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「ブレイブ ストーリー」と、大人になっても残る記憶の意味

毎日書く予定だったのに、1日開いてしまいましたね、2回目にして。まぁ、今アメリカの西海岸から書いているということで。

大昔に観た映画を見返す醍醐味というものは、やはり自分の記憶のそこに眠っているシーンを追体験するところにあるのだろう、と思う。

ブレイブ ストーリー」は公開時に劇場で観た。その時自分は8歳の坊やだった。主人公のワタルの父が突然家族を捨てるシーン。家に帰って、倒れている母をワタルが発見するシーン。当時の自分が受けたショックが、映画を見返すと蘇る。過酷な現実を容赦なく突きつけるこの映画を観ることは、小さい子供にとっては、ある種の格闘のようなものだったのだな、と大人になって理解する。

ブレイブ ストーリー」の話の軸になるのは、ワタルとミツル、2人の心の葛藤である。2人は、ヴィジョン(という世界)に入る想いは一緒だったが、その後することになる選択は異なる。昔の自分は、主人公ではない、ミツルに心を重ねていた。なぜそれがわかるかというと、ミツルの出ているシーンばかり、観た記憶が蘇ってきたから。そして今もなお、ミツルに心を重ねる、大人になった自分がいる。

別に誰に心を重ねるのがいいとかはないけれど、自分はミツルに心を重ねた子供の頃の自分を、何気なく買った神社のおみくじのように、大切にしたいと思っている。

小説家の宮部みゆきさんの本が原作だけれど、小説は映画になっても小説だな、と思う。別に悪い意味で入っているわけではない。小説は一通りの正しさや正義を広めるものではなく、登場人物の心のありさまを分け隔てなく描くものであり続けてほしい。小説を元にした映画だってそうだ。

映画になっても、小説は様々な心を抱えている人に、優しい光を投げかけている。

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