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反芻し続けた先に。

「傷の向き合い方」

人生で自分の課題として残り続ける問題だと思う。
心に負った傷は表面的に綺麗に無くなっていると思っているものでも、ただ蓋が被せているだけで、開けてみれば治癒していない様な。
紙を丸くぐしゃぐしゃに丸めて、広げてもそれは決して元通りのきれいな紙には戻らない。皺がついてそれを綺麗になる様にと必死に伸ばすけど折り目のない紙に戻ることはない。 
そんな言葉を聞いたことがある。
無条件に人を傷つけてしまい、傷つけられて生活していく。それがこの世なんだって、誰しもが知ってるはず。

実際私も傷とどうやって向き合っているのか、よく考えたことなくて。でも、あれ嫌だった。これが嫌だった。とか、思う節々は年を重ねるだけ増えていって。きっと、1番の特効薬“時間“が解決していてくれている。

っと、以前までの私は思っていたのだが…。

その考え方が少しずつ変わりつつあるのが、秋山黄色というアーティストの存在。



花開く暖かい晴れた3月11日。
栃木県総合文化センターで、秋山黄色の26歳誕生日に地元宇都宮で一鬼一遊PRETOURLv3が行われ、肌寒くなる夜を前に会場へ足を運んだ。

3月11日に「ONEMORESHABON」を発売し、4月からツアーが始まる。ツアー前の前夜祭でもあり、アルバムのお披露目会でもあり、誕生日祭である。色んな意味が込められた特別な日に、以前より“地元が嫌いだった“っと話していた宇都宮でライブが行われた。

このライブを見てる時に
ちゃんと自分の傷に向き合っていかなきゃダメだなって何回も思わされた。

このアルバムが発表されたこと経緯に関して話してた時、
「ステージの上では嘘つきたくないから言う。
ここ2、3年で自分の身の回りで多くの人が亡くなって。
自分がまだ宇都宮にいた時、音楽やってることに引き目を感じていた頃、応援してくれてた友達のお母さん。家族で唯一音楽やってことを話していたおばあちゃんも亡くなってしまって。人によって大小異なるけど、進学で友達と離れちゃった経験とかあるでしょ?」

話に出さなかっただけで、「人を失った」という事実はもっとあったんだと思う。
その失った感情を忘れようって、シャボン玉のように飛ばしてしまおうって思ってできたのが去年発売した「FIZZYPOPSYNDROME」だった。

でも忘れるにも限界値がある。忘れたり目を背けたりし続けることで解決しないって分かったからこそ、ちゃんと自分の傷口に目を向けて向き合わなければならない。と思い「ONEMORESHABON」というアルバムを今回作った。と話していた。

私にはまだ「周りの人を亡くす」ことが幸いにも少ない。
遠くに離れた親戚はあったとしても、
自分の周りにいてくれた人や周りにいる人が亡くなることが少ない。だからこそ、近くの人を失うことの恐怖心が強い。

幼い頃に曽祖父、曽祖母を亡くしたが、人が死んでしまうことをいまいち理解しきれていない時期だったから、大人になった今、亡くなってしまってもう2度と会えない。という現実に正直向き合えるのかが、不安で不安で堪らなくなる。

だから、この話を聞いた時に
自分が知り得ていない感情で悩んだ過去を打ち明けられ凄く凄く苦しくなった。

と同時に、それを包み隠さず、曲として転換ししてくれる事で、私の人生の先で必ず起こる「人との別れ」の向き合うためのプロセスを曲として届けてくれてること、

こんな幸せな事、無いなって思った。

「手足は自由気ままに思うままに動かせているけど、
心だけは、心だけはそうはいかない。
華麗に、手毬のように動かせるようになりたいね。
でも、少しでも動かせるようになれる音楽をこれからも届けていきたい。」
と言っていたのだけど、
これから先の不安な未来も、こんな想いを伝え続けてくれるアーティストがいるってだけで、心強い。
そして、いつだって等身大のありのままの姿でいてくれるからこそ本当に距離感が近く感じる。
色んな人に知られていくけどなんだかこの人だけはずっと距離が近くにいる気がする。
すごく嬉しいことだよね、本当にありがとう。

新曲と古い曲を織り交ぜたセットリストだったが、

「昔の曲を飽きたからやりたく無い!腐るほどやってるからさ。でも、いいよね、みんなと作り上げてきた物がある。だから色褪せない。それもそれで凄く好きです。」

っと話していたのだが、
こうやって秋山黄色とファンが作り上げていくもの、
これこそがライブの醍醐味でもあるよね。という言葉の裏が隠れている気がして、今は昔の曲に書いたものほど思っていない消化された気持ちも、みんなの前でやるから、意味を成す。と言わんばかりの、熱々のステージが、心底好きだし、これからみんなと作り上げていくONEMORESHABONの音楽たちも、そうやって、色濃くなっていけたら、嬉しいなって思ったり。

あとこの日印象に残ったMCとして、

「今でも高校の時に気分悪くさせちゃったなーとか思う夜、ああああー!ってなる事があって。それって本当に意味のない事だと思って。明日パフェ食べよ!って考える方が絶対いいと思うの」って話をしていて、

私も仕事で行き詰まった時に思うけど、ピンセットとかでつける傷ってめちゃくちゃ小さい傷のようでそれが毎日続くと、大怪我したみたいに完治まで長引く。
そういう時って、毎日少しずつ、小さな幸せ探して心を埋めて行くしかないなんだよな…と。

その心の拠り所の1つが、この音楽なんだなって、自由にステージを動く姿を見て強く思った。


嫌な思いをしてきた数も多くして、色んな火傷の跡をつけられた。車社会の栃木で20歳で300万の借金があって、免許を取れずに居た。そんな宇都宮でライブをするのは、凄く凄く色んな感情が渦巻いて、複雑だったりしたのでは。と思う。
以前の無観客の配信ライブで「リアル無観客だった」と話していたことを思い出したりすると、この宇都宮で、傷と向き合うことの話をしてくれて、「お前ら本当に愛してるぜ!」言われたことは、今でも忘れないほど胸に刺さってる。

完全なる、個人の感想であり、ライブ中に思ったことなのですが、秋山黄色の音楽ってどれも反芻ソングなんだなって思う。

本人も、取材で
「今は音楽が消費されすぎだと思う」
「食べ物を摂取するみたいに、耳から音を食べてるような感じになっているなと」
と話して、本当に私も今の時代の音楽が、消費されてるって感覚を日々感じる。もっともっと噛み締めてスルメみたいに味出したらいいのになって思うばかりの日々で。

でも秋山黄色が作り出す音楽の、秋山黄色が取り込んだ自分の感情や悩みを反芻し続けて、時間かけて出来たものたちは、自分が反芻し続けてる行き場のない想いが、この音楽に触れると、ちゃんと仕舞うべき抽斗へいく道筋を示してくれてるのては。と思う。


一生忘れられない日になった。
黄色の花が咲く季節にステージで一喜一憂する日常を赤色に燃え上がらせ、自分を生きやすくさせてくれる傷との向き合い方を教えてくれた。誰よりもずる賢く自由なソロアーティストで居たい。強く言い放った宇都宮での、夜の寒さが気にならないほど心も体も熱く染まった特別な夜の記録。

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