧倒的に価値が高くなります。
特に今の時代、SNSやキュレーションサイトの普及により、世の中に流通する情報量が莫大に増えています。しかし、それらの情報は全て2次情報、3次情報、下手をすれば4次情報です。
つまり、私たちの処理能力は上がっていないのに流通する情報量が増えているので、「情報が入手しやすくなったが故に、1次情報にまで辿り着かない」という現象が起きています。


●1次情報こそが「真の情報」

では、なぜ1次情報が重要なのか。
一見、情報が入手しやすくなったならそれで問題ないようにも思えます。しかし、情報入手が簡単になったからこそ、1次情報の価値はより一層高くなっています。
なぜなら、1次情報こそ「最も欠如のない情報」だからです。これが1次情報の希少性です。

世の中に溢れかえっている2次情報、3次情報は全て「1次情報を切り取ったもの」に過ぎません。差の大小こそあれ、発信者の都合によって切り取られ、解釈された情報だということを認識する必要があります。それがどれだけ信頼のおける上司や報道機関であったとしてもです。

ここに潜む問題は、自分の意見を形成する前に他者の視点が入り込んでしまうことです。情報を受け取ったその段階で、少なからず「誘導」をされてしまうのです。そして、情報を得たこと自体に満足してしまいます。
この時、自分の思想が知らず知らずのうちに偏っていることに気付かなくてはなりません。特にSNSはほとんどが3次情報ですから、個人の解釈や私情が十中八九入り込んでいます。
不完全な情報をいくら寄せ集めても、1次情報にはなり得ません。事実を抑えるためには、絶対に1次情報に触れる必要があります。


●使い分けが肝要

とはいえ、1次情報にしか価値がないのかと言われれば、そうではありません。キチンと用途によって様々な情報を使い分けることが、現代を生きる私たちに求められていることです。

基本的に、生活をしている中で最初に入手する情報は2次情報、3次情報だと思います。どんな出来事が起きているのか、どんな変化があったのか等を仕入れる段階です。
ここで止まらないことが最も重要です。情報を仕入れたら、その次に、可能な限り1次情報を確認する癖をつける必要があります。何にも加工されていない「生の情報」です。
ここで初めて「自分の意見」を持つ段階に入ります。事実を確認して自分はどう思ったのか、何が問題だと捉えたのか、他者の視点を排除した意見を作り上げます。これが「自分の頭で考える」ということです。

そうしたら、また2次情報や3次情報を参照します。様々な視点の意見に触れることで、新たな発見をしたり、幅広い視野を持つことが出来ます。自分の意見を持ったからこそ、こうした情報がより一層の価値を持ちます。
つまり、SNSやキュレーションサイトが大いに役立つのは、最初の情報入手と最後の比較の段階だということです。その間には、「自分の意見を持つ」という最重要段階があり、それは1次情報によって達成されるということを忘れないようにしたいものです。


●まとめ
今回は1次情報に触れることの重要性について書きました。自分に言い聞かせている側面がかなり大きいです。
情報の洪水が起きているからこそ、その波に溺れず、源流を辿るように強く意識したいと思います。自分の意見を持つためにはもっと勉強しなければいけないと思う日々です。

また、これは仕事でも同様です。キチンと当事者に情報を確認して、適切な課題認識と解決をしていきたいです。

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